社会をよくするってなんだろね
「なんで選挙行くんですか。」
当時も、そして今も、私は選挙に行く自分を少し恥ずかしいなと思っている。
若者なのに週末に選挙行くって暇そうだし、政治に興味あるって生活に余裕があるからだし、社会の痛みすべて知ってるわけじゃないし。だからなんで行くのと聞かれたときも「いや、わかる、私もそんなんじゃないよ」とわかりのいい人間ぶっていた。でもずっと逃げまわってきたこの感情と、近々向き合わないといけない。
選挙に行く理由。答えはシンプルだ。公的なサポートでいい思いをしたことがあるから。あの体験をもう一度したいから。その体験とは学生時代の留学のことで、教育費と社会保障費を全て公助でまかなう「超ふとっぱらな国、スウェーデン」のできごとだ。いやさすがに理想すぎるだろと、もうここで離脱してしまう人いそう。わかる。だって、私もそんな夢見心地な自分が恥ずかしくて選挙に行くことを恥じてきたから。
公的なことって、あらためてなんだろうなと思う。言語化のうまい友人曰く、「みんなの問題をみんなの時間とお金で解決すること」と訳せるけれど、そのみんなってそういえば誰だろう。家族、ご近所さん、友人、会社の人たち、地域の人。どれも顔が見える範囲。死んでしまったら、涙が出る人たち。私にとって、みんなってそれくらいの近さの人だ。
香港、ミャンマー、シリア、ウクライナ。ここ数年、私たちがコロナと向き合ってきたなかでそれ以上の痛みを突きつけらてた人たち。私は涙を流す理由も、そう思える具体的な人もいなかった。そんでもって懐が傷まないくらいの募金をし、その事実をインスタでシェアした。
人の上に人が立ち、戦争は終わらない。土地ってそんな良いものかね。そんな私も地球温暖化は進むのにお肉もペットボトル飲料も買ってる。
でもだからこそだ。ひとつの家から同じ資本とパワーをもった人間が再生産される社会で、もし教育と社会保障が完全にバリアフリーになったら──。という、最後まで責任のもてる思いに、私はもう嘘をついてはいけない。
『注文を間違える料理店』『deleteC』などの社会問題をやわらかく企画におとしこむ小国士郎さんは、「企画には心を動かされた原風景が欠かせない」と言っていた。私にとってそれはいつまでも留学先の風景だ。学校もランチも交通費も無料で思いっきり学んだ1年間。ここに残れば大学院までずっと無料。国のサポートは安心だと言い切った同級生たち。
そうだ。もう脳内お花畑でもいい。私は「あの社会」が実現できるのを見てしまったのだから。教育費と社会保障費をもっと公助でまかなうという欲はとても私的なことだと認めよう。でも、うまく言えないけど、カレーって1人分を用意するよりたくさん作った方が効率的だし、美味しい。「公的なこと」ってそれくらいの話かなと今は思う。
とはいえできることは少ない。まずは、選挙に行く理由くらいちゃんと目を見て話せるようになりたい。あと、相手の原風景もちゃんと聞ける人でありたい。みんなと思える人を増やすのは、きっとそれからだ。それが私の社会をよくする、の一歩目だ。