私の人生に色をもたらした言葉
2013年3月某日。
大学生だった私はサンフランシスコ行きの飛行機に乗り込もうとしていた。
ずっと夢見ていた留学生活がいよいよ始まる。
『これからどんな人たちに出会い、どんな素敵な経験をすることになるのだろう』
飛行機の規定ギリギリまで詰め込んできたスーツケース以上の希望で心は満ち溢れていた。
私の留学生活は現地の大学に付随している語学学校に通い、英語の習得を目指すものだった。
語学学校には日本以外にも中国や韓国といったアジア諸国を初め、スペイン、サウジアラビアなど世界各国から幅広い年齢の人たちが集まっていて、オリンピック会場にいるかのような国際色豊かな環境だった。片言な英語でも他国の人たちと過ごす毎日は、新たな発見の連続でとても新鮮だった。
少しずつ友達と呼べる存在も増えていき留学生活にも慣れていったが、私にはどうしても諦められないことが残っていた。
それは〖もっとネイティブの学生と交流をして、アメリカの大学の学生生活を知りたい〗という私が留学を目指した根本にある願いだった。
語学学校に通う生活の中では、ネイティブの学生と知り合いになる機会は留学前の想像以上に少なく(ほぼない)、限られた期間の中で自分から何か行動しないとチャンスはやってこないと一種の焦りに近いものを時間の経過と共に感じるようになっていた。
そんな時に、日本語を専攻している学生に向けた授業のチューターを募集しているという話をたまたま耳にした。
『とりあえず応募してみよう』と直感的に思った。
応募するにあたり英語で簡単な志望動機や自己紹介の提出を求められた。あまり詳しい内容は覚えていないが、メールの最後にPlease choose me!と書いて送信した。
後日、書類選考を通過した私は緊張しながら面接へ向かった。ドアを開けるとそこには教授として日本語を教えている高橋さんという女性がいた。高橋さんはかれこれ20年以上に渡ってアメリカの大学で日本語のクラスを受け持ち、学生たちに日本語を教えているベテラン先生だった。
その高橋先生との面接は予想していなかった展開となった。
もうかれこれ10年近く前の出来事だが、真っすぐで力強く嘘のない瞳でそう私に語りかけてくれたことを今でもはっきりと思い出せる。
私の拙い英語でもどうにかアピールしないとと考えていた時に、ふと頭に浮かんだ言葉が『Please choose me!』だった。
私としては“プリーズ”と文頭に付け丁寧にそして控えめにアピールしたつもりでいたが、高橋先生にはものすごく自己主張の強い印象を与えていた。結果的にそれが功を成し、多くの応募の中から私は選ばれたのだった。
《そんな些細なことをきっかけに、私の人生は動いていくことになった。》
それから私は日本語ネイティブとして、20名ほどいる日本語クラスのチューターを務めることになった。
最初こそ緊張したがフレンドリーな学生たちのお陰で、すぐに打ち解けられた。授業を重ねるにつれ学生たちから「もんちゃん!」と認識されるようになり、クラスルームに留まらず大学内、街の中ですれ違った時にも挨拶する間柄へ変わっていった。そしてやがて学生寮で開かれるパーティーやイベントに誘われるようにまでなっていった。
そうしていくうちにテニスが共通の趣味だと分かりそこからテニス仲間になった友人、日本食を一緒に楽しむ友人、ただ居心地が良くて一緒に過ごす時間が増えた友人を作ることが出来た。
こうして沢山の人と出会った中でも、特に思い出深い友人ともこのチューターの経験を通して出会った。
その友人とは日本語クラスで出会ってすぐに意気投合し、お互いがお互いのチューターとなり、母国語を教え合う仲となった。そうしていくうちに友人の学生寮に遊びに行く機会が増え、彼女のルームメイト達とも一緒にマリオカートで対戦したり、ご飯を作って一緒に食べたり、週末に旅行に出かけたりと、まるで私もそこのルームメイトの一員かのように仲間に加わらせてもらうようになっていった。
それはまさに私が思い描いていた留学生活そのものだった。
そしてそこで繋がった友人達とは帰国してから10年近くたった今でも交友関係が続いている。
仕事で成果を出して頑張っている人、家庭を持って子育てを頑張っている人、大学院で勉強を続けている人と10年経った今、あの頃とは取り巻く環境も変わり各々の場所で自分の人生を歩むようになっても、定期的に連絡を取り合い何かあったら相談し、互いの国に遊びに行った時には酒を片手に思い出話に花を咲かせ、誰かが結婚式を挙げると言えばルームメイトみんなでお祝いにかけつける。
他愛のないことで笑い合って毎日過ごしたあの部屋にもう帰れないだけで、みんなとの関係はあの時と変わらず、切磋琢磨しながらもずっと心の拠り所であり続けてくれる大切な友達。
留学を通して私はそんなかけがえのない友人たちと出会うことが出来た。
そこにいたみんながあの時あの場所で勉強しようと志し、やってきたことによって出会うことが出来た。何かがちょっとでも違っていたら出会えていなかったかもしれない。いくつもの偶然が偶然を呼び、重なり合ったことによって“今”が作られているんだなと人生の壮大さを感じさせられる。
そう思った時に全ての起点はたった3語から始まっていたことに気付かされた。
あの時たまたまチューターの募集を知った私がたまたま頭に浮かんだ言葉『Please choose me!』をメールに書いたことによって、私の人生は動き出していたのだった。
あの時、チューターに挑戦してそこから沢山の出会いがまた新たな出会いや経験を派生させていった。その全ての経験が貴重で何事にも代えがたく、私の人生に起こるべくして起こっていたのだと自分の人生、20代を振り返った時に気付かされた。
もしかしたら人生に起こることは全て偶然に見えて実は必然なのではないかと思った。それならば自分の感情の赴くままに行動することが、自分の人生を一番輝かしい世界に導いてくれるはずだ…
30歳を目前に人生の岐路に立たされたように感じ、人生を難しく考えすぎていた私に20歳の頃の私が大切なことを思い出させてくれた。
難しく考えずシンプルに心の赴くままに。まあとりあえずやってみなよ。あの時のように感情に従ってやってみれば、そこから想像以上の未来がきっと待っているよ。
人生、なるように決まっていてただそこに辿り着くまでの道のりを決めているだけなのかもしれない。だからきっと最後は上手くいく。
そんなことを教えてくれた『Please choose me!』から始まった私のやってみた大賞物語。