‘72年札幌オリンピック、“銀盤の妖精“の衝撃!ジャネット・リンは、なぜ愛されたか…?
参考サイト:
おまけ:
下記のサイトからジャネット・リンの著作の「Peace and Love」が無料で借りられます。だだし、英語版ですが…
ジャネット・リンさんインタビュー
朝日新聞 2012年2月3日
■転んで笑ったあの日
1972年に開かれた札幌五輪のフィギュアスケートで、銅メダルに輝いたジャネット・リンさん(58)。演技中、尻餅をつきながらも、プラチナ・ブロンドのショートヘアに満面の笑みを浮かべて立ち上がった姿が、国民的な人気を呼んだ。「札幌の恋人」として今なお慕われるリンさんを米バージニア州の自宅に訪ねた。
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米シカゴ生まれ。2歳半でスケートを始め、米五輪史上最年少の14歳で出場した1968年グルノーブル五輪9位。銅メダルを獲得した札幌五輪では、前半・規定で4位と出遅れたが、後半・自由は尻餅をついたにもかかわらず1位だった。スウェーデンの審判が芸術点で満点の「6.0」を出したことも話題になった。日本では「銀盤の妖精」と呼ばれ、98年長野五輪の前にも親善大使として来日した。両親がクリスチャンで、自身も12歳で入信した。
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■勝てなくても ベストを尽くそうと
――改めて札幌五輪を振り返っていただけますか。
「規定演技が4位に終わり、悲しくて選手村の部屋で泣きました。そのうちに神の声が聞こえたような気がして平静になり、心が切り替わった。五輪で勝利するという当初の使命は果たせなくても、代わりにスケートを通じて神の愛を皆に見てもらうためにベストを尽くすのだ、と」
――自由演技では、スピンで転んでしまったのに立ち上がったときは笑顔でした。どんな気持ちだったのですか。
「練習ではあそこで転んだことなんて一度もありませんでした。あれは神が仕掛けたストーリー。どうすることもできないならば、私は笑顔であり続けるしかない。『神が私に喜びを与えてくれ、私はその愛を見せようとした』。それ以外に説明ができません」
――フィギュアの指導はしているのですか。
「直接教えることはほとんどありません。家族のことが最優先で、子どもや夫のために家を守ることの方が重要ですから」
――ご家族は。
「1975年にスケーター仲間の弟だった1歳年下の人と結婚しました。ビジネスマンです」
――息子さんが5人いると聞きました。
「一番上が34歳で、32歳の双子、20歳、17歳。スケーターは一人もいません。私は両親にスケートを強制されなかった。息子たちに教えはしましたが、やらせようとは思いませんでした」
――最近のフィギュアスケートの傾向をどうみていますか。
「変化を感じています。(ジャンプやスピンの)技術的な側面も大切ですが、基本練習を積み重ねることが重要。そうすることでけがを防ぐこともできるし、氷の上を浮遊するような演技ができるようになります」
「フィギュアは、氷の上に2本の足を乗せて表現する『言語』だと思います。最近のルールでは、フィギュアが本来持っている、人々に大きな喜びを与え、人々を心地よくリラックスさせる『言語』が失われつつあるようで心配です」
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【札幌市民へのメッセージ】
私の魂を皆さんと分かち合ったあのオリンピックのことを、長く忘れないでいただいてありがとう。神の平和と愛に希望あれ
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札幌五輪開幕から3日で丸40年になる。35カ国の代表を集めて、日本で初めて開かれた「白銀の祭典」は人々に大きな感動を与えた。ゆかりの人やかつての現場を訪ねた。