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読んだ。読みたい。読んでほしい。
創作をするとき、普段とは違う感じがしてしまう。普段というのは、エッセイを書いたり、読書感想文を書いたりしているときだ。創作は、思い出して書くのとは違うし、考えてはいるけれど、理由を考えているのではなく、展開を考えているような感じだ。ほら、うまくいえない。
毎日投稿をしていくなかで、たまには創作を書きたいと思う。だから、そのための考え方を鍛えたくて、毎週土曜日はショートショートを書くことにしている。
どんな文章でもそうだけれど、とくに創作は個性というか、その人の持っている世界観とか物語性のようなものが表出してくる。要は経験なのだけれど、読み手がおお!となるためには、書き手は一歩も二歩も先を歩いて書かなければならないと思っているのだ。
さらには、自分の書きたい結末があるとして、そこに違和感なく繋げていくための物語を考えていくのも必要だ。それは、実際にあったこと・考えたことを書いていくエッセイとは違う。
エッセイでも物語でも、自分の書きたいものが書けたときの喜びはかなり大きいし、さらにはそれを読んでくれて好印象を伝えてくれたなら、喜びはもっと大きくなるのかも知れない。
(・・かも知れない、などとカッコつけて書いたが、ほんとうに嬉しいものだ。)
先日、豆島圭さんの企画に参加すべく、夜なべして短編を書いた。夜行バスは、これまで何度も乗ったことがあり、中には半日近く乗らないとたどり着けない遠方もあった。そんな経験を活かしつつ、何が書きたいのかを悩みながら書き上げた。
投稿から数日後、作品の感想を、僕のXのアカウントにわざわざDMで書いてくださった方がいた。DMのマークに通知があることは珍しく、クリックしてみてさらに驚いた。
これまで交流のある方だったし、その内容は、作品の感想だけではなかった。ひらたく言えば、作品のその先のことを書いていただいていた。物語を書くことは、そのときそのときに考えて書く場合と、時間をかけて構想を練って組み立てていく場合とがありそうだ。
そのきっかけと励ましになる言葉が並んでいた。一つの物語を編むだけでも満足していたけれど、誰かが待っていることがこんなにも励みになるとは思っていなかった。
さらに、別の方からサポートをいただくことができた。サポートはいつも嬉しいし、驚く。この投稿に⁉︎しかも、創作に⁉︎・・嬉しいことが続いて、この投稿を書いた時間が報われた。読んでもらうために書いた作品が肯定されたような、喜んでいただけたような高揚感を感じた。
僕は、書くからには以前書いた作品を越えたい、なんて思いがちで、なかなか筆が進まないのだけれど、今回の創作を楽しんでくれた声を聞いて、前の作品は気にせず書き続けていかないとなぁと、単純ながら気がついた。
これからも、書いていきたい。そして、読んでもらいたい。
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