#607【旧ブログ2017年1月9日投稿】拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(後編)瀋陽

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拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(後編)瀋陽
2017年1月9日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52176840.html
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前回のブログ☆デン!☆
もはや昨年秋の話を今頃になって一生懸命記事にしているわけであるが、9月にふと思いたち、中国は旧満州へ行ってきた。
前編では1日目・2日目に訪れた大連、
中編では2日目・3日目に訪れた旅順と丹東のレポートを記したので、まだ読んでおられない方はそちらを参照されたい。


4日目:9/21(水) 瀋陽

行きしは大連の空港を利用したが、旅行に行くときは往復を同じルート使わないというポリシーから、帰りは瀋陽から飛行機に乗ることにした。
瀋陽は、中国東北部最大の都市である。満州国時代は首都は別の場所になっていたが、それでも昔からこの地方の中心都市である。

丹東から瀋陽からも、高鉄(中国版新幹線)が最近開通したらしく、それを利用する。

丹東駅。
高鉄に乗ろうとホームにいくと、なんとなんと平壌行きの国際列車に遭遇した!





うおおおおお!平壌って書いてある!
写真などでしか見たことなかったあの国際列車が、今目の前にあるのである。
実物が見れるとは思わなかった。

高鉄に乗る。



だいたい1時間半くらいで到着する。

瀋陽駅に到着した。



どうでしょう、何か見覚えはないだろうか?
そう、東京駅である。
この瀋陽駅も日本統治時代に建設されたものだが、かつては奉天駅といい、東京駅の設計者辰野金吾の弟子が設計したそうだ。
同様の例は、ソウル駅の旧駅舎なんかもそうである。

さて、かつて奉天といったこの都市は、後金(のちの清朝)が北京へと都を遷す前の都である。
世界史履修者ならみんな大好き、ヌルハチやホンタイジの時代の王都である。
その故宮も状態良く残されているわけだ。





一応行っておいた。
漢字とともに、満州文字が描かれている。

その近くに、世界史でも日本史でも出て来る張作霖のお家がある。
奉天軍閥を率いた張作霖や張学良なんかの屋敷である。



張学良といえば、歴史の教科書に出てくる人物のわりにはめちゃくちゃ長生き(2001年死去)で有名だが、よくわからないが張学良は中国本土でも尊敬されているようだ。
漢奸とそうでないものの区別は、中共と台湾(国民政府)とでまた違ってたりするので、ややこしい。

そのあと、九一八歴史博物館に行ってきた。
ここは満州事変の発端となった柳条湖事件が起こったとされる場所にたつ博物館である。
この事件以降、日本は満州地方・中国大陸への侵略を開始するので、中国側にとっては極めて重要なメモリアルゾーンとなっているわけである。

リットン調査団よろしく、ここを視察しにきた。



日本人だとバレるとなにされるか分からないので、無言でスーッと入っていく。
(愛国心をかきたてるためのプロパガンダ施設であるから、入場は無料である。)



中国人民のための施設ではあるが、同時に日本帝国主義の悪行を世界に宣伝する施設でもあるということだろうか、驚いたことに異様に多言語対応していた。展示の全てに渡って、中国語・英語・日本語が併記されている。






こういうノリで展示が続いていく。

こうしてパシャパシャ写真を撮っていると、係員のオッサンにすげえ話しかけられてきた。
(マズい)
何かを伝えたいようだが、何を言っているか分からない。
だがここで日本人であることを告げると、何をされるや分からない。
まあ日本語の展示がある以上、別にリーベンレンお断りではないだろうが、ここは異国である。
広島の平和記念公園に米国人が来ていても、我々は何も思わないし、むしろ全ての展示を遍く見て帰ってもらいたいと感じるだろうが…。

にしても何かを淡々をしゃべってくる。
すると「カメラ」という単語が聞こえた。
ああそうか、ととりあえずカメラをしまったが、まだなんかしゃべってくる。

無視して展示を見ているのだが、しゃべってくる。
まあそう怒っている雰囲気ではないので、勇気を持って、便利なあの言葉「我是日本人(ウォーシーリーベンレン)」を発声した。
そうすると、オッサンは、「ああ、日本人ね」(原文ママ)と言ってどこかに去っていった。

なんだろう。
日本人専用の特別洗脳展示プログラムでもあるのか…?
と訝しつつも、しばらく展示を順に見ていると、今度は若めの女性係員が現れた。
係員がスマートフォンを取り出す。
するとスマートフォンが喋りだした。
「モウスグ、ヘイカンジカンデス」

そうか。そういうことか。
閉館時間に近いから出て行けということか。
どおりでさっきから俺の前には客がいるが後ろには客が入らず、俺が去ったゾーンはどんどんと電気を消していっていたのか…。
オッサンには悪いことをした。
日本人だからどうとかそういうのではなく、単に閉館時間が近づいていたからさっさと展示見ていけということだったか。

閉館時間はまだ過ぎていなかった筈だが、たしかにあと10分とかだったので、さっさと閉めたかったのだろう。
そこらへんはチャイナクオリティだがまあ良しとしよう。





あとはどっかでメシくって、北朝鮮の脱北家族が駆け込んだことで有名な在瀋陽日本総領事館を遠くで眺め(めちゃくちゃ警備の目が厳しかったので退散)、ホテルに戻ろうとして、タクシーを呼んだ。
中国では、タクシー移動が便利で安い。
10分・20分乗っても200円くらいで済んだりする。
運転は荒いのだが、バンバン走ってるのですぐに掴まるし、日本の地下鉄料金ぐらいで乗れる。
(ちなみに地下鉄も走っているが、料金は初乗り30円くらいである。)

そうしてタクシーに乗ったのだが、このタクシー、荒い中国のタクシーの中でも際立って運転が荒い。
左手でスマートフォンを持ち友人と会話しつつ、右手に無線を持ちながら、逆走をする。
誇張ではない。マジである。
百歩譲って、電話をするのは良しとしよう。
でも逆走はやめてくれ。
一万歩譲って、対向車が来ていないなら逆走も良しとしよう。
でも今はバンバン普通に対向車来ているじゃないか。

ああ、俺の命もここで終わりか~と思っていたが、なんとかホテルのある交差点に差し掛かかり、下車することができた。
その瞬間別の客が乗り込み、やれやれと思いタクシーからさっさと離れると…



事故りやがった。

右のでかい黒い車にぶつかりやがった。
ほ、ほれ言わんこっちゃない…。

客はぶつかった瞬間すぐに車を降り、何事もなかったかのようにどこかへ歩き去っていった。
2分ぐらいすると白バイが来て一応聴取をするも、特に物的・人的損害が無かったのだろうか、これまた2分ぐらいで全員解散してしまった。

明日から空の旅で日本に帰国するつもりであったが、危うく明日を待たず永遠の空の旅へと出発するところであった…。
命がいくつあっても足りねえ。


さて、泊まったホテルは、かつて「奉天ヤマトホテル」という名でこれまた南満州鉄道が経営していたホテルである。
リフォームはしているものの、基本的には当時のまま残っている。
こちらも大連ヤマトホテルと同様に、今では設備も古くなってしまいかつてほどではないが、戦前~戦後すぐぐらいまでは、瀋陽(奉天)を代表する一流ホテルであった。




朝食の会場に、かの李香蘭がデビュー前に立っていたステージなんかが残っている。




その他にも、毛沢東が泊まった部屋などが残っている。
このホテル自体が、満州国の歴史を物語る貴重な観光地ともいえるが、ここもまた日本のビジネスホテルぐらいの値段で泊まれてしまう。

ホテルの前は、大連と同様、満州国時代からの中心地であり、今は毛沢東の像が立っている。






5日目:9/22(木) 帰国

この日は帰国するだけ。
瀋陽中心地から瀋陽空港までは、タクシーを利用した。
60分ぐらい乗って、70元。1200円ぐらいである。

変な土産も買ってないし、パスポートさえちゃんと持ってれば帰国できる…筈。
預ける荷物もなく、一人なのでさっさと手続きも終えて…と思ったら、係員が日本語で喋りかけてくる。
「お客様スイマセン」
えっ、何?思想がバレたかな?
「お客様の席を無料でグレードアップさせていただきました。ビジネスクラスにお乗りいただけます」

???!?!?

へっ!?
チケットには、たしかにBUSINESSと書いてある。

調べたところによると、飛行機というのはキャンセルを見越して実際の席数よりも少し多めに予約をとっているらしく、見通しが甘くて(?)予約数よりも席数が足りなくなりそうになると(いわゆるオーバーブッキング)、一部の客を上段のクラスへとアップグレードさせたり、出発便の変更をしてもよいという客を探したり、という手順をとるらしい。

いろいろな記事によると、客の選別は全くの無作為ではなく、諸条件に適合する者(一人利用で、会員で…)のうち、早い者勝ちでアップグレードされるようだ。
利用頻度の高い会員だったら行けるとか、身なりがよければ選ばれやすいとかいろいろ書いているが、どう考えてもその2つには適合していない。
ANAは国内線はたまに利用するが国際線は初めてだし、身なりなんて、その日はたしか、中学3年生のころから着ている、「加藤畳店」と書いてある謎の緑色の半袖Tシャツを召していたように記憶している。
利用頻度は分からないが、少なくとも身なりはどう考えても最下層に位置していた筈である。


そんなこんなで、人生でおそらく最初で最後の国際線ビジネスクラスに乗ることになってしまった。
この便はたしか3万円ぐらいだったかと思うは、あとで調べたらどう考えても10万円は下らない金額である。
最後の最後でものすごい運を使ってしまった。

1周回って身なりが良かったのかもしれない(意味不明)。
あるいは、実は自分でも知らされていないが皇族の末裔であり、宮内庁がこっそり気を使ってくれたのかもしれない…。
などと妄想をしつつ、機体に乗り込む。

加藤畳店のTシャツを来た小男が、キョロキョロと周囲を見渡す。
どう考えても分不相応だ。中国の富裕層みたいなのしかいない。
完全に「異物」である。
ビジネスクラスは機体の前方にあるので、エコノミークラスしか利用できない愚民ども(お前もだ)が通路を通り過ぎていくのだが、どう見ても無料でアップグレードしてもらった奴にしか見えないので、そう思われないよう縮こまっていた。

無料アップグレード民であっても、機内でのサービスは遜色ない。
まず、チーフキャビンアテンダントが一人ひとりに挨拶をしてくる。
「本日はご利用ありがとうございます」だとよ。征夷大将軍に拝謁するかのように俺もお辞儀を返す。

1番良かったのは、メシもエコノミークラスの連中とは別メニューであるということだ。
ワインも飲める。無料で。
たいしてお酒も飲めないくせに、飲む前から気分が良くなり勢いで注文してしまった。



往路便で途中まで見たレ・ミゼラブルを視聴する。
ワインを飲みながら、愚民たちの革命を鑑賞するの図、である。
ワハハ、こりゃあ貴族だ(汚い靴下が写り込んでいるが無視して下さい)。

座席もふかふかで、めちゃくちゃリクライニングするので快適であったが、たいしてお酒も強くないのにワインをグビグビ飲んだせいで、最後の1時間ぐらいはすげえ気持ち悪かった。
吐くほどまでではないが、気圧や機体の揺れも相まって、頭がいたくなり、どの姿勢をとってもしんどい。
無料でビジネスクラスにアップグレードしてもらって浮かれた愚民の末路である。やはり俺にはビジネスクラスは早かったようだ…。


飛行機は無事成田に着陸。
この日は雨だったこともあり、とてつもない湿気に驚きつつも、夕方には自宅に帰った。
日本に帰ってきてまず感じたのは、みんな交通マナー良いなあ…ということである。
普通に歩いていて危険を感じることはあまりない(ないわけではないが)。
歩行者優先というアタリマエのことが、むこうでは通じないのだ。



ま、こんな感じの5日間でした。
去年の秋の話を今頃してすいませんでした。

次はドイツかトルコにでも行きたいが、カネがないのでまたいずれか…。
(旧満州に一人でいくだけでも結構つかいました)

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