#606【旧ブログ2017年1月8日投稿】拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(中編) 旅順・丹東と北朝鮮レストラン
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拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(中編) 旅順・丹東と北朝鮮レストラン
2017年1月8日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52173330.html
★★★★★★★★★
前々回のブログ!(☆デン☆)
たまには海外に行こうと思い、ロシア・トルコ・中国で悩んだ結果、旧満州へ一人で旅行にいくことになりました。
1日目は無事大連へ到着。
2016年11月28日
拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(前半)
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52173326.html
2日目:9/19(月) 大連、旅順
きょうは旅順へ。
旅順は大連から車で1時間程度。一応、電車もあるが、観光地は正直公共交通機関では行きにくいところばかりにある。
語学に自信があるのなら電車やバスで行けば良いが、さすがに無理と判断。
どうもこれはタクシーを半日程度チャーターするのが1番良さそうなので、ホテルにタクシーのチャーターをお願いした。
1日チャーターで900元。1元=16円程度なので、14,400円。
やはり一人だとめちゃんこ高いが、旅順の行きたい処をちゃんと観光するにはこれしかなさそうだ。
朝9時にホテルに現れた30代くらいの兄ちゃん。
フロントの人曰く、多少なら日本語OKとのことだったが、殆ど通じない。
終始、中国版LINEっぽいやつの翻訳アプリを介して会話をする。
兄ちゃんがスマホに向かって中国語で何かをしゃべり、数秒のラグを置いてスマホがたどたどしい日本語で喋りだす。
昔のエキサイト翻訳のころより翻訳ソフトの技術は格段に進歩しており、日常的な会話であればなんとなく理解できるレベルになっている。
「川島芳子」「関東軍」などの固有名詞もバッチリだ。
俺もLINEの翻訳アプリを起動させる。
スマホを介して会話するというのは、数年前までの海外旅行では無かった光景だろう。
さて、ここ旅順は、日露戦争の激戦地である。
当時はロシア帝国海軍の極東における重要な軍港で、湾口が狭く、かつ周囲が山々に囲まれた天然の要塞である。
まだ飛行機やミサイルなんてものは無かったので、海か陸どちらからかじわじわと攻め込むしかない。
日本軍は陸から攻め、山々に築かれたロシアの要塞を陥落させるという作戦で行った。
旅順港を望む「二百三高地」を巡って陸軍が激しい戦いを繰り広げた。
最初につれてってもらったのは、東鶏冠山北堡塁という、ロシアの要塞だ。

トーチカである。
次は二百三高地。

映画「二百三高地」でも有名な、日露戦争の激戦地だ。
一応、日本語の解説ボードがあるのだが…

お、おうそうか…って感じ。
旅順港がよく見える。たしかに湾口は狭く、周囲は山に囲まれている。
今は飛行機やミサイルがあるのでまだなんとかなろうが、当時はそれはそれは攻めるのに難儀したであろう。

あまりにも激戦だったので、当時の日本側司令官「乃木希典大将」の息子が死んでいる。

次は水師営会見所へ。

「水師営会見所?へっ、なにそれ?」
と思う人も多かろう。
ここは旅順口包囲戦が日本の勝利で終わった際、乃木大将とステッセル将軍が講和協議を行った場所である。
戦時歌謡「水師営の会見」で有名な場所なので、一部の人には知られている。
事実、日本人しか来ないらしく、午前11時ごろに来たが俺が最初の客だったようだ。
https://www.youtube.com/embed/WVVS56hWx30
ちなみに、建物は復元である。
「水師営の会見」の歌詞にもある通り、庭に「ナツメの木」が植えてあって一瞬感動したが、絶対に最近植えた筈である。
なお、ここでも満鉄の時計とか写真とかいろいろ売りつけられそうになった。
あとはタクシーの運ちゃんが気を利かしてくれて、日本統治時代の建物を巡ってくれた。
関東軍司令部(閉館日なので入れず)

旅順博物館(閉館日なので入れず)

川島芳子邸

旅順駅(現在は休止)

旅順はこんな感じでした。
一路大連へ戻る。
大連の市政府前にて。

その後、旧ロシア人街に行きました。

夜、ホテルに戻る。
ホテル周辺は今も昔も大連の中心地であり、「中山広場」といって円形の広場になっている。
wikipedia 大連中山広場近代建築群
夜は広場がライトアップされ、人民たちが踊ったりする憩いの場となる。

我がホテルもライトアップ。

こんな感じで2日目の大連を満喫いたしました。
3日目:9/20(火) 丹東
大連の次に行きたいと思っていた街、丹東へ。
なんでかというと、ここは中国と北朝鮮の国境の町であり、線路と道路がかかる「中朝友誼橋」という橋がかかっている。
聞くところによると、中朝の物流の7割がこの橋を経由するらしい。
北朝鮮関連の物品が売っていたりと、中国にいながらにして偉大なる共和国の息吹を感じることができる、というわけだ!
行くしかない(確信)
『地球の歩き方』によると、大連から丹東はバスで4時間らしいが、ついこの間中国版新幹線が開通したらしく、それに乗った。

JR大阪駅…ではなく、大連北駅。
2時間ぐらいの乗車だったと思うが、3000円くらいだった。
日本なら1万円はぶん取られていたところだ。

丹東駅へ到着。
北朝鮮への国際列車も発着する駅だが、このときは見られず。
ホテルにチェックインすると、もう昼頃であった。
お腹がすいた。
さあ丹東で食事を…となれば、もちろんここにいくしかない。
北朝鮮レストラン
説明しよう!
北朝鮮レストランとは、朝鮮人民共和国政府が外貨獲得のため、世界各地(もちろん、米帝や南朝鮮、日帝などの敵国以外)で北朝鮮が国営で運営している朝鮮料理レストランである。
北の料理を味合うことができるのもウリだが、なんといっても北朝鮮の上流階級の子女(おおよそ大学生)が喜び組…ではなくウエイトレスとして強制労働…ではなく出稼ぎにきて働いており、彼らが給仕だけではなく歌や踊りも披露するのである!
共産趣味者の間では「北レス」と呼ばれている。
日本に普通に住んでいれば、在日の人々を除き、北朝鮮人に会うことなど殆ど無い。
時たまワイドショーなどで面白おかしく特集される以外に、北の文化に接することもないであろう。
共産趣味者としては、中国に来たからには「北レス」訪問を外すことはできなかった。
というわけで、ホテルから徒歩2分くらいのところにある北レスへ。
店名は柳京酒店という。
残念ながら食べログ非掲載(当たり前)なのでURLは貼れないが、中朝友誼橋からすぐそばにある。
外観は普通の大きなレストランという感じだが、よくみるあの国旗が貼ってあり、妙に緊張する。
朝鮮語はもちろんのこと、中国語すら話せない。
大事な注意事項を聴き逃したりして、万が一拘束されたらどうしよう…。今拉致されたら絶対帰ってこれないぞ…。
朝鮮語も全く知らないわけではないが、チョソンインミングン(朝鮮人民軍)とか、イデハン(偉大な)とか、マンセー(万歳)とか、チャングンニム(将軍様)とか、明らかに語彙に偏りが見られるので、ピンチになってもどうしようもない。
しかしながら、なんとか好奇心が恐怖心を勝り、入店に成功した。
女性の店員が来た。
中国語でしゃべってくる。何を言っているか分からないが、とりあえず胸に目をやる。
別におっぱいを見たいわけではない。アレを確認するためだ。
そして、やはりあった。
金日成バッジだ!!!!あのバッジつけてる!!!!!
この若い女性は紛れもなく北朝鮮人ということだ。
おお、人生で初めて俺は北朝鮮の人にあったというわけだ…。
感動している俺に向かって、店員が中国語で喋り続ける。
何を言っているかわからないので、とりあえず人差し指一本を立てる。
サイゼリヤで「何名様ですか?」と聞かれて無言で指を立てるいつもの動作を、ここ中国丹東の北朝鮮レストランでも敢行した。
とりあえず1名ということは分かってくれたが、続けて中国語で何かを話してくる。
わからない。
マジで分からないので、この中国旅行で私が一万回唱え続けたマントラを、この北朝鮮ウェイトレスにも発することになる。
俺「ウォーシーリーベンレン…(我是日本人)」
結果的に言うと、通じなかった。
発音が悪かったのかな…。
ここは、これでチャレンジするしかない。
勇気を持って、俺はこういった。
俺「い、いるぼん…」
「日本」を意味する朝鮮語だ。
すると、通じた。
急に驚いた表情を見せるウェイトレス。
そして、ウェイトレスが別の店員に助けを求める。
「○○ドンジ~~~!」
おおおお!今ドンジ(同志)っていった!同志って言ったぞ!
リアル同志頂きました~~~~!
日本人が来るのはさすがに珍しかったのだろう。
名も知らぬウェイトレス同志がなんとか席に案内してくれた。
ほっ…。
着席すると、別の店員同志が現れた。
かわいい。
明らかに平壌に住む特権階級子女の中でも顔がいいのを選んでここに連れてきている。
よくみりゃみんなかわいい。
歳は…おおよそ日本の大学生に相当するぐらいか。
この同志は英語が喋れた(日本人が来たので、英語の喋れる人をつけてくれたのだろう)が、あまり英語が上手くなく、意思疎通には苦慮したが、中国語でしゃべられるよりはマシなので、なんとか注文を終えることはできた。
北朝鮮といえばコレである。

平壌冷麺である。
恐る恐る口にしてみると…
美味しい。
普通に美味しい。
コシがあってうまい。
チャンジャらしきものは辛いが、辛くないと朝鮮料理を食べた気にならないので、これはこれで良い。
時は19世紀、プロイセン王国の宰相ビスマルクは、普仏戦争のさなかにも、フランス産のワインを愛飲していた。
その様子を見聞きした国王ヴィルヘルムは、ビスマルクに詰め寄ったそうだが、その際ビスマルクはこう答えたという。
「恐れながら陛下、愛国心と舌は別物でございます。」
食は万里を越えるものである(餃子の王将曰く)。
ぜひとも我が国で北朝鮮料理を自由に飲食できる日が来るのを待ち望んでいる。
ちなみに、店内は閑散としていた。

聞くところによると、この年の1月に北朝鮮が核実験を強行して以来、各地の北レスに来る客が激減したそうだ。
しかも、この訪中の1週間ほど前にも、5度目の核実験を強行しやがった。
正直やべえんじゃないかというタイミングでの丹東訪問であったが、特に異変は感じなかったものの、やはり客は少ない。
そうこうしてると、ショーが始まった。
客と同じぐらいの数の店員同志が出てきて、向こうの歌を歌う。
我が国でも(一部の趣味者の間で有名な)「金日成大元帥万々歳」や「我々はあなたしか知らない」や「攻撃だ」を歌ってくれると期待していたのだが、さすがに北朝鮮といえど他国のレストランで政治的な歌を歌うことはなく、向こうの一般歌謡曲を歌っていた。
北朝鮮の曲だけではなく、西洋の洋楽っぽいのも演奏していた(教養がないので何の歌かわかんなかったが)。
ショーはこんな感じであった。

チマチョゴリだ~と思ってミラーレス一眼で写真を撮ってると、店員同志が近づいてきた。
写真はダメらしい。
あ~これは拉致か~と思ったが、写真の消去を要求されもせず、カバンにカメラを直したら特に何も言われなかった。
なお、『地球の歩き方』には、「丹東で唯一ショーの撮影が許可されている店」と書いてあった。
ウソじゃねえか。
冷麺を食って満足したあとは、中朝友誼橋へ行く。
現役の橋の横には、鴨緑江断橋というものがある。
これは、日帝強占期…もとい、日本統治時代に作られた橋であり、釜山から来た鉄道がこの橋を渡り、ここから南満州鉄道へ接続していたらしい。
下関から朝鮮、そして満州へと繋がる日本の植民地統治における超重要な鉄道路線だ。
ただ、この橋は朝鮮戦争の際に米軍に破壊され、橋桁だけが残っており、プロパガンダ的に観光地として残してある。
さて、川を隔てて中国側の北朝鮮側に分かれているわけだが、中国側からは遊覧船が出ている。
この船に乗れば、北朝鮮の国土まで間近に迫ることができる。
乗るしか無い。
というわけで、乗った際の写真を列挙する。

左が現役の中朝友誼橋、右が鴨緑江断橋。

北朝鮮側に見える工場。
実はこれ、朝鮮に残してきた王子製紙の工場らしい。未だに使っているのかな…。

北朝鮮側の船もとおる。
なんか結婚式っぽい。タイタニックみたいなことしてるが、視聴すると公開処刑される米帝の映画の筈では…。

遊園地である。
もちろん、観覧車は回転していなかった。要するにハリボテである。

釣りをする朝鮮人民軍兵士。
食糧事情が悪いので、兵士と言っても自給自足が求められている。
一方その対岸では、美味しい平壌冷麺を食べることができるわけで、ある種申し訳なさすら感じる。


労働者。
お土産屋を訪れる。
丹東で買えると言われていた、金日成バッジを探すも、一切見当たらない。
ぐぐると、どうやら北朝鮮側の要請により、販売の自粛勧告が出てしまったらしい。
なんてことだ…。
丹東に来た目的の半分が…。
失意の中、ひとつの土産屋で、文化大革命トランプ(意味がわからないだろうが、文革期のスローガンとプロパガンダアートを描いたトランプがある)を興味深そうに見つめ、それを購入すると、店員のオッサンが話しかけてきた。
オッサン「ニホンジン?」
コクリと頷く俺。
そうすると、オッサンはゴソゴソを何かを持ってきて、俺に見せてきた。
金日成バッジであった。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
金日成バッジだけではない。金日成・金正日親子のバッジや、3代目のデブのバッジまである。
しかも、1個200円くらいである。
国家の偉大な指導者の、命よりも大事なバッジを、200円で販売されてしまっては、北朝鮮当局が嫌がるのもたしかである。
とりあえず数個購入できた。

下船後、とりあえず鴨緑江断橋を渡る。
単なる観光地であり、都市部からの中国人観光客でいっぱいである。

数百メートル先は、ヴェールに包まれた謎の国家、朝鮮民主主義人民共和国である。
そうこうしてると、なんと1日1本の中朝国際列車が中朝友誼橋を渡ってきた!

いやはや、非常に運がいい。
鉄道ファンとしては、この瞬間に立ち会えたことに非常な悦びを感じた。
一応、YouTubeにも動画を汚いが上げておいた。
平壌と北京とを結ぶ、寝台の国際列車である。
https://www.youtube.com/embed/PC5cnHhyedE
なお、夜も別の北レスを訪れた。
こちらは昼いったとこよりも閑散としていた。

こちらでもウェイトレス同志に「イルボン」と告げると、日本人が珍しかったらしく、半笑いになりながらイルボンサラムがどうのこうのと同志たちとわいわい何やら後ろで話していた。
何を言っていたか分からないが、帰り際に「バイバイ~!」と言ってくれたのがかわいくて、思わず逆脱北しそうになってしまった。

(また冷麺である)
高層ビルの立ち並ぶ丹東側はギンギラギンに輝いている一方、対岸の北朝鮮新義州市は真っ暗である。
中朝友誼橋はライトアップされる。

漆黒の街から、資本主義光りをする橋と丹東市街を見て、一応は中国と同じ社会主義国家である北朝鮮の人民は何を思うのであろうか…。
これからの朝鮮人民の行く末を心配しつつ、眠りについた。
後編、瀋陽訪問は後日書きます。
おやすみなさい。