#584【旧ブログ2015年1月13日投稿】戦時下の明るい家族計画
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戦時下の明るい家族計画
2015年1月13日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52105395.html
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こんにちは。
きょうは成人の日である。
街に殺生丸があふれる日である。
2年前の成人の日(私の成人式は3年前)、やることがないのでいつものように三宮をパトロールしていたら、三宮センター街東口のところのバス停の前で、動物愛護団体が毛皮の使われた衣類への反対運動を行っていた。
別に成人の日だからというわけではなく、休日になるといつも見かけるのだが、「NO FUR」というプラカードを掲げているその横を、キャピキャピとして幸せそうな新成人たちが振り袖にファーをまとって前を横切って行くという光景が面白かった。
成人式のあとには、同窓会が行われる。
他の自治体ではどうなのか知らないが、京都市では出身中学単位で同窓会が行われることが多いようで、中高一貫の私立に進学した私は、小学校で同じだった地元の人たちには会うことができなかった。
公立小学校というのは社会の縮図であり、クラスメートたちの家庭環境、所得、学力は様々である。ある程度セレクションが働いてしまう高校や私立中学においては、こういうことはなく、公立小学校のクラスに比べれば人間のバリエーションは狭くなる。
私が成人を迎えた年、大学の友人たちも同じように成人式に出席し、地元の中学の人々との同窓会に出席したわけだが、帰ってきて話してて驚いたのが、「同窓会に子供を連れてきている奴がいた」とかそういったたぐいの話である。
それを聞き、私は心底驚いたのを覚えている。
当時我々は大学2年生。現代において学生結婚を決断するものは皆無である(特に学部生であれば)。20歳であったが、学生である身としては結婚のケの字すら知らないような20歳であったが、同じ20歳で既に結婚をして子供をもうけている20歳もいるということに驚愕したのである。
が、高校或いは中学で社会に出たものにとっては、20歳というのは立派な大人である。
同じ20歳でも私の20歳と彼らの20歳では意味合いが全く異なるのではないか、と思った次第だ。
著書『人口論』で「人口は制限されなければ幾何級数的に増加する」と論じた19世紀の思想家マルサスも真っ青の少子化が叫ばれている中、斯くの如く子供をどんどん産んでいただけるのは、素晴らしいことである。
海外の発展途上国などでは、産児制限を実施しようと苦悩している国家がたくさんあるが、我が国では産児制限政策が大々的に取られたことはない。
むしろ、たくさん子供を授かることを奨励し続けてきたのが近代日本の歴史である。
そう、日本史で習った「富国強兵政策」である。
産業を近代化して経済を発展させるとともに、軍も近代化して強大な国を作り上げる。
そのためには多くの若者、とりわけ働き手となり、また兵士ともなりうる男子たちの数を増やさなければならなかった。
そんな政策のもと、実際の経済発展と医療技術の進歩もあり、明治・大正となるにつれて日本の人口は爆発的に増えていく。
結果、マルサスが19世紀に既に示した「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しない」という命題にすっぽりとハマり、食い物がなくなったせいで満州の地を中国からぶんどって、若い男たちを「満蒙開拓青少年義勇軍」として送り、農業をさせたりもしはじめるわけだが、(この後、戦争に負けて満州を失い、日本国民が皆本土に帰ってくると、強烈な食糧難に陥る。戦中の食糧難より戦後のほうがひどかったのはこういう理由もある)、いよいよ戦争も激化して、いざ対米戦!となったとき、さらに多くの兵士が必要であることに政府は気づいた。
ここでようやくきょうブログで書きたかったネタにたどり着くのだが、そこで1941年に出されたスローガンが、かの有名な「産めよ増やせよ」である。
今から思えば、何で上から目線で子供産めと言われなきゃなんないんだと怒ってしまいそうだが、当時としては大真面目だったわけである。
子供を産むことがお国のためになる、というわけである。
4年後に日本は戦争に負けて何もかも終わってしまうので、1941年に子供を産んだところで兵士にできるわけがない点が疑問ではあるが、当時は別にあれほどの大敗を予想してなかっただろうし、将来の軍事大国化を目指して多くの兵士を今のうちに確保できるようにしておこうという魂胆だったのだろう。
この産めよ増やせよというスローガンは結構大々的に宣伝していたようで、当時の戦時歌謡にも見られる。
きょうはそれを紹介したい。
…ふう、やっと今日書きたいネタに辿り着いた。無理やり成人式の話からつなげようとするとこんなに長くなってしまった。
1941年に発表された「新家庭行進曲」という、どマイナー戦時歌謡がある。
Youtubeで調べたら、まさかの音源皆無。
みなに紹介しようと思ったのに、紹介できる音源がありません!ごめんなさい!
私のitunesには何故か音源があるので、自分でyoutubeにアップしようかと思ったが、ジャスラックで検索かけたらどうやらまだ著作権が有効らしいので、やめときます。
基本的に軍歌・戦時歌謡って著作権切れてるから扱いやすいんだけど、太平洋戦争時代の曲は作曲者が戦後に結構長生きしたりしてしまうと著作権がまだ有効だったりするのだ。
仕方ないので、歌詞だけ見ていただきましょう。
『新家庭行進曲』
作詞 清水操六
作曲 島田逸平
裏の家でもお隣さんも
可愛い泣き声子宝部隊
心も晴れ晴れ僕と妻
産めよ増やせよ
愉快じゃないか
明るい笑いがホラ込み上げた
庭に作ったジャガタラ芋も
今年ゃ当りだ子芋が増えた
数えて嬉しい僕と妻
産めよ増やせよ
愉快じゃないか
明るい笑いがホラ込み上げた
赤い産着にほろ蚊帳添えて
故郷の母から催促便り
読んでは見交わす僕と妻
産めよ増やせよ
愉快じゃないか
明るい笑いがホラ込み上げた
町で出逢うたお産婆さんに
ちょいと話すも楽しい気持ち
胸で指折る僕と妻
産めよ増やせよ
愉快じゃないか
明るい笑いがホラ込み上げた
産めよ増やせよ愉快じゃないか
というフレーズがサビに当たる。
なにが愉快なのかさっぱり分からないが、とにかくこういう曲を出して愉快に子作りしようという風潮をつくりあげようとしたわけである。
曲調も、軍歌・戦時歌謡にありがちな演歌のようなピョンコ節ではなく、行進曲というわけあってタンゴ調の軽快なリズムである。
この曲がどれだけ一般市民に受け入れられたかどうかは知らないが、youtubeにも上がっていないほどのどマイナー曲なので、そこまで流行はしなかったということだけは言えよう。
興味ある方は言って下さい。音源あげます。
…そんな人いないか。
新家庭行進曲は産めよ増やせよ愉快じゃないかと言っている程度でまだかわいいのだが、次に紹介する曲はもう少しどきつい。
それは、1943年に発表された「みたから音頭」という曲だ。
歌い手はかの有名な霧島昇。あ、知りませんか。
戦前と戦後直後を代表する歌手で、「リンゴの唄」なんかも歌ってらっしゃいます。初期の紅白にも出たんだぜ。
Youtubeに音源があったので貼り付けます。
ぜひ聞いてみてください。
//www.youtube.com/embed/HNXAqV2lMlk?rel=0
『みたから音頭』
1.
ハー
今年や目出度い 日本男児
ハヨイショ
生めよ殖やせや 花嫁御
ハコリャ
山羊は三つ仔で兎は八ツ仔
家にゃ子宝 米俵
ソレ精出せ 生み出せ作りだせ
御宝音頭で ヨイ ヨイトナ
2.
ハー
からす閑古鳥 懸巣に鴎
ハヨイショ
小雀、山雀、四十雀
ハコリャ
唄ぢゃ負けるな 鶯 雲雀
みんなわしらの顔馴染
ソレ精出せ 生み出せ作り出せ
御宝音頭で ヨイ ヨイトナ
3.
ハー
卵、蛙子、鮒子に雛子
ハヨイショ
藪の筍 土筆の子
ハコリャ
山にゃ山彦 木立にや茸
鳴子引く子は勇士の子
ソレ精出せ 生み出せ作りだせ
御宝音頭で ヨイ ヨイトナ
4.
ハー
鍬は白金 稲穂は黄金
ハヨイショ
肌は赤金 玉の汗
ハコリャ
腕にゃ筋金 心は真金
兄さ兵隊さんで真鋼鉄
ソレ精出せ 生み出せ作り出せ
御宝音頭で ヨイ ヨイトナ
サビが「ソレ精出せ 生み出せ作りだせ」という部分にあたるのだが、正直言ってアウトである。
言いたいことはわかるが、もう少しオブラートに包むことはできなかったのかと問い詰めたくなる。あまりにもあからさますぎる。言いたいことそのまんまじゃないか。
私は「子供を作る」という言葉があまり好きではなく、「授かる」という言葉をできるだけ使うようにしているのだが、「子供を作る」という言い回しは最近言われるようになった現代語であると思っていたからという理由もひとつにはあるが、まさか戦中から思いっきりドストレートに使われている言い回しだとは思っていなかった。
こちらもどマイナー戦時歌謡なので、当時の人々にどの程度受け入れられたかは良く分からない。
今こんなものを政府公認でリリースしたら厚生労働大臣は一瞬で更迭されようものだが、そういう話は聞いたこと無いので、特に問題なくリリースされ、そして人々から忘れ去られていったようである。
当時の人々がおおらかだったのか、あるいは戦中の空元気っぷりがこの歌に現れているのかよくわからないが、とにかくこういった歌が出てくるようなご時世だったということだけは、言えると思います。
今回は産めよ増やせよをテーマに戦時歌謡を紹介したが、軍歌戦時歌謡にはもっともっとドきついものがいくらでもある。
気が向いたらまた紹介しようと思います。
明日は平日です。おやすみなさい。