人生を今よりもっと退屈にできる方法
人生で最も「もったいない」ことの一つに「やらず嫌い」があると私は思います。このような言葉が実際に存在するのかは分かりませんが、「食わず嫌い」のようなイメージです。すなわち、まだやってもいないのに、つまらなそうだからという理由でそれをやらないでいることです。わりと多くの人が無意識にこの「やらず嫌い」に陥っているかと思います。もちろん私もそうでした。
周りにもいるかと思います。はたからみてめちゃくちゃつまらなそうなことなのに、狂ったようにそればっかりやっている人が。ただ今でこそ、こう思えるようになったのですが、おそらくそれは実際に面白いのだと思います。面白い要素を含んでいるからこそ、はまる人がいるわけですから。
何が言いたいのかというと、今までやってきた「やらず嫌い」を無くし、とりあえず色々なことをやってみるのが大事だということです。大事というよりかはむしろ、そのほうが面白い人生を歩めるのでは?ということです。今までやらず嫌いを行ってきた私が、とりあえずアンテナをひろげて、フットワークを軽くし、「人生初めての経験」をやり続けた結果、この結論にたどり着けました。
ボルダリングを好きになれたのも「とりあえずなんでもやってみよう」という意識と行動のおかげでした。ボルダリングなんて何が面白いの?と本気で思っていました。ただ一人で黙々と壁をよじ登るだけじゃん。しかもよく分からないルールとかあるし。もはやスポーツですらないとまで「やる前」は思っていました。
では実際にやってみてどうだったか。
やっぱりつまらないと思いました。全身の筋肉を使うので長時間できるものではなく、せいぜい15分~30分程度。学生のころ複数の友人とノリで行ったことを後悔しました。もう絶対いかないと心に誓いました。
このボルダリングの箇所を読まれて、疑問に思われた方がいるかと思います。今までの話の流れに適さないと。すなわち、このように話が展開されると思われたのではないでしょうか。
やらず嫌いはもったいないよという結論を導くためのロジックとして、「やらず嫌い」であったボルダリングが、やってみたら実はめちゃくちゃ面白かった。だからなんでもかんでもまずは色々やってみよう!と。
たしかにこれだと筋が通ります。
ではなぜ、私がボルダリングのエピソードをいれたのか。
すなわち、「やらず嫌い」であったボルダリングを実際にやってみたら、めちゃくちゃ「つまらなかった」という話をしたのか。
それは、「やらず嫌い」を克服するうえでこれこそが最も厄介なポイントだからです。
つまり、実際にやってみたらすぐピンとくるものと、ある程度ストレスを感じながらもやり続けることでピンとくるものがあるということです。
はじめは嫌々行っていたものが、やり続けていくうちに人生に欠かすことのできない趣味になったという経験をされた方がいらっしゃるかと思います。まさにそれです。
先ほどの話のとおり、私はボルダリングをつまらないと思っていて、実際にやってみたら、めちゃくちゃつまらないと思いました。ただその数年後、私の友人がボルダリングにはまっているのを見て、私ももう一度再チャレンジしてみました。乗り気ではなかったので、月に3、4回のペースでやるようにしました。その結果どうなったか。今ではあれだけ酷評していたボルダリングが、私の趣味の一つになったのです。夜になればボルダリングができるぞ!と思いながら仕事をするぐらい、今では好きになれました。
まとめます。
人生を今よりもっと、もっと退屈にしたいのであれば、ぜひ「やらず嫌い」を継続してください。食事で例えるならば、今までの人生で味わってきた、美味しいと思える料理だけをこれからも食べ続けてみてください。ただもし、その最も好きな料理の味を超える、ご自身の最高のレベルを超える、「最高」の料理に出会いたいのであれば、ぜひ様々な料理を「つまみ食い」し続けてみてください。
お読みくださりありがとうございました。