#588【旧ブログ2015年2月9日投稿】情報と対価

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情報と対価
2015年2月9日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52108529.html
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ボケっとしてたら早いもので、2月になった。
如月です。
如月…
ウオオオオオオオオオオオオオオオン(謎の咆哮)

去年の2月、あの人生で最も暇だったと言っても過言ではない1ヶ月から、もう1年が経ったかと思うと感慨深い。
その最も暇だった1ヶ月から一転、現在私は大変忙しい。
普段は暇なんだけども、1月と2月は極端に業務繁忙期となる。いわば季節労働者。
それが終わり4月や5月になれば超暇になる(はず)なので、いっぱい休んでやろうと思っている次第。
カレンダーを見ると、今年のGWは飛び石連休なのですが、それを有休で埋めると、12連休ぐらい創設することができるのです。
もうそれが楽しみで仕方ない、そんな毎日を送っている。


1月もそこそこ忙しかった。
家にいない時間が12月に比べ極端に長くなったので、電気代も節約できたかな…と思ったら跳ね上がっててワロタ。
なんでや。

去年の1月といえば、卒論でヒイヒイ言っていた時期である。
卒論の提出日は12月20日であったにも関わらず、なにゆえ1月になってもヒイヒイ言っていたのか。
もちろん、再提出というやつである。
たしか1月20日ごろが最終稿提出だった。
その期限を「火曜日朝」と勘違いしていた俺は、日曜日を夜まで遊びに費やし、まあでも月曜に完成させりゃあいいかと思っていたら、ゼミメンバーから「月曜17時」までの提出であるということを月曜の昼ぐらいにメールで知らされ、2時間ぐらいでまさに殴り書き状態で書き上げたものが崇高なるアカデミシャンたちに輪読され、1週間後の口頭試問の場で殴り書いた卒論で殴り返され、そのまま逃げるようにして神戸の宿を引き払い、京都へと帰っていった、そんな1月でした。


非常に出来の悪い卒論であったが、さすがにwikipediaから構成したわけではない。
wikipediaに載っている情報でレポートが書けるのは教養課程までである。
誰も読まないような本を読み、誰もやってないようなまとめを書くからこそ卒論なのである。
wikipediaに載っているようなこと書いてもなんにもならないのだ(当たり前)。
あるいは皆が読んだ本に対して新しい視点から考察するからこそ卒論なのである。
思想系の専攻だったので、一にも文献、二に文献、三四がなくて、五に文献である。

というわけであの数カ月間は、大学時代で一番本を読んだ。
俺は本当に本を読まない。
読書量が圧倒的に少ない。
普段マンガと時刻表しか読まないような男が、急に学術書を、しかもその難解さから誰もが敬遠する思想系の本を読む羽目になったのだから、頭が痛くなるのは至極当然であった。
私の専攻はミシェル・フーコーというフランスのオッサンだったのだが、一年間彼の研究をして分かったことは、「彼の文章からは何らかの催眠波が出ている」ということであった。



去年の1月は、私がいかに本を読んでこなかったかということを如実に実感した月であった。

しかし、この読書量の不足は、私に限らないのではないかと思う。
周囲でも本を読まぬ人が結構多い。
若者の活字離れというやつである。
おおよそ今の50代以上なんかの昔の様子を調べてみると、明らかに当時の大学生は今の大学生に比べて本を読んでいる。文化系でも理科系でもだ。

今はどうだろうか。
読書好きとされる人はともかく、それ以外の人は日常的に何か本を読んでいるだろうか。
ラノベとかじゃなくて、新書とかでもいいし、ハードカバーの変な本とか、小説でもいい。

明らかに昔に比べて、皆が本が読まなくなってきている。
しかもそのスピードは実に早い。
出版業界のピークは1990年代後半らしいが、そのころに比べ、現在の出版業界の市場規模は65%に激減している。
20年近くで市場規模が半分近くになったという恐ろしい業界である。
集英社のジャンプなどを除き、あらゆる本が売れなくなっている。
ベストセラーと呼ばれるものも消えつつある。
私が思うに、みんなが買って読んだことがある本なんてのは、ハリーポッターが最後なんじゃないだろうか?

売れるのはマンガだけで、新書、実用書、文芸書、文庫、雑誌などなどあらゆる出版物の販売数が急速に落ちてきている。


様々な理由があろうが、大きな理由の一つに、やはりインターネットで情報が簡単に、そして無料で手に入る世の中になったということが大きいであろう。


我々が飲み会や食事の場所を決めるとき、何を元に店を探しているだろうか。
多くの場合は食べログやぐるなびなんかを見ていることが多いんじゃないだろうか。

それでなくとも、適当に飲食店を探そうと思えば、ネットで調べればいくらでも情報が出てくる(情報の品質については後述。
しかも無料で。
そんな状況で、昔のように本を買って飲食店を探そうとするであろうか。
そう多くの人が考えた結果、タウン誌やグルメ誌などの雑誌は瀕死となっている。
私なんかは、食べログぐるなび以外の飲食店の探し方を思いつかないレベルまで達している。


タウン誌だけではない。
かつてなら新書や変なハードカバーの実用書なんかで知を得ていたものが、いまでは「やる夫が○○に挑戦してみたようです」などというタイトルのまとめブログの記事によって、未知なるものに対する知見を得た(かのように錯覚している)。

時刻表や地図なんかもそうである。
グーグルマップやヤフー路線検索などの普及によって、無料で得ることができるようになった情報を、特にこだわりのない人々がわざわざ有料で得ようとはしないのは当然である。
かつては毎月100万部以上の販売部数があり、影のベストセラーと呼ばれていた時刻表も、今では公称10万部程度(JTB時刻表の場合)であるという。
私だって普段はヤフー路線検索を利用している。


その他の様々な情報も、ちょっとググればある程度の情報が出てくるということを、我々若者は経験としてよく知っている。
金を払って情報や知識を得るという発想が、我々若者からは無くなってしまったのである。


しかし、そこで問題になるのが、「情報の質」である。
情報は空気のようにタダで手に入れるものであるという認識が広まった結果、情報には品質があるということを我々は忘れてかけているように思える。
無料で手に入る情報というのは、それ相応のレベルのものであることが多い。
必ずしもお金を払えば質の良い情報が手に入るというわけではないが、質の良い情報はお金を払わないとなかなか得られない。
無論、現在のマスコミの状況を見ていれば、前者の部分(お金を払えば質の良い情報が得られるわけではない)についてはすぐに分かることである。
ただここで大事なのは、だからといって、無料で得られる情報のみを得ている状態で、無料で得られない情報を蔑み、得ようとしないようになってはならぬということである。
これが内田樹のいう「マスメディアから下方に離脱する人々」である。
情報に対する選球眼があって、それでも無料で得られる情報のみを摂取するのであれば良いが、そういった選球眼は、無料有料問わずあらゆる媒体からの情報を得られるような人ではないと付けられない。

やはり価値のあるものにはちゃんとお金を払うようになっていかなければならないと思う。
無料だからといって価値がないとか、有料だから必ず価値があるとかそういったことではないが、価値ある情報というのは、得てから出ないと価値あるかどうか分からないし、無料有料で線引して無料のみの情報を得るのではなく、あらゆる情報には貪欲に、ケチらないで欲しいということを言いたいのである。

かといってなかなか本の購入にお金を払える人々ばかりではなくなってきているのも事実である。
かつてであればそれこそ毎月の書籍代に費やしていたお金を、今は月5000~10000円以上もするスマホの支払金に消えている。
月5000~10000円というのは、若者にとってはあまりにも大きな出費である。


いろいろと申し上げたが、とはいえ個人的には、現在のメディアがお金を払いたいと思えるほど価値あるものを提供できていないという点も、大きな問題であるとは思っている。
かくいうおれも、得る情報の99%はインターネッツ、列車の乗り換えはヤフー路線検索、地図はグーグルマップ、電車での暇つぶしは小説ではなく嫌儲であるから、自戒を込めた今回の記事でした。おやすみなさい。

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