Fラン大学出身の父が5年で年収1000万に到達した方法①


はじめに

これは娘の私が父の経験をnoteを通じて世間に広まってほしいと思い書き始めたものです。
父はnoteなどに記事を投稿するのが面倒らしく私が書いてみました!
短めの記事を少しづつ更新していく予定です!
父に質問しながら書いているのでこの記事の投稿は父が忙しいと更新が遅くなってしまいますが気長に待っていただけると嬉しいです(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”

父のスペック

父は今40代です。
大学では経営学部でした。
職業は医療法人経営です。
大学を卒業してから1年間フリーターでした。
私からみた父の印象は、優しいけど変な人だなとおもいます笑
他人のことをよく観察しているみたいです。

学生時代の父の話

小学4年生から野球を始め、そこから大学2年生まで野球中心の生活をしていたそうです。なので中学高校は野球のことしか無いと言っていました。
県内の代表選手30人に選ばれたり、地元のメディアや新聞記事に取り上げられたりしたそうで、頑張っていたみたいです。
父は野球のことについて大逆転ができるから面白いと言っていました。
野球部からはチームという意識の大切さを学べましたが、理不尽で非論理的な練習をさせられたと言っていました。笑

ずっと野球中心の生活だったので大学3年生からは卒業単位のために勉強と交渉をしていました。交渉というのは授業に毎日出るだけでは単位が足りなかったらしく、ロシア語の先生に「テストを全部90点以上取るから単位が欲しい」と交渉し、簿記論の先生には「資格を取るから単位が欲しい」と交渉していたそうです。

大学4年生になり、授業が少なくなってから友達のコネでバイトを始めたそうです。
暇で一般常識の勉強もしていました。
そして、近所のおじさんに就職氷河期で就職できないと言われ、勝手に警察の試験を申し込まれました。公務員にはなりたくなかったのですが、申し込まれたので面接などを受けたと言っていました。笑

最後に

記事を読んでいただき、ありがとうございました!
最初から長すぎると、読む気力がなくなってしまうかなと思い、まずは父の学生時代までをまとめてみました。
記事を書くために父に質問をしていたら、お菓子を食べながら答えてくれました。笑
いろいろ教えてくれていたのですが、1000文字以内に収めようと思っていたので書ききれませんでした。

私が父の立場だったら単位がやばくても交渉しようとは思えないかもしれません笑
父は自分の経験を私の将来のためにもよく話してくれるのですが、聞いてて勉強になったり面白いことがたくさんあります!
次の記事は父のフリーター時代や就職後の話になりますのでぜひ読んでいただければと思います。


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