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月曜日の図書館29 その他おおぜい

病院には、確か首吊りの器具が2つあったと思う。そこで老人たちは頭部を固定され、いーんと引っ張られる。気持ちがいいのか効果があるのか、感情の読めない顔をして、老人たちは引っ張られるままになっている。点滴を打たれている間、退屈を紛らわすのに老人たちを観察するのはうってつけだった。他にも腰やら脚やら、彼らはいろんなところを引っ張られており、みんな一様に表情がなかった。常連ともなると、病院に入ってくるなり先生の診察室は素通りして、自ら首を吊られようとする猛者もいた。
平日の昼間、そこにいるのはわたしと老人たちだけだった。

出勤するとまず、返却ポストに返された本の処理からはじめる。といっても実際に本をかき出して状態をチェックし、フロアごとにブックトラックに乗せるところまでは、就労訓練中の子たちが行う。彼らは正規の職業に就くために、数年ほど図書館で修行するのだ。
人によって違いはあるが、彼らはおおむね正直で明るい。そして自分にも他人にもとても甘い。いつぞやのミーティングでヒヤリハット事例に対して課長から厳しめの言葉があったときも「ま、そんなこともあるよね!」と大きな声であっけらかんと言うのだった。
中には、働いている人全員の名前をフルで覚えていて、会う度に名前を呼んであいさつしてくれる子もいる。一ヶ月に数回しか来ないアルバイトさんに対しても、偉い役職者に対しても同じだ。その光景を目にする度に、人を「課長」とか「係長」とか呼ぶことは、知らず知らずその人をその他おおぜい扱いしていることになるのかもしれない、と思う。名前で呼ばれることで彼/彼女は何者でもないただの個人になる。それを目の当たりにするときの、気恥ずかしさとうしろめたさ。
今日もその子はわたしを見るなり下の名前まできちんと呼んで「おはようございます」と言った。無意識にほほがゆるむ。にやにやしながらブックトラックを移動させていたら、自分が嘱託のごついおじちゃんと同じ柄の作業手袋をしていることに気づいた。

その年は毎日のように点滴を打った。わたしには圧倒的に鉄分が足りない、と病院の先生は言うのだ。だから朝礼で最後まで立っていられない。
干したプルーンみたいな、茶色とも赤ともいえない色の液体が、少しずつわたしの中に入っていった。
わたしのほか、誰もそんな色の人はいない。
鉄分点滴はいくら打っても翌日には効果が切れてしまう。存在までどんどんうすくなって、体が透明になっていくようだった。苗字が似ている他の子とたびたび呼び間違えられるようになり、ああわたしは消えかけているのかもしれない、と思った。

腕章を変えようという話が出る。司書が本のコンシェルジュであることをアピールするもので、お金をしぶったために誰の二の腕にもフィットしない安い作りになっており、まじめな者は不満を抱えつつも目玉クリップを駆使して二の腕をしめつけて鬱血させ、わたしのような者は引き出しの奥深くに仕舞いこんで存在を忘れていた。
そんなことが10年も続いたころ、突然、異動してきた副館長の一声であっさり変更が決まったのだ。腕章はやめて、ほかのもっとセンスのいい方法に変えられないか。
わたしはダメ元で夢あふれる案をいくつか持っていった。スカイツリーみたいなおしゃれな制服を導入する。大きな缶バッジをつける。大きなコサージュをつける。ハワイ旅行が当たったときに首にかけてもらうやつを、名札のストラップにする。
副館長はわたしの説明を聞きながら、コサージュはN本さんなら似合いそうだけど、Dくんは似合わないからあんまりつけてほしくない、とDの目の前で言った。空気を読んだり忖度したりあげ足を取り合ったりで成り立つ偉い人たちの世界において、奇跡のような感想である。
役職名で読んだって、その人が自分にとって唯一無二なら存在が薄れたりはしないかもしれない。副館長が持っている扇子はかわいいウサギが跳びはねている絵柄だった。

一体あれは何の治療だったのだろう。老人たちもわたしも、自分のどこを、どんなふうに立て直してほしかったのだろう。

おはようございます。身体中を光が走る。

職員の採用サイトに、仕事の内容を紹介したインタビューが載る。読み返してみて、自分の名前の漢字を間違えて答えていたことに気づく。数十年もいっしょに生きてきたのに、解答用紙にあんなに書いてきたのに、まったく気づかなかったなんて。自分でさえ間違えるのだから、他人ならなおさらなのだ。その上、似た苗字の人が何人かいるなら、ごちゃまぜになってゲシュタルト崩壊を起こしてもおかしくはない。
Dが悪いことをしても検索されにくいように訂正はしない方がいいのではないか、と言う。

ま、そんなこともあるよね!

自分が確かにここにいることを証明したくて、自分であることにこだわり、何かを成すことでそれができると思う。その結果得られるもののひとつが称号かもしれない。それでも重みに耐えきれずにつぶされたり、あっさり引っぺがされたりしながら、存在は揺らぎつづける。簡単には断定できなくなる。する必要も感じなくなる。
そしていつかは、男か女か人間なのか判別できないほど年を取り、となりの人と同じような表情で首を吊られたくなるのだろう。

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