繊細さんにとってのユートピアを考える
たまには理想を思い描いてみるのもいい
昔流行ったアニメドラえもん。主題歌で「あんなこといいな、できたらいいな、あんな夢、こんな夢いっぱいある~けど~」という歌詞が印象的だった。思えば昔は、理想を描くことも多かった気がする。理想とは、目標ではなくまず叶いそうもないことを思い描くことだ。
ドラえもんの道具のように、まず現実ではあり得ないけどあったらどんなにいいだろうと思えるものや、実現したらどんなにいいだろうと思えることを思い描く。
この殺伐とした世の中ではそんな理想を思い描く時間も大切なのかもしれない。
理想な働き方とは?
とはいえ、ドラえもんの道具の話をここでするわけではない。
大人らしく?現実にはないけどどういう働き方だったら、労働や人間関係に対してどんなに抵抗がある人でも受け入れることができるだろうか?という話である。
以前私がタイミーで働いた記事を掲載してとても好評だった。それだけ、タイミーという働き方に関心がある人が多いという事だ。
そして、その記事ではタイミーは現状HSPや繊細さんなど職場での人間関係などに不安がある人にとってとてもよい働き方であるという話もした。ところが、タイミーは今のところ他の働き方に比べbetterではあるが、それでもbestな選択肢ではない。
そこで、現実にはまだないがどういう働き方だったらbestと言えるだろうか?今日はそれを考えて見たい。
派遣先で出会った似た境遇の人
現在私はタイミーは暫くお休みしていて、12月まで短期の派遣の仕事をしている。その派遣先で一緒になったある人と理想的な働き方について少し話をした。その人も、やはり職場での人間関係が苦手で、工場作業系のようなモクモクとする短期の仕事を探していた。
理由としては、ある程度の期間同じ仕事で働くと、顔を覚えられてしまうのが嫌だということだった。
私はその気持ちとても分かると思った。
タイミーの記事でも書いたように人見知りには2タイプいる。
初対面だと緊張してうまく自分が出せないタイプと何度か顔を合わせるうちにだんだんボロがでたりして上手くいかなくなるタイプである。
その派遣先で一緒になった人も私と同じ後者のタイプのようだ。
長期で仕事をして何が嫌かというと、一緒に働く人に顔を覚えられてしまうのがまず嫌なのである。人によってはえっそんなに?と思うかもしれないが、実際そうなのである。
私のように繊細な人だと、人から直接的に嫌なことを言われたりする場合はもちろんだが、相手から何か特別に嫌なことをされたわけでなくても次第にその環境が嫌になってしまうということが往々にしてある。
それは、自分が相手に話したことをいちいち反芻してしまったり、相手の自分に対する印象について「つまらない奴と思われたかな?」とか「使えない奴と思われたかな?」などと勝手に想像してしまうことも原因のひとつだ。
そして、次第に何だか居心地が悪くなってしまい、同じ職場に行きずらくなる。
そういう意味で、その場限り、一度きりのタイミーはまさに理想なのだ。
その派遣で一緒になった人は、タイミーをまだ利用したことがないらしく今の派遣が終わったらタイミーをやってみると言っていた。
その方は、別に給料はどうでもいい、と言っていた。自分にとってムリなく働くことができる方がよほど大事だということだった。
どうやら、2か月の派遣でも長いと感じるらしかった。しかし、それもよく分かる。
人間2,3週間も毎日同じ環境にいれば人間関係と呼べるものができてきてしまう。そうなるともうつらいのだ。
では理想があるとすれば何が最善か?
では、もしタイミーよりさらによい働き方があるとすれば、どういうものが理想の働き方と言えるだろうか?
まず、タイミーの現状でのマイナス点を挙げると
1.賃金が安い
2.やりたい時に自分ができる仕事が必ずあるとは限らない
3.安定しない
こんなところだろうか。
現状タイミーの賃金は交通費込みで時給換算で1200円前後のところが多い。(東京近郊エリア)中には肉体労働で時給1500円ほどのところもあるが稀だし、継続してやるには現実的ではない。
最低賃金の保障が改善されたら?
現在政治の世界では最低賃金1500円を目標とする声が上がっているが、例え1500円になったとしてもやはりタイミーだけで生活するには不十分である。タイミーは大体半日の仕事なので、時給1500円でも日給6000円だから週5働いても月に12万円ほどにしかならない。これでは、一人暮らしの借家住まいを想定した場合家賃4万以内に収めてもギリギリ生活できるかといったところである。
そもそも、繊細さんにとって週5フルで働くというのも結構ハードルが高い。
労働は無理強いされるべきか?
もう亡くなってしまったが、ズバリ言うわよで有名だった細木数子氏は労働の対価としての給料は我慢料と言っていた。
しかし、私はそれは違うと思う。本来労働は本人の意思や自由な時間を犠牲にして無理にやるのはおかしいと思っている。
それは資本主義社会の勝ち組の立場からすれば、給料は我慢料というのは自分たちにとって都合がよい考え方だろう。なぜなら、大衆は嫌な労働を我慢してやって、そこで稼いだ金を自分たちが提供するコンテンツに使ってくれればそれでいいからである。
金持ちは嫌なことを無理してやらなくても自然と金は入ってくる。対して、大衆は嫌な仕事を我慢して続けなくてはならない。そして現実問題としてそれが、長いこと続いてきた。
しかし、その考え方は最近になって大分変わってきた。
本来はタイミーのような働き方でも生活が成り立つ社会であるべき
本来労働は、人生の生きがいや喜びのために行われるべきものだ。
しかし、現実は労働が生きがいということを実現できている人はほんの一握りの人間にすぎない。
賃金水準がそもそも時間的にも無理して働かなければ生活が成り立たない水準に設定されてしまっていること自体がおかしいと思っている。
働き方の問題というより、物価を加味した必要な基本生活費と賃金体系のバランスがまずおかしい。多くの人にとって自分を犠牲にしなければ、生活できない仕組みに初めからなってしまっている。
多くの人にとって賃金云々抜きにして考えたら、世の中にはやってみたいことや興味があることは山ほどあるだろう。
ベーシックインカムでも最低賃金の上昇でもなんでもいい。とにかく、基本生活費は何らかの形で保障されたうえで、タイミーでも何でもお金抜きにして何らかの形で個人個人が社会に貢献して生きがいを見いだせる世の中、一人一人が生き生きと過ごせる世の中になって欲しい。
社会で成功を収めた一握りの人が得をする世の中ではなく、苦しい思いをする人が一人でも減ることを念頭に社会が形成されていくことを切に願っている。