俺の壁
厚くて高い、そんな壁の話。結論を先に書きますが、僕は登ったり超えたりするのをやめました。
話し言葉にしても書き言葉にしても、一人称の呼称は、自らをどう見せたいか、どう見ているのかが垣間見える言葉だと思っています。わたし、が一般的で自然だと思っていますが、それは公式というか職場でのこと。
僕は大人になった時に、わたし、って言えることが嬉しかったのです。いろいろな背景はありますが、大人の世界では「ぼく」では子供っぽいので、性別関係なく使える呼称に安心しました。
つまり、
俺、ってずっと言えなかったんです。
4歳とか5歳の子が「オレ」と言っていることがよくありますが、僕はそんなふうにならず、「ぼく」を多用していました。少し大きくなっても、何となく俺と言う言葉が強くて恣意的な感じがしていました。
おそらく、日常で見かける「俺」たちは、僕にとって怖い男の人でした。
物心ついたとき、一番近くにいる男性である父もまた、俺ではなかったのです。俺、と言っているのはテレビの中の怖めな男の人か、年上の威勢のいいお兄ちゃんたちでした。
そんな、怖い(と思い込んでいる)原体験があって、成長しても「俺」は使えずにいました。中学、高校と上がるにつれ、いつの間にか友人たちが「俺」と言い始めたのです。
あれ?いつの間に俺になったんだ?
え?恥ずかしいから?
僕、はいつまで経っても子どもっぽいのだと言うのです。確かに「ぼくちゃん」なんて揶揄するような使われ方もしたりしていて、恥ずかしさも分かるのです。でも、何だか「俺」って言えません。
それは、子どもの頃に嫌だと感じていた「なんか怖そうな男の人」になるような気がしていたから。自分に自信もないし、まして誰かに「怖い人」だなんて思われたくないのです。そんなことをして、友達がいなくなったらどうするんだ、そんな風に考えていました。
でも、気がついたのは「俺」たちは怖くなかったということ。「ぼく」が恥ずかしくて、自分を強く見せたくて「おれ」って言い始めた奴も大勢いることがわかったのです。環境がその人の性格を作るなら、呼称だって変わって当然なのです。
いまさら、男らしさのような視点を考え直したいわけではなく、俺を使い始めるタイミングを逸した理由を考えてみたら、それも取るに足らない違いのように思えてきました。
英語では「I」しかない一人称、日本語には、わたし、ぼく、おれ、うち・・・なかなかあります。会社では「わたし」、プライベートでは「俺」、そんな使い分けをしているのは選べるからなのかも知れません。
僕は、「わたし」を選んでいるのです。