「努力で壁を乗り越える」という思い込み
「壁を乗り越える」と聞くと
「一生懸命に努力して頑張って頑張って乗り越える」イメージありませんか?
私はそう思ってました。今もまだそのイメージはあります。
努力して、我慢して、本当はやりたくないことも気持ちを押し殺してまで進む。
いつからか、それが当たり前だと思ってました。
それが41歳の今、とある人と出会ってその考えが変わろうとしています。
その方は企業を経営されている女社長さん。
雰囲気がとてもかわいらしくて、お話をすればするほど、文章を読めば読むほど芯がしっかりしている方です。
彼女とコンサルをさせていただいて、とある自分の感情に気づきました。
「私は自分のやりたいことを遠慮して言えない、やれない。言葉にすることすらおこがましく思っている」
その時、彼女が言ってくれた言葉は
「遠慮しなくていいんですよ。私は咲子さんが言葉にすることはすべて叶うものだと思って聞いています」
え??(@_@。
その瞬間
体の中の何かが優しい気持ちで包まれたような変な感じで
これが私の中の潜在意識が泣いて喜んでいるという感覚のこと?
そして気づいちゃったんですよね。
私はいつからか、自分がやりたいことを押し殺していました。
「こんなことを言ってもバカにされる」
「提案したところで無理って言われて自分がキズつくだけ」
「夢みないでさ、現実みなよ」そんな言葉を恐れていました。
私は意味もなく、なぜか子供のころからやりたいことがあります。
それは本当に理由がなくて、人によっては笑われることかもしれません。
「憧れ」で片づけたくないことです。
多分ですが、きっと子供のころはいろいろやりたいことを話してたと思うんです。でも、きっとまわりから否定され続けて望むことすらやめちゃったんですよね。
それから私は、やりたいことは素直に自分に赦すことに決めました。
「〇〇がやりたい」
→「やりたいんだね。そーか、じゃあどうしたらできるかな」
「△△があると本当はすごく助かる」
→「勇気がいることだけど、話してみよう。頼んでみよう。お願いしてみよう」(従来の自分だったら絶対許せないことを許すという行為)
自分がどうにかしなきゃ、我慢しなきゃ、努力しなきゃとかではなく
「自分をゆるしてみる」を本気で始めたら、乗り越えたかった壁を通り過ぎていることがあります。
本当にこれはびっくりすることです。
もちろん、誰かのお陰で出来ているという気持ちも忘れません。
もう本当に彼女は私の人生を変えてくれた人。
まだまだコンサルは続くのでこれからが本当に楽しみで仕方ありません。
そして、もう一つ気づいたんです。
「私、自分の子供にも同じことしている」
娘(6歳)は最近、やりたいことがあっても
「〇〇したらダメだよねぇ?無理だよね?」
「〇〇したいんだけどなぁ…(ダメだもんね)」
「(すぐ)ごめんなさい!!」
この口癖がとても心配でした。
きっと、これも私がそうさせてしまっているかもな
(私が親やまわりにそうされてきたように)
だから娘に言いました。
「無理だよね?って言ったら無理になっちゃうかもよ。
やりたいことがあるなら「やりたい」って言ってほしいな」
…っていうからには、私も彼女のいうことを出来るだけ受け入れる覚悟も決めなければいけません(汗)
なかなかしんどい要望もありますが
彼女が今後やりたいことを押し殺したり
無理ときめつけて彼女の未来の選択肢を狭めてしまうことだけは避けたいので、私も娘と交渉しながらお互い成長している今日この頃です。
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