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自己紹介No.2

私の両親は離婚しているのですが
幸せなことに縁は切れておらず、母親の方で育てられ
父親とは今でもとても仲がいいです笑

私は小さい頃から結構濃い道を辿ってきています笑

話は留学前からに戻します。

カナダに行く前に父親の方のじいちゃんが冬に転倒して頭を打ってしまい
そこから左側全身麻痺しちゃって、リハビリしなきゃいけないくらいの後遺症があって入退院を繰り返していたのですが

そんな中、行ってくるねと言って私はカナダに飛びました。。
(その時の爺ちゃんはかなり元気で会話も余裕でできるレベルでした)

前回お伝えした、母親から爺ちゃんの余命宣告されたから帰ってきたというのは母親の方の爺ちゃんでした。

実は3人の爺ちゃんがいますが、そのうちの2人が危機な状態でした。

帰ってきた年に父親の方の爺ちゃんが急変し、転倒で元々脳内出血を起こしていたのが原因で悪化してしまい亡くなりました。
夜中に息が止まり、父親から連絡を受けて死に目にはあえませんでした

父親の方の爺ちゃんはとても礼儀に厳しく、小さい頃人前でゲップをして怒られたり食べるときは正座、言葉遣いも色々なおされました。
だけど、小さい頃からそういうのを教えてくれたおかげで
相手に対する態度や言葉遣いなどマナーを学べたと思います

逆に甘い面もあって、毎回遊びに行くと絶対お刺身が出てくるんですけど、私の弟がマグロがすごい好きなので、その日の新鮮な赤身マグロを買い出しに行って夜ご飯で出してくれたり、私はフルーツが大好きなので毎回違うフルーツを食後のデザートとして出してくれる笑
とっても人想いなじいちゃんでした。
じいちゃんっ子の私からしたら、爺ちゃんの孫で良かったと心から想います。


その翌月、突然幼なじみが自ら命を絶ったのを仕事中に報告を受け、壮絶感が半端なかったです。
亡くなる数日前に何故か私は彼に連絡をしていたのですが、返信はなかったので会話はできずに一生会えなくなってしまいました。
もっと早い段階で、連絡して顔を合わせるなり会話をしていたら何か困っていることや悩んでいることの話を聞いてあげれていたかもしれないと思うと
毎回涙です

小学生の時から家族のように一緒に過ごしていて、勉強を教えてもらったり一緒に学校行ったりしていたので、今でも、なんで?言ってくれればよかったのにって思う時があります。
でももう聞けるわけじゃないので、彼を心の中で大切に想っています。
彼の行動はマイナスでもあるけどプラスでもあって自分の生き方を見直させてくれました。
彼ができなかったことを代わりにやろうって

またその翌月に母親の方の爺ちゃんが癌で亡くなりました。

私はよく弟と母親と一緒にお見舞いに行っていきました
カナダから帰ってきて亡くなる数ヶ月前まではとても元気に会話をしていて車椅子で移動できていたのですが
徐々にベッドから離れることができなくなり
話は聞こえてるけど反応ができない状態になってました
亡くなる前日にお見舞い行った時に
明日朝仕事前に来るね!!と行ってその日は帰りました。
その日の夜、爺ちゃんが私の職場に来て話をして遠くに一緒に歩いていくという夢を見ました(これリアルで、作り話じゃないんですけど)

そして朝、その夢の話を母親にしたか忘れましたg
じーちゃんとこ行って仕事行ってくる〜って言って家出てじーちゃんとこについて
おはよ〜!って言って爺ちゃんにひたすら話しかけてました笑

その時呼吸はしてて目も少し開いていましたが、段々目が閉じてって呼吸が遅くなって、え?!止まった?!ってなったのでナース呼んで。対応を見ていました。

目の前で亡くなり、私1人で死に目に会って

看護師さんには身内の方呼べますか?って聞かれて、呼べます!って言って
真っ先にばーちゃんに電話してその後、親と親戚に電話してみんな到着するのを爺ちゃんと待っていました。
その時は悲しいというより、自分がしっかりしなきゃっていう気持ちが強かったので
涙は1滴も出ませんでした。

話しかけてる最中に天国にいくという、こんな最期まで見届けれる幸せはなかったです。

その夜、母親に夢の話をしたら、じーちゃんは伝えに来てたんだね。そろそろ行くよって。って言っていました。
母親の方の爺ちゃんは血が繋がっていませんでしたが
生まれた時から最期まで可愛がってくれて
爺ちゃんの仕事にもついて行ったり、学校終わりに遊びに行ったり、一緒に温泉行ったり
一緒に過ごした時間が長い、爺ちゃんでした。


人の死を連続で3回も味わい
命の大切さと十分に向き合えた時間だったと思います。


またつづく。。。😂

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