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絵画: #1 田中一村 | 田中一村展 奄美の光 魂の絵画

ひとりの画家が 神童と呼ばれた時代に始まり
新たな表現を試しながら歩みを進め
世間からは価値を見出されず 苦難と曲折を経たのち
漸く自分のモチーフに辿り着いた

そんな一生が残した痕跡を ひとつひとつ確認していき
やがて光差す柱たちに囲まれる
田中一村に関心のある人には 足跡を追体験できる貴重な展示会でした。

展示作品一覧


画の傍の解説を読むにつけ
早熟の才能がすくすく成長していく様子が ちいさな子どもの歩みのように感じられ 足が止まり 予定以上に時間が経過してしまいました。


メリハリの効いた明暗の対比と遠近感
植物や動物を構成する有機的な細部の微細な描写
掛け軸のような長方形の構図に埋め込まれた
独自の構図と 鮮やかな色彩

忍冬に尾長

画の特徴と並んで 生前は注目されなかった画家の 絵画に賭した一生の生きざまが 覧るひとの感情を刺激するのでしょう。

千葉時代の作品は 土の匂いと共にあり楽しく
田植えの景色には山の麓に吹き抜ける風と静寂だけを感じさせられ 私自身の子供時代の景色に合成された、大昔の日本に在ったであろう素朴な情景が浮かんできました。

千葉寺 春



奄美時代の作品は 予期したとおり 南方の開放感とともにあり
関東の 寂寞としながらも定型的な都市や農村の暮らしとは明確に異なり
南の島の自然とそのおおらかさを 嫌でも感じさせてくれるものでした。
トンネルを抜けたあとの光のまぶしさのように。

奄美の郷に褄紅蝶


微細な筆使いで表現される鳥、蝶、昆虫、熱帯魚、伊勢海老。
小さな子供と同じような鮮度で 小さな生命への興味を持ち それは生物の授業の点描のような精密さで画に還元され 自分が楽しめる材料を前に躍る気持ちが伝わってきます。

海老と熱帯魚
熱帯魚三種


かたや (ゴーギャンというより) アンリ・ルソーの画を思わせる 暗がりの中に浮かぶはっきりとした輪郭と 不思議なものを見ているような妖しさ。

黄昏
(マグリットの『光の帝国』を想起させます)


順路の最後に待つ展示室を
未完の二作を含めた奄美時代の大作たちが 十点ほどで囲み
壮観でありながらも それぞれが静かな美しさを放っていました。

枇榔樹の森に浅葱斑蝶

部屋の出口の両脇には 「閻魔大王への土産にする」と語っていたという
不喰芋クワズイモ蘇鐵ソテツ』および『アダンの海辺』が並びます。

不喰芋と蘇鐵


ここに展示されていない一村の作品があとどれくらいあるのか
調べておらず正確にはわかりませんが
画家が一生で送り出せる作品の有限さを再認識させられつつも
「もう無いのか」 「もっと見たいなあ」 と率直に感じました。

枇榔と浜木綿



アダンの海辺




  

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