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月曜日の図書館28 まんべんなくない

気づけばいつもカレーを食べている。昼にカレーを食べて、夜も家でカレーを作り、何なら翌朝のごはんもカレーである。何を入れても同じ味になるのがカレーの良いところとも言えるし、スパイスや地域によって味が変わるのに全部まとめてカレーと呼べるのも良いところだと思う。
今日のお昼はタイ料理屋さんのグリーンカレー。ここのはいつもおいしすぎて、食べている途中で鼻水が出てくる。
タイもインドも行ったことはない。インドには今後も行く予定はない。タイは地獄寺のおどろおどろしい銅像が見たいので、ちょっと行きたい。

T野さんが暑い髪切りたいと言う。南方熊楠ゆかりの地域にある和菓子屋さんで、変形菌まんじゅうが新発売されたことを教えると、え、南方熊楠って誰、と言う。
南方熊楠を知らない!!!
T野さんは若い頃、わたしみたいに頭の後ろを刈り上げてパーマをかけていて、同じ塾の男子から「あいつ女か?」と陰口をたたかれたそうだ。わたしが髪型をばっさり変えたとき、職場のおじさんたちから奇特な目で見られる度に「もふもふでかわいいでしょ?」とかばってくれた。
しばらく髪の未来について話をして、最終的には引退するまでグレイヘアはお預け、ということで意見が一致した。

タイもインドも行ったことはないけど、フィンランド とスペインはある。フィンランド のかもめは映画で観たのと同じくらいでかかった。

N本さんに、パスポートが今年で切れる話をしたら、海外には一度も行ったことはない、と言う。わたしが職場のお土産に買ってきた、鮎が反旗を翻して鵜を飲み込もうとしている形のお菓子を見て、鵜は食欲が旺盛で放っておくと害鳥になりかねないと言う。鵜飼をしている地域だけでなく、この辺にも野生で生息している、と言って自分で撮った写真を見せてくれるが、黒すぎてカラスと見分けがつかない。

職場から少し遠いカレー屋さんに行くために、時間休をとる。ココナツカレーと、あさりカレーのあいがけ。鵜、で画像検索すると、ものすごく口(くちばし?)が大きくてびっくりする。スパイスが体中にみなぎって元気が出てくる。

老眼でパソコンの画面がよく見えない、と嘆くK川さんに、心の眼で見るのよ、とT野さんが励ましている。

中学の離任式の日、担任だった先生が壇上で別れのあいさつをし始めて、ティッシュを取り出したわたしが涙をふくと思いきや鼻を盛大にかんだので、となりですでに号泣していたクラスメイトがむせて軽く呼吸困難になった。あのころのわたしはまだ地毛申告書を提出して、くせ毛をできるだけきつく結んでおだんごにしていた。一般教養を身につけるために、好き嫌いせずあらゆる教科をまんべんなく学んでいた。けれどとなりの子ではなく、わたしでなければだめな理由を、果たして持っていただろうか。
何かを知るたびに、人生は豊かになるのかもしれないが、何かを「知らない」こともまた、その人の核を形作っていくのかもしれない。
南方熊楠を知らない人生。
海外旅行に行かない人生。
髪の毛がまっすぐでない人生。
何を選ばす、何が足りなくて、何を素通りしてきたのか。その数や色の違いが複雑なあみだ模様となって、わたしという存在を浮かび上がらせる。歩く辞書になる必要はない。体系的でない偏った知には、深みはなくとも魅力はある。
鼻水をかみながら、いっしょに泣けたらよかったのにと思っていたわたしに、そのことを伝えてあげたい。

心の眼で見るのよ。

昇任試験を受験するにあたって、本気なら勉強会に出席するよう副館長からすすめられ、本気ではないので辞退する。課長との約束で2年に一度受けることになったのだと言ったら副館長はげらげら笑った。係長になる気はないが、部下が試験を受けると課長の評価が上がるので、両者の間をとったのだ。2年に一度なんてオリンピックやトリエンナーレより頻度が高いではないか。ちょっとがんばりすぎかもしれない。人の上に立たないと決めたわたしの人生がどうなるのか、とても楽しみだ。
勉強会に参加するDが、いつまでもこんなところで立ち止まってちゃだめだと言う。去年も同じことを言ったし、たぶん一昨年も言った。

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