#600【旧ブログ2016年3月29日投稿】ツール・ド・リアス
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注意:
この記事は、旧ブログ(http://blog.livedoor.jp/moneylight/)において、【2016年3月29日投稿】に投稿した記事を、Movable Type形式でlivedoorブログからnoteにインポートしたものです。
あくまでブログの継続性を担保するために機械的に記録したものにすぎず、レイアウト等はほぼ引き継げておりません。
また、2014年4月以前の記事については、noteの仕様上投稿日が正しく表示されません。
記事をお読みになりたい方は、旧ブログ側のページにアクセスいただけると幸いです。
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ツール・ド・リアス
2016年3月29日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52151534.html
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お久しぶりです。
マネーライトです。
春分も過ぎ、日が長くなってまいりましたね。
冬の仕事が忙しすぎて、更新間隔も長くなりすぎました…。
3/26、この前の土曜日はJRグループのダイヤ改正であった。
今回の改正の目玉は北海道新幹線開業である。
昨年の北陸新幹線ほどの盛り上がりはないが。
諸君らにとってみれば何の日でもなかろうが、俺にとっては重要な日だ。
なんたって、ダイヤ改正日だぜ!(思考停止)
その5日前、3/21は何の日かというと、
これまた諸君らにはどうでもよいが、
このブログの開設11周年記念日だ。
24歳の人生のうち、11年間の日記がウェブ上に公開されているかと思うと恐ろしくなる。
この御時世、ネット上に個人が特定できるような情報を散りばめておいて得をすることなんか一切ない。
不倫も賭博も全部バレる。
仮に俺が議員に立候補したら、公示1日目でブログを発掘されて政治家人生アウト確実だ。
そういえば、このブログの運営会社の元社長も、かつては政治家を目指したのう。
私がlivedoorにブログを開設した2005年当時は、非常にブイブイいわせていた。
今思えば炎上商法だったのかもしれない。
ちょうどlivedoorがニッポン放送をTOBで株買収なんてやってて騒がれてたころにまんまと乗せられlivedoorのサービスを利用した。
それから11年の間に、ホリエモンは逮捕され、しかも刑期を終えて出獄しやがった。
早いものである。
さてそこから1周間前の3/14は…
えっと、去年のダイヤ改正日ですか?(すっとぼけ)
あれは高校2年の2月だっただろうか。
その前年に女子どもがあまりにも2/14にチョッコレイト配布に狂乱したために、
教員から「バレンタイン禁止」の通達が降りたのであった。
生徒も馬鹿なら教員もわりと馬鹿なのかと思ったが、確かにかなりのバカ騒ぎをしていたので、
禁止令が出ても可笑しくはなかった。
もちろん当時もバレンタインには縁が無かったマネーライト少年は、この禁止令を「童貞憐れみの令」とも捉え、その通達を忠実に遵守したのであるが、どのみちチョッコレイトの闇取引がこっそりと至る所で行われていたことは想像に難くない。
バレンタインが禁止されるということは当然にホワイドデーも禁止されていると解釈できるので、少年は3/14も禁チョッコレイトを守り通した(そもそも貰っていないものは返す必要が無い)。
それから時は経ちー
このバレンタイン禁止令は解除命令が無いまま、2016年を迎えてしまった。
私は命令には忠実なので、今年もこの禁止令を守り通したわけである。
かつてフィッピンのルバング島に、生き残りの日本兵が潜んでいるという話があった。
戦後30年位たった頃だっただろうか。
小野田少尉という人物だが、彼は陸軍の情報将校(いわゆるスパイ)で、終戦後も「日本の敗戦は米国の流した流言だ」と捉え、30年近くもフィリッピンに潜み、彼のみ大東亜戦争を続けていた。
そんな彼も発見され、日本に帰るよう説得されるのだが、「直属の上官の命令がないと帰還出来ない」と言ったのだ。
私の心境としては、小野田少尉のそれに等しい。
高校時代の当時の教員によって、直々にバレンタイン禁止令の解除を通告してもらわねば困る。
ちなみに小野田少尉の場合は、本当に上官をルバング島まで連れて来て、投降命令を受けるのであった。

そんな話はどうでもよくて…
3/14の3日前、3/11は東日本大震災から5年目であった。
当時は大学1年であった。はやいなあ。
そういう節目だったからというわけではないが、先日東北の三陸地方へと旅行に行った。
要は18きっぷの消化である。
別にボランティアしにいったりとかそういうわけではなく、普通に旅行して、美味しいもの食べて、少し上からの言い方になるが「お金を落としていこう」と思ったのである。
とはいえ、やはりどの程度復興が進んでいるのかを見ておきたい部分はある。
ブログにも記事を残しているが、2012年の夏に福島県と宮城県の太平洋沿岸を訪れている(これまた18きっぷで)。
その時点からどのように変わったのかを見ておきたいというのはあった。
当時の記事
2012年09月22日
18きっぷ東北1 ~月日は百代プラチナ疲れた!~ - マネーライトのオールナイトニッポン
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/51978881.html
2012年09月26日
18きっぷ東北2 逃避行 - マネーライトのオールナイトニッポン
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/51979715.html
いつもは18きっぷの細かなルートを書いて鉄分豊富な記事にするところだが、
めんどくさいので訪れた場所を箇条に書いていくこととします。
3/19(土)~21(月祝)の3連休で訪れました。
●仙台(3/19)
ちょうど仙台駅がリニューアルした翌日に訪れた。
震災以前の仙台を訪れたことがないのでなんとも言えないが、非常に活気にあふれていた。
震災以降、仙台はプチバブルであると言われている。
復興に携わる特に土木関係の資本や人材が集中し、非常に景気がいいらしい。
確かに其のように見える。
ただ、仙台へは初日の3/19昼に到着してから、ぐるりと三陸まわって後に翌日3/20夜に再び仙台へ戻ったときにふと感じたのは、
震災で甚大な被害を受けた他地域から資本と人材が吸い上げられ、単に東北地方内での仙台一極集中が進んだだけではなかろうか、ということである。
実際のところどうなのだろうか…。
●仙石東北ライン(3/19)
今回の旅行の目的のひとつ、仙石線(仙台と石巻を結ぶJR線)。
実は2012年夏に訪れたときは、津波で線路が流されたまま不通になっていたが、去年の5月に一部区間を高台移転して全線復旧した。

単体で見れば儲からなくとも、やはり鉄路の復旧というのは復興の象徴になるのは間違いないのだろう。
しかし、開通から1年近く経つというのに、未だに”同業者”の姿が多い。
仙台駅での乗車待機列の1番まえにいた男が、車両が到着するやいなや一目散に車内へ駆け込んでいくのでそんなに必死に座りたいのかよ新快速に座るオバチャンじゃねえんだからと思っていたら、一目散に目掛けて走ったのは運転席のすぐ後ろのいわゆる”かぶりつきスペース”だったことには驚いた。
走って立ちにいく乗客を俺は初めて見たね。
●気仙沼線BRT(3/19・20)
津波で不通となったローカル線にもう一度線路を通して復旧させることが財政上非常に難しいので、もともと線路が引いてあった場所をバス用に舗装するなりして、バスで仮復旧を果たしたものがBRTとして運行されている。
2012年夏に来た頃はまだ「仮復旧」で、BRTになったばかりだった。
気仙沼線の廃線跡を舗装してバス専用道にした区間も、2012年時はほんの数キロメートル程度であったが、今回訪れたらめちゃくちゃ増えていた。
一般道を通るよりも定時性が確保できるし、早い。
よその目から見れば、BRTでも悪くないのではないかと感じたが、実際のところ住民はどう感じているのであろうか…。
●南三陸町志津川地区(3/19)
津波で甚大な被害を受けた地区である。
有名な「南三陸町防災対策庁舎」があるところである。
2012年夏に訪れたときは、こんな感じだった(以下写真はどこかから拝借)

ガレキ以外なんにもない青空の下に佇む赤色の廃墟。
震災の象徴の一つであった。
それが今の風景はこうだ。

このうしろの盛土が、今回訪れたときと前回訪れたときで私の中で大きな差異として目に焼き付けられたものである。
これはかさ上げ工事による盛土らしい。
なにかというと、街全体をかさ上げするため、土を盛っているのだ。
それも1mや2mではなく、10m以上の規模で高くする。
実際に見てみると、写真で見るよりもかなり圧倒感がある。
ある区画が盛り終わったらまた次の場所を盛って、そこがおわったら…の繰り返しなので、街がボコボコしている。
ピラミッドみたいなのがいくつもあるのだ。
いくら東北の一漁村だったりしても、そんなに面積は狭くない。
かなり広大な土地を盛るわけだ。
正直、「これ終わるんか?」と見てて思ってしまった。
途方も無いとはこのことを言うのではなかろうか。
陸前高田なんかもかさ上げ工事がすごかった。
いわば集落一面が工事現場ともいうべき様相を呈している。
果たしてかさ上げをして人が戻ってくるのかというのはあるが、とはいえかさ上げをしない今までの標高の街であればたぶん誰も戻ってこないだろう。
私にはこの途方も無い盛土の砂が、数年単位では決して解決しないうず高く積み上げられた問題の大きさを象徴しているように見えた。
●南三陸町歌津地区(3/19・20)


BRT化した気仙沼線歌津駅から車で10分の宿に宿泊した。
そこしか楽天トラベルで取れなかったのだが、送迎に来てくれた。

すんげえおいしかったゾ~
●大船渡(3/20)
大船渡魚市場のレストランで海鮮丼を食べようとしたら案外人が多くて売り切れで食えなかった。
仕方ないので国道沿いのファミマでクリームパンを買った。
大船渡の海を見ながら食うクリームパンは…いつもと同じ味であった。
●相馬・原ノ町・福島第一原発(3/21)
原発事故のせいで帰還困難区域に指定され、不通となり再開の目処がたってない常磐線の原ノ町~竜田間について、去年くらいから代行バスが走り始めた。
ただし、途中駅には一切降りられないどころか、窓すら開けてはいけない。
国道6号線についてはかなり除染はしたらしいが、フクイチ兄貴から直線距離で3kmまで近づくぐらいのところではやっぱり線量が高いらしい。
其の代行バスは常磐線扱いなので18きっぷでも乗れるので、それにのって関東へと帰ることにした。
帰還困難区域に入ると、地震で倒壊したままの家とかが放置されているのが見える。
福島第一原発らしき建物の一部も見える。
3/11からの数日間、ほんのちょっとの運のよさで我々は関東で生活できているが、あそこで2号機の格納容器が破裂していたら東日本全体がこの帰還困難区域と同様の風景になっていたかと思うと、背筋が凍る思いがした。
以上です。
なんやかんやまた鉄道旅でした。
こんどは大船渡で絶対に海鮮丼食べるぞ。
おやすみなさい。