#604【旧ブログ2016年11月28日投稿】拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(前編) 大連
★★★★★★★★★
注意:
この記事は、旧ブログ(http://blog.livedoor.jp/moneylight/)において、【2016年11月28日投稿】に投稿した記事を、Movable Type形式でlivedoorブログからnoteにインポートしたものです。
あくまでブログの継続性を担保するために機械的に記録したものにすぎず、レイアウト等はほぼ引き継げておりません。
また、2014年4月以前の記事については、noteの仕様上投稿日が正しく表示されません。
記事をお読みになりたい方は、旧ブログ側のページにアクセスいただけると幸いです。
<旧ブログ記事へはこちら>
拓け満蒙の大沃野!旧満州旅行(前編) 大連
2016年11月28日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52173326.html
★★★★★★★★★
お久しぶりです。
マネーライトです。
前回のブログ更新は8月1日ですか…。
きょうこそはきょうこそは更新しようとと思いつつ、知らぬ間に3ヶ月以上経ってしまった。
では忙しかったのかというと、そういうわけでもない。
11年続く当ブログの傾向であるが、むしろ自分が忙しいときに更新が増える傾向にある。
高3秋~春にかけての大学受験期、大1の前期(我が出身学部は1回生の前期が最も忙しい)、大3冬~大4春のジョブハンディング期…
こういう時期は、個体としてのバイタリティも上がってるし、記事を書くネタも豊富になるのだろう。
逆に何にもしてない時期は、ブログを書こうにも大したネタもなく、書く気力にも乏しい、といったところなのだろう。
近頃は働いているので別に何もしていないわけでもないが、
休日は基本一人行動だし、大学時代に比べれば特に書くネタもない。
昔に比べるとツイッターで発言する回数も格段に減っているので、つまんねえ大衆の一員へと埋没しつつあるように感じている。
とはいっても、唯一趣味の旅行に行ったりしているので、きょうはそのことでも書こうと思います。
普段私は良く一人で国内を(主に鉄道を使って)旅行に行っているが、
ついに国内鉄道旅行にふと飽きたと感じる瞬間があった。
この俺が、である。
18きっぷで行けるようなところは行き尽くしたし、昨年にはついに念願の鉄路での北海道上陸を達成し、全国の主要幹線は制覇してしまった。
こうなると残るは、海外である。
ふむ海外…。
私が行った海外は以下のとおりである。
中3:上海
2泊3日で父親と行った。
マネーライト少年にも海外を経験させてやろうという親心だと思われるが、金がないので上海にしか行けなかった。
毛沢東Tシャツを買ったことぐらいしか覚えていない。
高2:韓国
修学旅行。
釜山から大邸、ソウル、38度線見学、仁川。
クラスメートがパスポートを紛失したことぐらいしか覚えていない。
大4:台北
学部の学友と卒業旅行。
九份や、台湾総督府、アニメイト台北店などを見学。
大日本帝国が占領していた場所ばっかじゃないか…。
さて、海外となると1泊2日ではいけない。
2泊3日ぐらいだとそれこそ韓国や台湾ぐらいしか行けないので、
シルバーウイークに有休を2日取得して、6連休を爆誕させた。
6連休あれば、そこそこ遠いところでも十分に行くことが出来る。
というわけで、以下の候補にしぼり、調査を始めた。
トルコ共和国:イスタンブール
ロシア共和国:サンクトペテルブルクもしくはモスクワ
中華人民共和国:大連
うち、ロシアはビザの取得にかなり時間がかかるらしく、しかも英語があまり通じないということなのでやめた。
キリル文字を習得する時間がない。
個人的にはイスタンブールに行き、東ローマ帝国の遺構をじっくりと見たかったのだが、空港でISISが自爆テロを起こしていたり、クーデターが起こっていたりして運悪くちょうどヤバそうな時期だったのでパス。
結果的に、またもや大日本帝国の旧植民地「大連」へ行くこととなった。
9/18(日)~9/22(水)の5日間を利用し、旧満州国の地域をめぐることにした。
行程はこうだ。
1日目・2日目:大連と旅順
3日目:丹東
4日目:瀋陽
5日目:帰国
とりあえずよくわからないので地球の歩き方を購入した。
消去法で選んだ大連・丹東・瀋陽であったが、非常に心をくすぐられる。
悪名高き関東軍や南満州鉄道の遺構などがかなり多く残っている。
憎き日本鬼子の建てたものであるにも関わらず、意外と今でも使われている建物も多い。
一応、街の紹介を軽くしておこう。
大連・旅順
三国干渉で一度はパチり損ねたが、日露戦争の結果、日本が初めて中国大陸において獲得した土地である。
大連を拠点に、日本は満州地域への侵略を進めていくわけである。
歴史的経緯もあり、今でも日本企業は大連を拠点に多く進出してきている。
旅順は大連郊外の港であるが、これも日露戦争の激戦地である。
二百三高地をめぐり、日露双方とも多数の犠牲を払った。
今でも中国海軍の軍港である。
丹東
北朝鮮への玄関口。
川を隔てて対岸が北朝鮮であり、列車と自動車が通れる橋がかかっている。
中朝の人的・物的移動の7割がここを通過するとか。
瀋陽
中国東北部(旧満州)最大の都市。
昔は奉天といい、世界史履修者みんな大好きヌルハチやホンタイジ時代の清朝の首都である。
いずれも旧関東州・満州国の領域であるから、いろいろな建築物が日本が残していったものであるようだ。
それに、丹東は北朝鮮との国境ということもあり、中国に居ながらにして不思議な国家北朝鮮の片鱗を味わうことが出来る。
私にしてみればこんなにおもしろい旅行はないが、たぶんこんなの誰も来てくれないと思ったので、相変わらず今回も1人でいきました。
写真とともに、旅程を紹介していきます。
写真の多くは顔本でも上げているので、ここは「興味のあったところを中心に」紹介していくこととします。
1日目:9/18(日) 成田空港→大連
京成スカイライナーに乗り、人生初の成田空港。
遠いと言われる成田であるが、日暮里からスカイライナーに乗れば正直すぐである。
京都から関空に行くほうがよっぽど遠い。
成田空港といえば個人的には三里塚闘争のイメージしかないが、普通に離陸。
久々の海外である。ANA派なので、国際線もANAを利用する。
窓際だったのが特に景色も見えないので、座席備え付けのモニターでレ・ミゼラブルを観賞。
数年前にイオンモール京都駅前で見て以来2回目だったが、やはり良い話である。市民革命とは何たるものかを十分に学習してから共産主義国へ入国する革命家の鑑。
ところで、海外とは言えツイッターが出来ないと死んでしまうので、前日に慌ててSIMカードを調達した。
//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=pokemonuniver-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B00KF4OG6K&linkId=249210a60c85e0732e2c392ae7592e4e
中国聯通香港とかいうところの怪しいSIMカードである。
実は中国では、さすがはまだまだ共産主義というところか、ツイッターやグーグルに接続できない。
ただ香港の通信事業者の回線を使えばどうも繋がるらしいので、これを利用した。
着陸前にこのSIMカードをiPadへと一生懸命差し込んでいると、となりのジジイが話しかけてきた。
一人旅の醍醐味は様々な人との出会いである、などとよく言われるが、私は現地の人や旅行客などとコミュニケーションを取ろうと思ったことは一切ない。
したがって、「内心喋りかけないでくれ~~~」と思っていたが、気がつくと大連空港に到着後、車でホテルまで送って貰えることになっていた。
ありがてえ。
到着後、その爺さん(日本人)と、爺さんの仕事仲間(日本に帰化した大連出身の中国人)と嫁らしき人物の乗る車に、同乗させてもらった。
その帰化した中国人のひと曰く、大連は親日的な人が多いらしい。
歴史的に日本とのつながりも深く、いろいろあったのは事実だが、日本が様々なインフラや文化を残していってくれたことに一定の敬意と感謝の気持ちはあるらしいのだ。
ふうむ、そんなものなのだろうか。
親日・反日の二分法は私はあまり好きではないが、中国も決して反日一枚岩というわけではないのだなと感じることができた。
泊まったホテルは「大連賓館」というところである。

ここはなんと、旧南満州鉄道が経営していた「大連ヤマトホテル」というホテルで、日本占領時代は大連で最も格の高いホテルであった!
ただ、今は老朽しているので、日本のビジネスホテル程度の値段で泊まれる。
それでも、日本時代から続くホテルに未だに泊まれるのは感動である。
中身もこんな感じ。


基本的には当時のままと思われる。
ここには2泊するが、泊まるホテル自体が既に観光地である。
ちなみに朝食会場はこんな感じ。

お札を燃やして灯りをともしてそうな戦前の成金になった感じさえする。
おかゆが美味しかった。
徒歩圏内に満鉄旧本社があるので、行ってみた。

中には入れたが、写真を取るには絵葉書を200元(=3000円くらい)で買う必要があるとかいってたので、あんまり撮ってない。
大連駅

どこかの駅に似てると思わないだろうか?
そう、上野駅である。
この大連駅は当時の上野駅を模して作られたらしい。
さて、大連は市電が通っている。
これも日本統治時代に引かれたものだ。
しかも、日本統治時代の車両が未だに走っている(左)。
一方で、最新型の低床式車両も走っている。


2日目・3日目・4日目もあるが、とりあえずきょうはここまでにしておこう。
おやすみ~(ホモは唐突)