#611【旧ブログ2017年5月21日投稿】原付二種de東海道五十三次 前編~化石燃料を得た山の神~
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原付二種de東海道五十三次 前編~化石燃料を得た山の神~
2017年5月21日
http://blog.livedoor.jp/moneylight/archives/52187689.html
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天気良いですね。
暑い。春 has gone。
JR東日本ではトランスイート四季島なる豪華寝台クルーズ列車が今月から走り出したが、最近の我が国は春も秋もねえし二季島だよって感じだ。
今年はゴールデンウイークの時点で結構暑かった。
そんな暑い黄金週間を振り返りたいと思います。
4月より京都へ戻った不肖マネーライト、黄金週間は何をしていたかと言うと…
東京に居ました。
何だマネーライト!1ヶ月で京都が嫌になったか?
というわけではありません。
引越作業をしていました。
というのも、私の身体は4月頭に京都に持ってきたわけであるが、
荷物の大半はまだ東京板橋に置きっぱなしであったのだ。
本来は3月末に荷物を搬出したかったが、ご存知のとおり3月の下旬というのは引越価格が跳ね上がる。
2倍とか、そういうレベルじゃない。口にもしたくないような金額をふっかけられる。
1ヶ月余分に家賃を払って待った方が安いというぐらいの金額だったのだ。
その他もろもろ間に合わなかった事情もあり、黄金週間に改めて東京へ戻り、荷物の搬出を行うこととしたのだ。
荷物自体はおおかた梱包済である。
搬出は5/4朝の予定なので、
5/3に新幹線で東京へ向かった。
ついでなので、靖国神社近くの「昭和館」へ向かう。

戦中、戦後のポスターに関する特別展がやっていたのだ。
俺得でしかないので、この機会に見に行った。
東京都民であったころは、東京で催されるこういう様々な展覧会やイベント、公演などはすぐにいくことができた。
大規模なツアーライブなどは全国を回ったりするが、そういうのはごく一部であり、イベント毎はやはり首都圏でしかやらないことが多い。
そこが関東在住であることの大きなアドバンテージである。
京都市民となった今、こういう小さな特別展であっても、本当に見に行こうと決意すると、わざわざ高い交通費をかけてくる必要があるのかと実感した。
元ネトウヨなので、一応参拝する。

いつもは1億円くださいとかしょうもないことを願うのだが、この日は交通安全を神に祈った(後述)。
その後、旧自宅へ。
明日からは旧自宅ではなくなる。
概ね梱包を終えていたとはいえ、廃棄物の処理がまだ終わってなかったので、夜まで作業をする。
途中、近所にいる大学時代の学友とバーミヤンを食い、寝る。

ベッドも捨てたので、布団を床に引いて寝た。
引越は、3年前の東下り時にも利用した日通の単身パックを使った。
そしてすっからかん。

大学に合格し、例の山の上の大学寮へと引っ越したときから数えて、実に6回目の引越である。
7年間で6回。ヤドカリかな?
さて、全ての作業は終わった!
京都へ帰るか!!!!!
原付で。
そう、今からわが愛車アドレス110という原付二種スクーターに乗って、国道1号線下道を延々西進し、京都を目指すのだ!
全ての荷物は先程搬出したが、唯一スクーターだけは運ばなかった。
バイクは別送になる。しかも数万の輸送費がかかる。
だったら自分で乗って帰れば新幹線代も浮くし、ツーリングにもなって楽しいし、一石二鳥、三鳥ではないか!
ということで、乗って帰ることにした。
東京から京都のルートは様々ある。
最も良いのは東海道新幹線。2時間ちょいである。
ただ、就活期含めあまりにも東海道新幹線に乗りすぎて飽きてしまったため、東海道新幹線以外のルートを使いたい病気にかかっているのが最近の私である。
年末年始の帰省時には、金沢経由で帰省した。
東京から北陸新幹線で金沢まで行き、兼六園をかすった程度に観光したあと、特急サンダーバードで京都へ降りるルートだ。
2017年01月03日 社会と私と年末年始
飛行機は使えないこともないが、伊丹まで行かないと行けないので京都市民はあまり使わない。が、選択肢の一つではある。
自家用車を使うなら名神・東名高速である。最近は新名神・新東名を使うことも出来る。休憩なしで5~6時間程度だ。
夜行バスも利用可だ。6時間~7時間かかる。
学生時代の通過儀礼として経験するのは、青春18きっぷである。中でもロングシートで景色も富士山と浜名湖以外大したことない静岡県の約3時間の旅は、屈指の苦行区間として知られる。
そんななかで、高速道路に乗れない原付二種が通るべきルートは、ひとつである。
それは東海道である。
ここは旧東海道のルートを概ねたどることになる「国道1号線」を選択するほかない。
化石燃料に頼ることとはなるが、少しでも江戸時代の人々の気持ちを味わいたい。
原付二種五十三次、あるいは国道1号膝栗毛である。
アキバ万世橋を右折し…

5/4 13:00
東京都 日本橋


京都へ向かうのなら、はじまりは日本橋でなくてはならない。
日本国道路元標でパシャリ。
京都まで一路500kmの旅である。
新幹線なら2時間ちょい、
高速道路なら6時間程度、
青春18きっぷなら9時間程度(いずれも休憩なし)のところ、
明日夜の到着、つまり1日半を想定している。
ちなみに、江戸時代の東海道は京都・大阪までだいたい14日程度かかったと言われている。
(大井川などで足止めを喰らわない場合)
男性だと江戸を出発して最初に宿泊するのが戸塚宿あたりだったと言われており、そういったことも踏まえつつちんたらとスクーターを走らせると面白い。
普段のツーリングであれば事前の経路確認や、グーグルマップ、場合によってはナビアプリが欠かせないが、今回は殆ど国道1号を走ればそれで良い。
ただし、静岡県内で125cc以下進入不可の自動車専用バイパスが出現するので、そこだけは注意して行かねばならない。
逆に言うと、自専バイパスさえ気をつければ、天下の国道1号線だし、走りやすいだろう。
…と思ってました。
13:52 神奈川県突入
多摩川大橋を渡る。
ここまで渋滞もなくスイスイと走る。
天気が非常によい。
西に向かって走るが、午後になると完全に太陽に向けて走ることになる。
フルフェイスではないので、オタクのくせにサングラスを装着する。
鶴見線か何かだと思う。
本日の宿は静岡市なのだが、あと158km…。

横浜を過ぎると、戸塚、藤沢、平塚、と抜けて小田原へ着く。
さて、平塚を過ぎると、途端に道路が狭くなる。
対向2車線のどこにでもある田舎の道路になってしまう。
ててて、天下の国道1号なのに、ナンデ!?
これは静岡県内でも愛知県内でも、全ての区間に言えることだったのだが、
バイパスがある区間は、国道1号線が往々にして狭いのである。
天下の国道1号線は、他のどのような主要国道とくらべても、明らかに都市化されたところを通っていく。
要するに、ほとんど田舎といえる区間がない。ずっと都市部なのである。
対して、本来の東海道というのは狭い。そりゃあ江戸時代には追い越し車線とかもない。
しかも、国道1号自体の歴史も古いので、旧東海道とはズレた区間に道路を作っていても、正直容量が足りなくなったりする。
そういった場合、バイパス道路が作られることになる。
バイパス道路ができればそちらがもちろん国道1号線の代替として使われる(あるいはそっちが国道1号線の新道となる)ので、それまで使っていた国道1号線はそのままになる。

つまり、何らかのバイパスがある区間は、国道1号線が狭いままになっているのだ。
平塚から小田原の区間がまさにそうであった。
ここは太平洋側に西湘バイパスという自動車専用道がある。この区間で下道を使う車はそっちを使うわけだ。
ただ、良いこともあった。
たしかにくっそ狭い、これで1号線か!?と思えるような区間ではあるが、明らかに旧道なのである。
道路の湾曲の具合、沿線の住居の古さ、急に合わられる寺社仏閣…
ああここらへんが東海道だったのだろう、ということがよく分かる。
そして何よりも、おそらく大磯あたりだったと思うが、横に松並木が見えた。

このあいだをバイクで走り抜けていくわけである。
江戸時代の東海道といえば、松並木である。
東海道だけに限らないそうだが、街道を整備するとき、幕府は松並木を沿道に植えさせたそうだ。
東海道五十三次にも松並木がたくさんかかれている。下の浮世絵はまさに大磯宿のもの。

明治維新以後も少し残っていたらしいが、戦時中に「戦闘機の燃料が足りん!松根油がガソリンの代わりになるらしいぞ!!!」と誰かがいったせいで大真面目に松を消費したせいで、殆ど残ってないと聞いていた。
ただ、一部では残っていて、後から調べるとその一つがここ大磯だったようだ。
この松並木が江戸時代からのものなのかどうかは正直よくわからないが、雰囲気だけはなんとなく味わえる。
そんなこんなで
15:57 小田原市へ

静岡まで100kmとなる。
さてここからは、東海道イチの難所、箱根越えである。
江戸時代の人は1日目に江戸から戸塚、2日目に戸塚から小田原まで来て、3日目は朝から箱根を目指し、一気に三島宿まで行くのがベターだったらしい。
要するに一日で山越えである。
箱根山は800メートルを越える。
完全に山道である。

箱根駅伝で出てくる場所である(ちょっと前にここのトンネル使わなくなったけど)。
なお、さっき紹介した大磯のあのへんも、箱根駅伝のルートだと思われる。
箱根駅伝の中継では沿道の紹介とかもあるので、もしかしたらご存知だったかも。
下りの渋滞を尻目に、どんどん登っていく。
俺のアドレスが唸りを上げる。とても性能がよく、速度も出る良い原付二種だが、流石に山道だとパワー不足を感じる。
そして、17時すぎ…

箱根・芦ノ湖へ到着!
寒い!めっちゃ寒い!外界はあんなに暑かったのに!
何が国道1号線だよ、完全にただの山道じゃねえか。
ずっと上り坂である。それも、我々が普段まちなかで遭遇するような坂ではない。何度も言うが、山である。
こんなところを、箱根駅伝では走るのかと思った。
無理だ。まず走ることが出来ない。歩いて登るので精一杯である。
この区間が非常に特異とされている理由を実感できた。
たしかにこれは、この区間専用のトレーニングを受けたものでないとまともに戦えない…。

二子山である(たぶん)。
第三新東京市でのヤシマ作戦において、拠点となった場所である。
休憩をおえ、三島へ着く頃には暗くなっていた。
18:43 沼津
19:00 富士市
と経て、
20時には静岡市へ入る。
距離の割にはかなり早く到達できた。
というのも、沼津から静岡市までは、125ccでも乗れるバイパス道路がかなり整備されている。
基本的に信号もなく、流れも60km~速いと90kmぐらいで流れているので、ほとんど高速道路みたいなものである。
20時半には静岡市内の宿へ到着。
頑張れば浜松市ぐらいまで行けたかもしれないが、夜中に無理は禁物である。
近くの寿司屋で、回らない寿司を食す。

めちゃくちゃ美味しい。
清水港で捕れたものらしい。
閉店近くだったので客は一人であったが、大将も気さくで、非常に良い店であった。
翌日早朝からバイクにまたがるため、アルコールの摂取を控えたのが残念であった。また着たい。
2日目は静岡から名古屋、四日市を経由して、大津から京都へ向かいます。
きょうはこのへんにしときます。