日常の中に飲み込まれるなにかを、忘れさせてくれないオーストラリア
オーストラリアに来て良かったこと。ワーホリのビザでオーストラリアを選んでよかったこと。
30年ぐらいずっと東京でしか住んだことなかった。
日常って忘れてしまう小さなことの塊で、忘れてしまうなんて当たり前なんだよ。それが普通。
だよね?
ただ、オーストラリアは海外だからか、
自分が恋焦がれた場所だからなのか、
たまたま出会った人と環境のおかげなのか、
実際の正解はわからない。
人生に答えがないというのは事実だ。誰から見たわたしの立ち位置は正解とは遠ざかる位置にもある。
はたまた正反対な答えもある。普通なんだ。誰にとって特別なものは、普通でもある。
もしかしたら、
正社員という肩書きを消したからかもしれない。
バックパッカーという身軽な立ち位置であるからかもしれない。なんでも挑戦できるし、失敗してもいいんだっていうプレッシャーがないからかもしれない。
これをやれば、この仕事に近づくとか、
この学歴を残せば、この会社に良い印象を与えれるとか
もう少し頑張れば、次に繋がるかもしれないとか、
これをしたら、これに繋がるんじゃないか。
なんて、
なにかいつも、なにかの次に繋がることをしてた。
なにかに繋がらないと意味がないんじゃないかって。
でもそれより好きなことを、お金も、役職も関係なく
ただただ突き進んでやるほうが点と点が繋がるんだ。
昔の点でさえも。
もちろん悩む、というか発狂したくもなるし、目を梅干しにしながら泣いちゃあかん。なんてギュッと絞るときもあるし。答えも先も見えないんじゃなくて、見るには自分の努力次第なんてプレッシャーに毎日じゃなくて、毎日の一瞬にたくさんありすぎて誰かがわたしを押し潰したいのかな?って思うぐらい自分の勘違いでとどめをさしそうになる。
それでも好きな事を見つけれた瞬間というか、
決めれた時も少しやっぱり怖気付く。
どの仕事が手に入れられるんだろう。
お金は稼げるのか。
勉強してお金をだしてでも価値はあるのか。
なんてさ、考えてもつまらないことを考えるのが
第一プライオリティ。
それがわたしの中にあるひとつだった。価値をみいだせないことに、時間を費やせない、
お金を払うならなにか得ねばって。ビックマウスらしき言動で。
今でも自分になにができるのか、なにになれるのかもわからない。最近思ったのはいろんな理由や外野の理由を除いても自分は母親になれないし、なるべきじゃない人種なのかもしれないなんて、こんな歳で厨二病みたいに思ったりもする。
いい歳こいてネガティブな塊。開き直りは一流。
それでも、
オーストラリアで過ごして家族って特別だなとか、
自分で家を建てる、土地を買うっていうことや
仕事をしている中で疲れても、嘆いても
星が綺麗でその時間があるだけで自分の人生に輝きがさして
満月を周期ごとに毎回見上げることのできる環境の素晴らしさや
家で作った料理を食べて、特別でもない日常に感じる一瞬の幸せがどれだけ大きいかって。
新鮮さ、刺激が既に日常にあるからかもしれない。
それでもこの日常にながれる飲み込まれる一瞬を楽しめる今が好きだ。最高な夕日を浜辺で眺めながら過ごした日常も、朝一に海に毎日飛び込んだ日々も、冬がきた一瞬を感じた風の中にも。
日常のすべての一瞬に感じるすべてが特別になる。
忘れたくないのに忘れてしまうような当たり前な日常でさえも。
レッドブルウォッカを意味のない疲れた日にきめて、寝れない日の戯言です。(休み1日目、2日目前に全力で寝たかった日)
あとは、現実逃避💜
さっさと寝て、体力温存しないとマジで死ぬ