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違うことを「理解する」 │ ユージーンスタジオ「新しい海」2
先日、滑稽な海で作品がインスタ映えへと消化されていくことへの悲しさと居心地の悪さについて書いた。
そのあと、初めて展示の特設ページを見て、アーティストの思いや作品のコンセプトに目を通した。
今回の展示のコンセプトのひとつに「共生」というものがあります。
それは一般的に使われる「共生」とは少し違うのかもしれませんが 「あらゆることは ともにある」状態そのものだということだと考えています
自分と他者
異なる意見と意見
受容できることと簡単に受け入れられないこと
美しいこととそうでないこと (中略)
どちらか一方になることは絶対になく常に両方ともにある そういう意味での共生
それを理解していく感覚だと思います
私は先日「作品を自分のポートレートの背景としか考えていないような人たちと同じ空間で作品を鑑賞したくない」と思った。
これはたぶん、自分の鑑賞の仕方をどこか絶対的に「美しいこと」として、「そうでない状態」がともにあることを「理解しようとしていなかった」のだと
「どちらもともにある」ことを理解できる境地に自分が達していないから、自分と違う考えの相手を非難することになる
自分が絶対正義だと思って相手のことをわかろうとする姿勢もとらない…最近の情勢でも感じることだけど、たぶんこうやって争いは生まれる。
今回の展示はいろんな意見・立場・考えすべてひっくるめてなにもかも包み込むような海だったのだ。いち鑑賞者の私も「理解しようとする」姿勢をもたなければ、わたしもまた誰かにとっての居心地の悪い存在なってしまう。
自分と立場の違う相手と同じ考えになれとは言わない。理解していく感覚。それすらできていなかった。
作品のコンセプトに反していたのは私のほうだったのかもしれない。