京都、5年目の夏
京都に住み始めたのは2020年の9月の初頭であった。きっかけは大学進学である。
入学そのものはその年の春であったが、コロナ禍において当然対面授業など皆無。さすればと地元から授業を受けるまま、前期を終えたことをよく覚えている。パソコンからは流れるような──言い換えれば、たんに平坦ともいう──語りが講義として流れていて、大学生活とはこんなものなのだろうか、と思ったものだった。
それももう4年も前になるのだから時の流れとは恐ろしいものである。が、新型コロナウイルスの流行った時期は、とくだん一年が過ぎゆくのも早かったように思う。一年あたりの行事の量が少なかったからだろうか。それともたんに、自分が子供ではなくなったということだろうか。それぞれの年を思い出そうとしても、記憶は曖昧である。ただ変わらぬ日常と、美味しかったご飯、それからちょっとハマっていたものとか、そんなくらいしか思い出すものがない。
とにかく、京都は5年目である。
いまだにバスを間違えようと、行動範囲外の土地勘がなかろうと、5年目であった。ついでに言えば、学部生活も5年目である。留学はしていない。留年はした。
軽く自己紹介をすると、自分は法学部の4回生(※5回生)である。
要卒単位に卒論が含まれない関係で、特に自分として自覚している専攻分野はない。が、アメリカ政治、行政、政治思想史あたりを演習として履修していた。見事に「法」はひとつもない。個人的にはマルクスとウェーバーの著作を一冊ずつ読んだ政治思想史がいちばん面白かった。
学部を選んだきっかけなどはとくにない。「どれにしようかな、神様の言うとおり」で選んだとか、受験科目の都合とか、かっこいいから(?)とか、あるいは三島由紀夫が法学部卒であったとか、そんなあたりのきっかけがたまたま重なったことである。
ぶっちゃけた話、たぶん興味関心から言えば文学部のほうが合っていたろうと思う。読書、舞台鑑賞が好きな子どもだった。高校時代に『研究』と題して書いたのはオーストリア皇后エリザベートの日記に見る左派思想とか、そんなところだったと思う。百歩譲っても弁護士にはなりたいと思ったことなどなかった。
それで、いまいち興味のない科目に食指がのびないとかなんとか、そんなつまらないことを言っていたら、要卒単位不足で卒業時期が伸びることになったというわけである。当然といえば当然、情けないといえば情けない。
とにかく私はきわめて自堕落である。寝るのと本を読むことが好きで、ときどきひとりで国内を小旅行するのも好き。でも、勤勉に努めるのと、計画的に行動することは苦手。
この京都というすばらしく時の流れが穏やかな街で、ただのびのびと大学生活を謳歌しすぎたと言ってよい。しかも、前述のとおり大して記憶もないのだから、本当にただただモラトリアムを消費し尽くしたとも言ってよい。織田作之助の「青春の逆説」がごとく(奇しくも主人公が自堕落な生活を送った部分は第三高校が舞台である)。
とりあえず、小学校より長く大学に在学する気はない。すなわち、やりたくないだなんて言っていられないのだ。
兎にも角にも卒業すべく、卒業ならびにその後の進路にうんうん悩んだことを、ちょっとした日記の代わりにでもここに書き留める──すなわちnote(動詞)していければと思う。
結局のところ自堕落なので、続くかはわからないが。
印象派