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約束の行き先 | 掌小説 | #シロクマ文芸部

「12月のあとは、13月であるべきなのよ」

リリは小さな口を尖らせて、前を向いたまま怒ったように言った。雪の積もった朝の歩道を、ふたり手をつないで歩いていたときのことだった。

「大きな数字は100なんだから、100月まであるべきだと思わない? それでそのあと1月に戻るの。どう?」

世紀の発見をしたような瞳でこちらを見上げるリリに、私は同意とも反対とも取れない笑みで返すと、左肩のバッグのストラップを掛け直した。2週間前に支給された大きなボストンバッグには、入るだけの着替えと、幾らかの現金と、リリの写真が入っている。

「もうちょっとゆっくり歩いて」

公園を通りすぎたとき、リリが手を引いた。私は遅れることも迷うことも嫌だったけれど、言われるままに歩調を緩めた。厳しい冬には慣れているとはいえ、久しぶり踏む新雪は、リリには歩きづらかったのかもしれないと思ったのだ。

「あそこでホットココアを飲んでいこうよ。ちょっとだけ、いいでしょう?」

そうして歩きつづけて、駅への道を渡ると、何でもないカフェの前でリリはついに足を止めた。周囲には、私と同じ服を着て、同じバッグを肩に掛けた男たちの姿が増えていた。1人の者もいれば、家族と一緒の者もいる。

彼らが1人また1人と構内へと向かって歩きすぎる中を、私はしゃがみ込んでリリの頬に手を当てた。寒さに赤いその幼い頬は、私の手のひらにすっかりと収まった。

「リリ、12月のあとが100月まで続けば、そのぶんお父さんが帰ってくるのも遅れてしまうだろう? 6月には休暇をもらって、帰ってこれる。そのときはこのカフェでホットココアを飲もう。公園で遊んで、家まで走って競争して帰ろう」

「……レモネード」

「レモネード?」

「6月にはホットココアじゃなくて、もうレモネードなの。きっとよ、約束よ」

きつく私の首に腕を回して抱きついたリリは、ひとりで約束を取りつけてしまった。けれどそんな約束はできないなどと、正直にいえた父親がどの世界にいるだろうか?

「約束する。だからリリも元気でいるんだ。おばあちゃんを助けてあげて。愛しているよ。忘れないで」

リリを剥がすようにして立ち上がると、そのままひとり駅へと向かった。泣きながら私を呼ぶリリの声が背中で聞こえたけれど、振り返ることはできなかった。

プラットフォームに着き、別れを惜しむ家族の間を縫って電車に乗り込む。荷物棚にバッグを置いて、古いフェルト生地の席に座った。先に向かいに座っていた歳の近い男と目があって、お互いに厳しい表情で頷いた。

じきに感情のない笛の音が時間を知らせて、ゆっくりと動き始めた運命に私は身を委ねた。冬の暗い空だけが、約束の行き先を黙って見つめていた。

               【了】

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