愛犬達との別れ
12月16日午前4時50分頃
愛犬のイギーが旅立っていった。
18歳と3ヶ月、大往生だった。
フレンチブルドッグの平均寿命は10〜14歳くらいみたいなので、とても長生きしてくれたと思う。
思えば私の人生の約半分以上を共にしてきたのかと思うと、この世にもうあの子がいない事が今もまだ信じられない。
昨年の9月22日にイギーの子供であるジョズが先に虹の橋を渡って天国に旅立って行った。
ジョズは生まれつきほかの兄弟たちより体が小さく、かなり弱った状態で生まれてきたが、彼女もそんなことを全く感じさせないくらい元気で立派に生きてくれた。
亡くなる前に病気を患っていたので最期は必死に闘って苦しみながら力尽きてしまったのだと思うと本当に胸が苦しくなる。
ジョズが亡くなった後からイギーはどんどん目に見えてわかるくらい、老いが進んでいき目が見えなくなってきて光に怯えるようになったり、突然理由もなく鳴き声を上げたりするようになった。
ご飯をどんどん食べなくなり、一年経ってすっかり痩せて立ち上がることもできなくなってしまった。
亡くなる2、3日前からはすっかり寝たきり状態になってしまって、かろうじて息はしている状態。
私たち家族も「いよいよか…。」と心で覚悟を決めた。
亡くなる前日の夜、急に手足をばたつかせたり顔を震わせるような動きが見られた。きっと彼女なりに最後の力を振り絞って生きようとしていたのだと確信できる。
イギーの最期の瞬間はその場で見守ってやることができなかったので最期まで見守ってくれていた祖父から聞いた話だが、最後に一瞬だけ全身にパッと力を入れてそのまま息絶えたそう。
その日の早朝にイギーの訃報を知り、私と母は東京から滋賀へ向かった。
最後にイギーの姿をこの目に焼き付けておきたかった。せめて可愛いお花を添えて見送ってやりたかった。自分にはもうそれくらいしか出来ることがなかった。
今更あの時もっとああしていたら、こうしていればと言ったところで後の祭りだ。
家に到着すると冷たくなったイギーが毛布に包まれて部屋に横たわっていた。
涙が勝手にドバドバと流れてきてどうしようもなかった、イギーの顔、体を触っても既に体温は失われていて、体も痩せて骨ばっているうえに死後硬直ですっかり硬くなってしまっていた。
私が最後に見たイギーは温かくて柔らかかった。
もうあの温もりに触れることができないなんて信じられない。信じたくない。
自分の体には血液が通っていて体温があることに悔しさとやるせなさを感じてしまった。
昨年ジョズが亡くなった時にもどうしようもない絶望に苛まれたものだが、やはり大切な愛しい家族という存在がこの世から居なくなってしまうというのは何度経験しようとも心身が蝕まれていくのを強く感じるものだ。
行きの新幹線で食べたおにぎりはイギーを失ったショックのせいで全く味がしなくて、ただ空腹を満たす為だけに食べた。
家で別れを惜しんでいると、祖父がハンバーグを作ってくれた。こんな時でも食事ができてしまう自分に苛立ちを感じたが、祖父に作ってもらったハンバーグは美味しかった。
結局数時間しか家には一緒に居られず、イギーのお見送りを出来ないまま東京に帰ることになった。
離れたくなかった。次に帰省したらもうどこにもあの子が居ないなんて考えられなかった。
愛する家族を失ってしまった喪失は言葉には変えられない程大きいけど、唯一安心できることは先に1人で旅立っていったジョズがやっとイギーに再会出来て今頃楽しく、戯れあっているのかな、という期待を持てること。
これを経て私が声を大にして言いたいことは、今愛しい存在がそばにいる人もそうで無い人も、とにかく今を大切に生きて欲しいということ。
今まで何度も軽はずみに「死にたい」なんて言葉を口にしてきたけど、そんな浅はかなことを言っていた自分が情けなくて仕方がない。
私のようなちっぽけな存在がそんなことを嘆いたところでどうにかなる訳ではないが、誰か1人でもこれを読んで何かを感じてくれる人がいれば良いと思う。
私達に命の尊さを、無償の愛を教えてくれてありがとう。
天国でもいっぱい美味しいものを食べて楽しく駆け回って沢山寝て幸せに過ごしてほしい。
愛しいイギーとジョズ、安らかに。
いつまでも愛しているよ。