転職への基準
そうかー人間関係かー、ファミレスを選べばいいのかー。って、分かったようで何も分からない。人間関係が大事なのはスピリチュアルに傾倒する前から分かってたし、自分の場合は色々理屈はこねても、今も昔も転職の理由なんかほぼ人間関係が全てだよ。
このままでは何も分からないので、押してダメなら引いてみよう。自分でも気付いていない高級レストランへの執着を断捨離することで、何かが見えてくるかもしれない。
若い時は、高級レストランよろしく「ここで働いてる自分」「こんな仕事をしている自分」みたいなのを仕事選びの基準にしているところが確かにあった。しかし、もはやアラフォー、しかも独身ゲイ。世間体とか社会的評価とか、段々と気にしなくなってきた。他人に自慢はできなくても、自分の心と身体に優しい仕事が一番だ。今の職場も世間体的にはちょっと微妙だし。
ということは、高級レストランに拘るもう一つの理由「美味しいもの(高級レストランでの食事)を食べることは絶対的な幸福である。」という思い込みか。ファミレスも食べ放題も、自分にとってとても楽しい食事ではある。つまらない思いをして食べるより断然有意義だ。しかし実際問題、高級レストランや高級焼肉の方が遥かに美味しいことも百も承知。むしろ高くて美味しいもの大好き!だからこそ、この手の論争は定期的に起きては収拾がつかなくなるのか。
あくまで例え話ではあるのだが、この場合「美味しいもの」の比喩に該当するのは「収入」なのか?それとも「やり甲斐」だろうか?両方なのだろうか?それとも、それ以外の何かか?収入が多いこともやり甲斐があることも、どちらも仕事においての幸福感に関わる重要事項である。収入は多いに越した事ないし、やり甲斐もあった方が絶対にいい!仕事に対してのこの思い込みは、自分の中で非常に大きいのかもしれない。この際、収入に拘るのはやめてみよう。スピリチュアル的には、お金なんかはどうにでもなるわけだし。むしろこれを機にお金の引き寄せも叶えよう。
じゃあやり甲斐は…?果たして今までの人生で、やり甲斐のある仕事をした事があるのだろうか?若い時は、仕事がものすごく楽しくて仕方がない時期もあったし、実際あの頃は輝いてたと思う。なんなら、今だって毎日楽しいし日々成長している実感もある。ただ、それがやり甲斐かと云うと、多分違う。やり甲斐を感じたことがないから、やり甲斐に拘るのか。もしくは、自覚はないが今の仕事にやり甲斐を感じていて、同等かそれ以上を求めてしまうのか。自分自身でもやり甲斐とは何かが今一分からないけれど、とりあえず仕事にやり甲斐を求めることも一旦やめてみよう。