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日本の文化について
本やドラマなど楽しむ余裕ができているこの頃。
最近文化的なものをどう残して、繋いでいくかに関心がありもやっと考えている。
色々思うことがあるので少し書き出してみたい。
※今回はかなり感情が入っているので、一個人の意見であることを前提にお手柔らかにお願いします笑
思い出される東京オリンピック
私が最も強く文化を意識したのは東京オリンピック2020だ。
自国開催なんて生きているうちに経験すると思っていなかったからとても楽しみだった。
しかし、新型コロナウイルスの発生により一年延期。
不安だったが、きっとうまくいくとその時はまだ思っていた。
中でも1番楽しみだったのは開会式である。
総合統括の野村萬斎氏率いるMIKIKO氏や椎名林檎氏など数々のアーティスト・クリエイターが集まり、これは凄いものができるぞと期待大だった。
リオオリンピックの閉会式の様子から、このメンバーなら日本の良さを存分に発揮できると思っていた。
そう思っていたらまさかの解散。そして全て白紙に。
その何が最悪かって、誰かの利権のためだけの解散であること。
毎日報道されるニュースでのあれこれに辟易してしまった。
これは一体誰のための祭典なんだ?なんでこんなことをする必要があるんだ?と世間知らずながらに思っていた。
当時は腹が立つのを通り越してもう悲しくて泣いていた。
なんなら今も涙が出てしまうほど、笑
実際に携わっていた方々の悔しさは想像もできないほどだろう。
こんなにあっさりと誰かのしょーもないご都合のために数々の努力が踏みにじられるのかと、かなり絶望した。
その後もまあ不祥事やら予算案やらボロが出るわ出るわ。
なんだかその頃から政治や社会に対する関心も強くなった気がする。
その後、MIKIKO案が発表されますます見たかったという気持ちでいっぱいだ。
私がこんなに憤りを感じたのは、彼らのつくるものが好きだったこともあるがその努力を踏みにじるような対応がされたから。
意思決定の場面において、どのような話し合いがなされていたか分からないが声の大きさというものには叶わないのだと感じた。
文化はなんのためにあるのか
オリンピックの開会式ごときで、と思う人もいるだろうが全世界の注目を浴びる機会であること、その一つで日本の印象が大きく変わる(アップデートする)可能性があることを感じていた。
とにかく日本が好きで、日本がつくるそうした文化が大好きで、ずっと大好きな日本でいてほしいという気持ちも含めて、私は日本の素晴らしいアーティストやカルチャーを存分に発揮してほしかったのだ。
(エンタメ育ちゆえの思考です…)
なんとなくオリンピックを終えてからなんだか日本の文化が軽視されていないだろうかと危惧している。
最近KPOP文化がまた浸透し始め、日本の企業でも同じようなプロデュース手法をするところが多い。
こんな言い方だとただのKPOPヘイトになりそうですがそうではなく、日本にたくさんの宝があるのにそれを置いてまでそちらを選ぶのかということに不満を持っている。(本当に本当にヘイトスピーチじゃないので……どうか伝われ……)
どこかの真似をするんじゃなくて、この土地で生み出されたものを活かすことに意味があるのではないかと、根拠があるわけではないけどぼやっと思うわけですね。
グローバル化によって様々な移動が容易くなったのはいいものの、あまり文化が混ざりすぎるのもどうなのだろう。
また、こうした文化はなかなか数値化されるものでないのでどうしても優先度が低いように思う。
しかし生きていく上で感動は明日を生きる希望になる。
全く必要ない人はいないはず。
これらが排除されたらなんだか冷たい世の中になりそうだ。
数値化できないものも考慮する世の中になってほしいと最近常々思う。