高校留学したのは語学でも文化でもなく生き方を見直したかったから
都内で学生をする傍ら『サイボウズ式』というメディアにてインターンをしている大学4年生です。
ここにきて以来、これまで抱えてきた悩みに向き合う機会をたくさんいただいてきました。
そのおかげで自分の気持ちや思考と向き合うことが楽しく、とても居心地のいい時間になってきました。
サイボウズ式が今まで属してきたどんなコミュニティーとも違うのは、「逃げることは決して悪いことじゃない」「耐えられない状況で我慢する必要なんてない」そんな視点をいつも与えてくれるところだと思います。
というのも私はかつて、
自分の中にその視点がなかったせいで、
「どうしても耐えられない」
「今日こそ車の前に飛び出してしまいたい」
と深く思い悩む時期がありました。
中学生の時でした。
私は、都内にある中高一貫の女子校に通っていました。そこまでシャカリキに勉強をする校風はなく、音楽や絵画、スポーツなどに興味を示す生徒が多くいました。特に得意な分野もなかった私は、唯一面白いと感じた数学と英語の勉強に精を出すようになりました。
すると、その二つの成績が学年で上位を取るようになり、面白くなった私は、学問の本質的な部分は置いておいて、ひたすら参考書を解き、どれだけ順位を上げることができるかに快感を覚えるようになりました。
今思うと、完全にゲーム感覚だったと思います。
しかしすべての教科において総合一位を取るようになった頃には、もう戻れない場所いました。
「もし次の試験で二位になったら、私の価値が下がる・・・」
誰にも言われてないのに、勝手に妄想を始めるようになります。
日に日に妄想癖が強くなり「前回成績の良かったあの子は私のことが嫌いだ」「この問題が解けなかったら、ご飯を食べちゃダメだ」、そんな風に自分の首を絞めていきました。
最終的には定期試験の度に強い吐き気に襲われるようになり、走ってる車を見ると「今飛び出せばどんなに楽か・・・」とおかしなことを考えるようになります。
情緒不安定な私を見た両親は、逃げてもいいんだよ、頑張らなくてもいいんだよと何度も言ってくれましたが、そんなはずない、二人だって期待しているんだと聞く耳をもちませんでした。
しかしある日のことです。所属していた吹奏楽部で、勉強も楽器もできる、当時とても尊敬していた先輩がこれまで聞いたこともない決断を打ち明けたのです。
「夏から一年間、留学します。」
「行き先は、アラスカです。」
・
・
・
「ワッ???!!!!!!!!!!!!!」
天地がひっくり返るような感覚でした。「留学?!!ここまで築いた成績や地位をおいて?!そんなことできるか、、っていうかアラスカってどこだよ?!」私は困惑とともに、なんだか不思議な気持ちになりました。
しかし、この先輩の報告が後の私を救いました。
中学3年生の夏、今までにないくらい自分を追い詰めた結果、精神的に限界に達します。アホな私にもわかりました。「ダメだ、一旦この環境を離れよう。自分の身を守るにはそれしかない。」
当時の自分が唯一許せた”逃げ道”、留学への思いを両親に必死に伝えました。二人は即座に動いてくれ、AFSという中学生でもアプライできる留学団体を見つけて申し込みをしてくれました。15歳の女の子を一人で海外に送る不安もあっただろうに、全力で背中を押してくれました。
AFSには参加資格を得るための英語と一般教養の試験がありましたが、そこで初めて自分のために頑張ろうと本気で勉強をしました。無事に合格し、参加資格を得た私は「はて、どこに行こう...」と今更になって考え始めました。何しろ「どこかへ行きたい」より「ここから逃げたい」というモチベーションで頑張っていたので...。笑
でも、その時はっきり思いました。
「もう競争しなくていい場所に行きたい。」
語学とか文化とかそういうのも習いたいけど、自分のために生きれる、そんな一年にしたいな、と。
今みたいに頻繁に「死にたい」と思ってしまう生き方を見直せる、豊かな生き方や暮らし方が習える国に行きたい。
そこで、のんびりとしたライフスタイルで知られ、若者の幸福度が高いと聞いていた北欧「スウェーデン」という国を選びました。
今でこそIKEA、H&M、Spotifyなどで名前が知られるようになったスウェーデンですが、当時は「スウェーデンってどこ?」「スイスだっけ?」など、たくさんの質問を受けました。笑
「なんで非英語圏に行くの?」「受験に活かせる英語圏がいいんじゃないの?」という質問が一番困りましたが、文化に興味があって..など適当に受け答え、なんとか「逃げる日」までたどり着くことができました。
スウェーデンでの一年間は、文字通り「ただの人間」として、初めて自分自身と向き合う時間となりました。ストックホルムでは現地高校に通い、何もわからないぞー!とあわあわしているうちにスウェーデン語を覚え、勉強や遊びに夢中になりました。
向こうの学校では、単なる暗記能力は「スキル」とはみなされず、何においてもとにかく意見を考え、パラグラフライティングを踏襲して文章を書かせます。新しい学習法+外国語(しかも英語じゃない)での勉強は、正直日本にいる時より労力を必要としました。
しかし、そんな中でも一切気持ちが病まなかったのは、「あなたは何がしたいの?」「あなたはどう考えるの?」と常に問われる環境があったからでした。どんなに勉強しようと、それは自分のための知識であり、自分のための思考であり、自分のための時間だと理解していました。
これまで私の中を支配していた「点数の高さ、行動の速さ、生活の忙しさ」といった価値観を圧倒的に超える「幸福度」(それをしたらどれだけ幸せになるか)という尺度をスウェーデンの人たちは教えてくれました。(教える気なんてなかっただろうけど。笑)
とは言っても、相変わらずテストのスコアなどは気にしていましたが、ふとある時、
「いや点数が高くても、自分が幸せじゃなかったら意味ないじゃん。」
そう心から思えた時、もう私は自分を傷つけないな。と安心して、その安堵からかちょっとだけ涙が出ました。スウェーデンに逃げて来て本当に良かった。ミッションコンプリート!
帰国後は大学受験をし、行きたかった大学に通っています。気弱な私を四年間支え、卒論執筆まで引っ張ってくれたのは、留学時に抱いた「私は”市民”じゃないのかもなぁ」という問いです。(これはまた今度。笑)
「逃げたい」と思って飛び出した先で、私は生涯追いかけたい問いに出会いました。今はその問いのためならなんでもしたいと思っていますし、サイボウズ式にいることもその目標達成のためのアクションの一つです。
「逃げる」とき。その瞬間は、本当につらいです。というか怖いです。
ただ、もう少し自分を愛することも必要だったなと思います。
私には、大好きで、尊敬していて、もっと自分本位になってほしい人がいます。今回のnoteは自分のためでもあるのですが、その人にも読んでもらえたら嬉しいななんて思っています。
とーどーけー。笑