#590【旧ブログ2015年2月22日投稿】叩かれまくった散切り頭、小江戸を闊歩するの巻
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叩かれまくった散切り頭、小江戸を闊歩するの巻
2015年2月22日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52110048.html
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1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると云う。
2月は他の月に比べて数日も少ないので、本当に逃げるように3月へと突入する。
あっという間に2月も残すところ一週間となった。
3月に入れば、”例のアレ”が飛び始めてマスク無しではどうもこうもできぬ時期になるので、そうなる前に本日出かけることにした。
非常に天気の良い、いわゆる行楽日和、私は川越まで行った。
川越なんて江戸からすぐ行けるので別にわざわざここで書くほどのことでもないのだが、まあたまにはええやないか。
江戸から近いこの街は、古来より親藩、あるいは譜代の藩として栄えた街である。
江戸の北西の守りだったようであり、江戸からもすごい近いので、今とは違って重要な街であったようだ。
古くからある街なので、戦前からいくつか東京と川越を結ぶ鉄道が通っている。

上はwikipediaからパチってきた地図だが、主に3ルートある
・JR川越線埼京線ルート(川越~大宮~池袋・新宿・渋谷)
・東武東上線ルート(川越~池袋)
・西武新宿線(本川越~西武新宿)
地図から見ても分かるように、都心へは東武東上線が一番速い。
が、別に東武東上線が圧倒的に勝利しているわけではなく、それぞれが競合しつつ、かつ住み分けがされており、共存している。
とはいえ、川越~都心のルートでは、東武東上線が一応メインルートだと思います。
そういう状況であるが、私は今回西武新宿線を利用することにした。
理由は特急レッドアロー号に乗ろうということになったからである。
この3ルートのなかで、西武新宿線が唯一有料特急を走らせており、終点も川越駅ではなく、観光地に近い本川越駅であるため、観光客がよく使うルートであると言えるのだ。
というわけでわざわざ朝から西武新宿駅まで行った。
西武新宿線童貞を喪失してしまった。
西武新宿駅は、世界一の乗降客数を誇る超巨大ターミナル「新宿駅」から少し歩く。
ここが西武新宿線の欠点なのだが、今日のような天気のいい日には、むしろ少しなら歩くと気分が晴れよう。
西武新宿駅は歌舞伎町にある。
中国の春節ということもあって、観光バスがひっきりなしに来て、どんどん中国人観光客をおろしてゆくのを片目に、西武新宿駅へ。

規模は小さいけど、やっぱ頭端式ホームいいよね~。
そして来ました。

特急レッドアロー号 小江戸 本川越行き!
本川越駅までは46分ぐらいしかかからないので正直そこまで有料特急に乗るメリットはないのだが、乗ることが目的なんだから別にいいだろ。
鉄道は手段じゃない。目的そのものなんだ。
本川越駅に到着。
川越駅のほうは少しだけ行ったことあるが、ここは観光地から離れており、観光ができるのは本川越のほうである。
川越は「小江戸」と呼ばれる東京近郊の観光地のひとつで、先程も述べたが譜代の大藩であったことと、空襲や災害などに見舞われなかったため、江戸時代からの建物が多く残っている。
小京都みたいなもんですな。
前日がちょうど給料日であったがために、多少うかれていた。
故に「なんかうなぎが猛烈に食べたいなあ」と思っていたので、少しググると川越に有名な鰻屋があるとのこと。
「贅沢をする=うなぎ」という発想がいかにも貧乏臭いが、足は既にグーグルマップが示したピンの先へと動いていた。
ヤバいと思ったが、食欲を抑えられなかった。

天保年間創業の「いちのや」というお店である。
14時ごろに入店したのに、30分ぐらい待たされるほどの繁盛っぷり。
ようやく席に通され、おしながきを開いてみると…
「蒲焼セット 6500円」
などという字が目に飛び込んだ。
冷や汗
他を見ても、5000円とかそんな数字が見える。
ヤバい。
30分も待った挙句、すごい丁寧に席へと通されたのに、「やっぱ高いんでやめます」とか言って席を立てるはずがない…。
うわあああと思って舐めるようにおしながきを見回したら、
「うな重 2800円」というのが見えたのですかさずコレにした。
6500円からすれば安いが、普通に高いからな。すき家の牛丼10杯分である。
しばらくしたら来た。

美しい…。
個人的に、うなぎで一番美味しいのって、香りだと思うのです。
味も良いが、うなぎの香りだけでごはんが食べられる、そんな落語があるほど、うなぎの香りというのはそれだけで満たされるものであると私は思います。
こういう高めのところって、お吸い物とかが美味しいんだよなあ。
メインだけじゃなくて、こういうところで手を抜かない。それが2800円の所以です。
胃に2800円を投入したところで、ぶらぶらすることにした。
少し歩くと、急にこんな風景になった。

なるほど、これが小江戸か、という感じだ。
ちゃんと電線も地中化されているし、建物の状態もとてもよいが、やはり自動車がひっきりなしに往来しているのが残念だ。
ご覧のとおり歩道は人で溢れてて危ないし、景観上の問題からか歩道と車道に境目がないので、いっそホコテンにする決断をしていただきたいなあと思うところである。
江戸時代の建物ばかりかと思えば、こういうのもある。

戦争で焼かれてないので、こういう戦前のしっかりとした建物はちゃんと残る。
これは埼玉りそな銀行の川越支店である。元々は八十五銀行の本館だったそうな。
ここを北上して少し右に入ると、小江戸川越のランドマーク、時の鐘へと辿り着く。

時代劇のセットのように洗練されているが、一応江戸時代の建築物で、明治時代に改築されたものであって、戦後に作られたニセモノではない。
ああ、江戸の市中ってこんな感じだったんだろうなあというのが少し信じられた。
私はどこかへ行くとき、できるだけ往路と同じルートで帰るのではなく、一筆書きで帰ろうとする。
なので本川越駅から西武新宿線に乗って帰る選択肢はないので、川越駅までいって東武東上線かJR埼京線(川越線)に乗ることになるのだが、ここから川越駅までは歩くと30分以上かかるらしい。
バスに乗って帰るつもりだったが、ふとこんなものを見つけた。

チャリンコシェアリングである。
200円で借りることができ、市内にあるシェアリングスポットであればどこに返却しても良いらしい。
中高で備わったチャリスト(自転車主義者)の血が騒いだので、川越駅までチャリに乗って帰りました。
風によって我が髪の毛がなびく。
俺の髪の毛がなびくということは、もう散髪臨界に到達していると判断できる。
知人各位におかれてはご承知おきの通り、私の髪の毛は決してまっすぐな道を歩んでいない。
早い話が天パなのだが、中学の頃よりこの天パを天然のまま放置しているので、見た目的にはあまりよろしくないことになっている。
天パもうまく調理すれば妻夫木聡のようになるポテンシャルを秘めてはいるとよく言うが、仮に俺のこの天パが妻夫木聡のそれに入れ替わったとして、俺が妻夫木聡になれるかと言うと、そうではない。
ゆえに私はこの天パを縮毛、間違えた、宿命として受け止め、素材の味のままにしているわけだ。
ということを言ってほったらかしなので、中高大と髪のことを言われ続け、ついには社会人になっても、伸びてくると「寝癖すごいことになってるね」と言われる。
これ、寝ぐせじゃないのだ。
デフォルトで寝癖状態に見えるのだ。
私は散髪に3ヶ月に1回ほどしか行かない。
切るときは一気に短くするが、3ヶ月放置するので末期にはかなり長くなる。
ゆえに切ると翌日にものすごい「ばっさり切ったなー、どうしたん?」と言われるが、別にいつもどおり切っているだけなのである。
短い時は別に特に何も言われないのだが、長くなってくると親にも友人にもいろんな人に「髪ヤバいな」とご指摘たまわって、それを無視し続けて1ヶ月近くたったころにようやく切る、というルーチンで中学の頃より決まっている。
大学からは神戸に住み始めたので感覚が開きがちになったが、小・中・高(・大はたまに)のときは実家から徒歩30秒の場所にある散髪屋しか通っていなかった。
私が小3?のクソガキのころから成人するまで、ずっと私の髪を切ってきたオッチャンがいる。
毎回(こんな髪の毛ですいません)と思いながら切ってもらうわけだ。
他の人がどうかは知らないが、散髪は基本的に霧吹きから始まる。
櫛で梳かしながら私のマリモを切りやすいようにしていくわけだが、ものすごい引っ張られる。
ハゲんじゃねえかと思うほどグイグイとひっぱられて、髪を梳かす。
そうしないと散髪すらさせてもらえない髪なのだ。散髪には痛みが伴う。
さて、小5のころだったか、いつもは適当に短髪に切っていたオッチャンがある日突然、
「きょうはどんな髪型にしたいとかある?」
と言い始めた。
いつもなら「きょうはどうする?」しか聞かないのに、その日は私の具体的な希望を聞いてきた。
23歳になってもそれ聞かれて満足な回答ができないのに、小5の私がこの質問に答えられるはずもなくモゴモゴ言っていると、
「じゃあサッカー選手とかにしよう。好きなサッカー選手は?」
という質問に変わった。
たしかワールドカップ日韓大会で盛り上がっていた時期である。
当時(今もだが)サッカーのことをよく知らない私はよくわからずまたモゴモゴしていると、
「じゃあ…中田か中村だったら?」
と聞いてきた。
二択に変わった。
さすがに私もその2名は知っていた。
中田英寿と中村俊輔である。
ワールドカップで盛り上がっているとはいえ、なぜその二択なんだ。
正直どっちでも良かったのだが、実はこの日韓大会で、中村俊輔はトルシエによって日本代表に選ばれなかった。
そのことは知っていたので、どうせなら代表選手のほうがいいだろうということで私は「じゃあ中田」と答えた。
すると、「ほんなら中田の髪型にしてあげるわ。」とオッチャンは言い放ち、散髪が始まった。
実はここが私の髪の毛史におけるターニングポイントだったのだ。
この日は普通に散髪が執り行われ、「オッチャンが中田英寿だと思った髪型」が俺の頭に再現された。
別に対して中田英寿でもないし、奇抜な髪型になったというわけではなく、よくある短髪(だがスポーツ刈りとは違う)ができあがったわけだが、とりあえずは中田英寿の髪型になったわけだ。
だが、話はここで終わらない。
基本的に私は昔も今も、この散髪屋で散髪をする時、最初に「きょうはどうする?」と聞かれたとき
「おんなじで」
と答える。
必ずだ。その他の要望は一切なかった。
さて、この中田英寿の髪型になった後、次回の散髪もこの散髪屋に行ったわけだが、そこで
「きょうどうする?」
と聞かれて
「おんなじで」
と答えていると思われる。
中田英寿の髪型の後の「おんなじで」なので、中田の髪型でという意味になる。
その次の散髪も、私は「おんなじで」と答える。
その次も、その次も、その次もである…。
ということは、である。
今は東京にいるのでそこの散髪屋は利用していないが、そこの散髪屋を毎回利用していた小5~大学3年生のころまで、私はずっと中田英寿の髪型だったのだ。
皆が馬鹿にしていたあの髪型は、実は中田の髪型だったのだ!!!!!

違う(確信)
でも、中田の髪型ってオッチャンは言ったのだから、これは中田なんだ。
最初はこういう髪型だったのかもしれないが、長い年月「おんなじで」で済ましていくうちに、徐々に形が変わっていったのであろう。
歴史を刻む文化というものも同じである。
いやはや、私の頭を叩いてみれば文明開化の音がしますなあ(しみじみ)。
ちなみに、小5のあのとき、私が中田と答えずに中村と答えていれば、以後の私の髪はどうなっていたのか、という疑問が沸き起こる。
中村俊輔は、見て分かるように天パである。
天パであるが、うまいこと天パをいかしていい感じのウェーブのあるヘアスタイルに仕立て上げている。
私とは天パの質が違うが、もしかすると同じ天パとして親和性があったかもしれない。
その後の人生でも「キャー!中村俊輔!!」という黄色い声に囲まれながらモテたかもしれない。
いやあ残念だ。
小5の髪型100まで、だぜ。
臨界事故起こす前に、あした斬ってきます…