よもぎ麩と、酒と、奈良の夜。
「一番好きな食べ物って何?」
みんな、一度は聞かれたことのある質問ではないでしょうか。
皆さんは、どんなものが好きですか?
「シュークリーム!」とか可愛く答えられたらいいんだけど、
迷わず答えてしまおう、
「生麩!」
そして、「ただの生麩じゃない、よもぎ麩!」と。
なんて渋い答え・・・
そこはハードボイルドな私である。
忘れもしない、20歳の時に師匠から「お前の酒の飲み方は47歳だ!」と叩きつけられた迷言を。
いつからだろう、よもぎ麩が好きになったのは。
いつからだろう、都内に行くたびに生麩を大量に購入するなじみのお豆腐屋さんができたのは。
生麩は、そこらのスーパーではあまり見かけない。関東圏より、関西圏のほうが馴染み深い気がする。
京都では錦市場でも売っているし、金沢に旅行に行った時もお麩屋さんに生麩のメニューがババーンとあって感動した。
京都も金沢も料亭がたくさんある。そう、よもぎ麩は料亭でちまっと出されるような、そんな上品で希少な存在なのである。
(この金沢の不室屋さんに行った時は2日連続で通い詰めた。)
そもそものはじめは、奈良に住む大学の友人に会いに行った時。
初めて奈良に行った時は、いつだろう。5年前か?
その時は、まだ京都に1人でいったこともなく、関西というものになんの懐かしみも感じない頃だった。(今はもう、住みたいぐらい恋しい。)
はじめての奈良で「法隆寺」と「大仏」と「シカ」ぐらいしか知らなかった私。
「とりあえず、おいしいもん食べに行こうよ。」
と連れて行ってくれたのが、ならまち商店街の奥にひっそりとある飲み屋さん「よばれや」だった。
ここの本当におでんが美味しくて美味しくて・・・
(そもそもお店の看板メニューが「おでん」なのだが)
それなのに、
なぜかそこで私の心を鷲掴みにしてしまったのは「よもぎ麩」だった。
私と友人はカウンターに横並びに座りながら、日本酒をちびちび飲み、おでんと生麩を食べていた。
大学の同期は優秀な人たちばかり、みんな立派な会社に就職し、私1人だけ野っ原を駆け回っていた。(今もだけど)
彼女もまあ、それは立派なところでバリバリとやっている。
「あんた、大丈夫なの?しっかりやりなさいよ。」
酒の強い私たち2人は、日本酒を飲み続け、その後、どこにあったか記憶にないどこかのバーでまた飲んで、とにかく遅くまで飲み続け、
友人に叱咤激励されながら、奈良の夜は更けていった。
思えば大学の学部のガイダンスの日。
東日本大震災で入学式がすっとんだ私たちにとって、実質はじめての日だった気がする。
私の中高の友人の友人(実質、他人同然)だった彼女の隣で
「私、役者になる。」となぜか私は初対面の彼女に宣言した。
「こんなヤツ、ほんまにおるんか・・・」と彼女は唖然としたらしい。
そんな初対面の後、超アナログな私は、大学のネットポータルの登録もできておらず、みんなはとっくに終えている講義申請もまだだったため、
「お前はアホか!はやく登録せい!」とまたまた彼女を唖然とさせた。(あやうく大学生しょっぱなからつまずくところだった。)
私は多分、彼女の友人たちの中で、「唖然とさせるヤツNO.1」になれそうだ。
そんなこんなで、初対面から「こいつ変なヤツ」という印象を叩きつけ、
その後同じ授業をとることも、ほぼないまま一年、二年が過ぎ、(しかし、なぜか一年に一度ぐらい会って長話するような妙な仲だった。)
大学三年生になる頃。
「あれ、一緒じゃん!」
なんと、ここまでまったく同じ授業をとったこともないのに、ゼミが一緒になると言うミラクルが起きたのである。
ゼミの同期の皆は、それはもう、個性豊かな面々で、愉快な人たちばかりだった。
戯曲や、映画やドラマの作品研究をするようなゼミだったのだけれど、
彼女はいつも論理的で的確な考察をし(私の苦手な論理的思考が素晴らしくできるお人だった!)
直感と勢いで生きていた私は、同じ作品を考察する中でぶつかりもした。
いや、でも、本当に楽しかった。
今でも、「パラサイトみた!?ちょっとこれ、作品研究しなければ・・!」というゼミの続きがあったりする。
そんなこんなで、二年間のゼミは、楽しく過ぎていった。
最後の卒業論文で「欲望という名の電車」を考察した私のしっちゃかめっちゃかな論文を読んで、ゼミの友人たちが、「もなみらしい論文だね。」と言ってくれたのが、なによりも嬉しかった。
大学を卒業し、初めて奈良に会いに行って、初めて「よもぎ麩」を食べた後も、
次の年には、参加した映画の作品が「なら国際映画祭」で上映されることになってまた友人の家に転がり込み、
その次の年には大阪でその映画の上映と京都での舞台制作の面談があって転がり込み、
その次の年には京都で舞台制作があって、彼女が奈良から京都に飲みにきて、
なんだかんだで一年に一度は飲み、
なんでかわからんが、定期的に会わないと調子が狂う。
「あんた、しっかりしなさいよ。」と叱咤激励されていたあの頃。
ずっとお説教されていると思っていた。(良い意味でね、)
でも、ある時、
「いやーー、、なんとか、しっかり頑張ります。」と言ったら、
「いや、もうアンタはとことん、我が道行きなさいよ!ここまでくると、すごいわ!笑」と、返されたことがあった。
その時、とっても嬉しかったんだよね。
本当にいつも心配かけて、呆れるぐらい不器用で、笑っちゃうほどスマートには生きられない私を
何だかんだ叱咤激励しながら、それでもいつも付き合ってくれて、京都での舞台に駆けつけてくれたり、HANAICHIのことも応援してくれたり、
彼女には、いつも、頭が上がらない。
なんでかわからんが、ガイダンスのあの日、隣の席でとんでもない宣言をしたこと、
私はいつも、あの時の真っ直ぐさを思い出す。
今でも、なんだかよくわからない根拠のない自信で進み続けている。
よくわからんが、お前はとことん行ってみーや!と背中を押してくれる友人たちに
たくさん助けられている。
彼女も今では転勤になり、奈良から東京に戻ってきている。
本当は4月に花見がてら会いに行くはずだった。
オンラインで爆笑しながら飲み会はしたが、
それでも、やっぱり
カウンターで呑まなきゃ、酒が足りない私たちである。
まだまだ野っ原をいく私は、呆れられながら、藪をかき分け、進むしかない。
でも、そんな生き方をする私を
やっぱりあんたは面白いやつじゃ、と言ってくれる人たちがいる心強さよ。
いつか(たぶんそう遠くない未来)、彼女が敏腕プロデューサーかディレクターになったら、
「日本各地の民俗芸能を訪ねて」とか、「アジアを行く!」とか、
面白い番組企画を出してください!そして雑用でもなんでもしますので仕事させてください!と言ってある。(そのためにも、企画いっぱい提案しておこう。)
たぶん、彼女はこれからも格好良く仕事をし、どんな仕事だろうが、これからも面白いことをたくさんやっていくだろう。
だから、この道の先で、いつか一緒になにかやれるように、
私も私の場所で、精一杯頑張らにゃ!と思えるのであった。
一緒に仕事したい人たちがいっぱいいる。一緒に作品作りたい人たちがいっぱいいる。恩返ししたい人たちが沢山いる。
だから、そんなことができる場所として、HANAICHIを立ち上げたのだった。
(あのアナログすぎる私が、涙びーびー流しながら、なんとかHPをつくった!笑)
まだまだ、弱音を吐いてなんていられないのである。
だいぶ話はかけ離れてしまったが
そんなこんなで、よもぎ麩にはそんな昔の思い出が詰まっているのである。
ああ、食べたいな、よもぎ麩。
プルプル、なんとも言えない匂い、絶妙な甘辛味噌。
わたしゃ、あれがないと、始まらんのよ。
コロナが落ち着いて、今度都内に会いにいけるようになった時には、よもぎ麩と日本酒でも持っていくかな。
いつも、ありがとう。
粋でいなせな、我が友よ。
あんたに会えて、本当に楽しい人生になった!(まだしぶとく生きるよ。)
この記事を読んでくださった、そこのあなた!
騙されたと思って、よもぎ麩、ちょっと食べてみてください。
少しフライパンで焼き色つけて、くるみ味噌とかつけて田楽にすると
もう、ほんとうにうまいのです・・・。
ほっぺた落ちちゃうのです・・・ふぉぉ
ちなみに、生麩田楽を食べれて、おいしいお蕎麦も食べれる
私のお気に入りの場所は
GINZA SIX の「真田SIX」というお蕎麦屋さん。(すごい名前だな、と毎回思う。)
私のあてのない「旅ごはん」に付き合ってくれるあなたにも
いつか、「ありがとうございます。」と言えるように。
これからも、私の「思い出ごはんトラベル」は続いていくのであります・・・・