音楽: Live #1 | Gipsy Kings at 昭和女子大学人見記念講堂 240524
寄る年波のせいで焼きが回ったんでしょう。
一期一会の場の共有に価値を認め 多少は投資する時期かなと 近頃 好みの音楽人達の公演情報を事前収集し始めました。
音楽版 絶飯 を逃したくない、みたいな切迫感も手伝って。
そんなこんなで 金曜夜のチケットを大事に握り 三軒茶屋まで。
久方ぶりに眺める人見記念講堂のステージに御座しますは ドラムセットとベースとギター3本。フラメンコで使う脚踏み台みたいな四角い打楽器?も闇に潜んでます。
見た所 管楽器ゼロ。グランドピアノは勿論なし。
「俺達ゃ剛球ストレート、ド真ん中しか投げないぜ」って 楽器達が登板予告と球筋宣言してくれてます。
チケット予約を迷った時 「随分歳を取ったからどこまで声が出るかわからないし 例のかすれたCantaだけで 単調にならず 二時間も聴衆を惹きつけられるのかなぁ」 という懸念があったのを思い出しましたが それは素人の浅知恵でした。
リードボーカル Nicolas Reyesさんのパヴァロッティみたいに丸いおなかはさておき 声量やタイミングの取り方は 往時に比べ極端に落ちたとは感じませんでした。
ギターのインストゥルメンタル曲を挟むことで ぐびぐび給水するNicoさんの喉を休憩させ 連続する楽曲に強弱がつけられて イケイケの勢い一本調子は回避されてました。
剛腕一直線のゲームプランへの懸念に対してなのか 隅っこのキーボードが 時々中継ぎ登板してました。そりゃそうか。
ところが困ったことに
ベースアンプ?の音が必要もなく響きっ放しになり その音程もどこから来るのか調子っ外れな様子。解決も調整もされないまま 演目前半あたりまで 時折ホールに音痴な残響がこだまします。。。。。
ベース奏者のアンプが原因ではなさそうで リードギターだけの演奏中もその現象は起きてました。でも いつ解決したのか 後半は幸い気になりませんでした。危なかったなぁ。
二階席でも席から立上がって揺れ始めるひとが増えてきた頃
あたかもステージから横波の定常波が放射されていて 観客はそれぞれ やってくる波の節を感じ 掴み 同調し その波の上にCantaが乗っかるような感覚が ふとありました。
これは原始的な 疑似宗教的な仕掛けに通じるのかも。
もしこれが ”ブラジルの音” によるコンサート だったら もっともっと柔らかな変化球のメロディで聴衆の不意を突きながら 楽器群は総動員され 幅広い曲が編成されていることでしょう。
でも そこに音楽の優劣はなく これが ”ロマの王達” の 思い切り良く質素で大胆な音ですから 心地良く彼等の波を楽しむだけです。
会場の年齢層はやや高め。
Nicoさんの1990年代の黒髪は 今や見事な白髪の長髪。
彼等も 自分も 会場の多くの聴衆達にも 等しく時は経過します。
隣席の 背広上下にネクタイ締めた旦那さんとその奥方らしき一組は 昭和の日本人の模範かのように 椅子にきっちり腰掛け 曲が終われば穏やかに拍手を送っておられました。
立ち上がってリズムを取る若者達や ’A Mi Manera’ が聴けた嬉しさに顔を綻ばせている隣人に ちょっとだけ眉を顰めつつ 温かな南欧の風と 懐かしい記憶を呼び返していたことでしょう。
彼等も 自分も 会場の多くの聴衆達も。
< おまけ >
ライブの楽曲と演奏順は こちらから:
< 続・おまけ >
Wikipediaから よもやま話を拝借:
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?