推しの子165話感想(ネタバレあり)
今一度注意喚起。
2024年11月8日時点最新話に関する重要なネタバレあり。
一世を風靡した「推しの子」も残すところ後1話。
どうなるんだろうね。
今の所バッドエンドもバッドエンド。
感想も大荒れ。赤坂アカ先生も有馬かなも散々に叩かれてる。
比較的アクアやあかねは叩かれてないのが個人的には面白い。
この調子だと、悪評立って終わってアニメの続きコケそうだな……
さて、そろそろいいか。
アクアは死亡確定、3話連続でダメ押しされたからね。
まぁ人を殺して生き残るわけにはいかんから、死ぬしかないとは思う。
唯一劇中劇説が残ってはいるけど、死体ビンタより萎えるから辞めて欲しいなぁ。
そう、死体ビンタ。大荒れしてるね。まぁ、そりゃそうだろうな。あんなことしたら。
ただまぁ、俺個人としてはかなちゃん推しは揺るがないな。あの子はそういう事する子だって最初から描かれてたし、「やっちゃったかぁ。こりゃ荒れるなー」という納得があっただけだった。
結局突き詰めて言えばこの終わり方は、作者のエゴの問題なんだと思う。
問題っつっても責めてるわけじゃないんだよね。
皆が求める綺麗な嘘と、醜い本物のエゴ。
それを作者は描きたかったんだと俺は受け取っている。
死ぬ寸前まで綺麗な嘘しか見せず醜いエゴを隠しきったアイ。最後に見せた本物がちゃんと綺麗だったから許された。
飛び出した偽物のエゴを叩かれたあかね。本物のエゴも綺麗だったから許された。
綺麗な嘘なんてクソ喰らえと醜いエゴを偽らなかったかな。アクアの好意を得られた代わりにボロクソに叩かれる。
自分の醜いエゴに怯えながらも、やっぱり根っこにある綺麗なエゴは揺るぐことが無かったルビー。
主人公故に作中通して描かれたおかげで、綺麗な嘘の裏に醜いエゴがあることを見せつけてもなんとなく許されているアクア。
誰に許されるかって? 読者だよ。
見当はずれかもしれないけど、「この作品を通して作者が問いたかったことを応えなさい」なんて国語の問題があったとすると、俺はこう答える。
「生まれついて綺麗な性根を持った人は良い。
じゃあもし、醜いエゴを抱えて生まれついてしまったらどうすればいいんですか?」
そうだね。これはきっと俺の願望だよ。
あか先生にかこつけてるだけの、俺の嘆きなんだろうよ。
あかねやルビーのような純真に生まれついた人は良いよ。
番組で吊るしあげられたって、親に愛されなくたって、きっと周囲の力を借りて立ち直れる。
だって愛されるから。放っておかれないから。
でも人を疑って、自意識過剰で、打算的で、自分を曲げられない人間はどうすればいいの?
アイのように死ぬまで隠し通せばいいの?
カミキヒカルのように諦めてありのままの自分を受け容れるのはどう?
アクアのように自分を責めて自分を律し、最終的に自分を罰するしかないの?
有馬かなのようにそんな自分を嫌いながら、それでも偽らずに生きたら駄目?
ダメなんだろうね。
実際かなちゃんのスキャンダル編では許されなかった。
どんな葛藤も、罪悪感も、負けん気も、「不愉快、長い、いらない」って評価される。出来る限り精一杯描写しても理解共感してもらうことは無かった。
アクアは「まぁ死ぬしか無いよね」と受け入れられた。
勿論生存を望む声もある。でも生き返ったら盛大に叩かれるんだろうなと思う。
カミキヒカルは当然のように許されるはずがない。
そりゃやってることがやってることだから当たり前だけど、それは自制を止めて諦めて、「ありのままの自分」って奴を貫いた結果なんじゃないのかな。
アイは女神になった。偶像になり神格化された。
隠し通して死んだことで、その内に隠していた絶望や恨みも、なんとなく綺麗なものとして美化された。
「可哀想に」
なんて評価になった。
自分の性根なんて、生まれ持ってしまった以上変えられないんだよ。
アイのように隠し、自分も他人も騙し通すか、
アクアのように罪悪感で縛って自分を罰するか、
有馬かなのように罪悪感を感じながらも、自分を隠さず肯定するか、
カミキヒカルのように制することを諦め、ありのままを受け容れるか。
生まれ持った性根にどう向き合うかを選択することは出来ても、無かったことにはできない。
結局生まれ持った性根は、エゴは否定されるしかないという結論だ。
「ありのままで」なんて許されるのはいい子ちゃんだけ。
葛藤の末に出した結論だろうと、汚いエゴは見せたら最後糾弾される。
どれだけ筆舌を尽くしたところで、醜いエゴが受け入れられることは無い。
あかねのバッシング事件、かなちゃんのスキャンダル、アイの15年の嘘、姫川の両親の事件、その他諸々作中通して何度も何度も「綺麗に見えてるものの裏にも、醜いエゴがある」と描かれて、表面だけ見て喜んで裏を見ては裏切られたと喚く愚かさも描かれて尚、結論は隠せってことなんだよね。
どれだけ語ったところで、詳細に描いたところで、悩んだ所で受け入れられない。
葛藤し筆舌を尽くす正直さより、隠し通す嘘や狡猾さが評価される。
それが結論のように感じてしまう。
俺はアクアと同じタイプだ。
醜い自分のエゴを嫌い、罰しながら生きている。
だから醜い自分のエゴを嫌いながらも、それを否定せず通していくかなちゃんに憧れる。
そんな彼女が受け入れられる世界に焦がれている。
彼女が受け入れられるなら、自分も自分を罰さずに生きられるかもしれないから。
赤坂アカ先生もそうなんじゃないかな。
だから手を変え品を変え、「こういう状況はどうだろう?」「ここまで描写したら理解してもらえる?」「これだけ悩んで出した答えなら許されない?」「表面だけじゃなくてちゃんと事情を考えてみて」「こんなにもここまで頑張ってきて、耐えきれなくなった結果なんだよ」
と言いながら、許されるラインを探ってきた。
まぁでも、結論は変わらなかった。
そういうシリアスはいらないと断じられた。エンタメとして消費するには邪魔だと評価された。
自分のこういった面倒くさいエゴを、受け入れて欲しくて、なんとか漫画という受け入れて貰え安い形に出力して、結局求められるのはエンタメだけ。
この漫画は醜くて面倒くさいエゴがあるから生み出せるもので、そんなエゴを受け容れて欲しいという衝動が原動力になっているのに、やっぱりそんなエゴなんていらない邪魔と否定される。
そしてまた自分のエゴは受け入れてもらえないのかと失望する。
多分今の形で終わらせることには悩んだんだと思う。
はっきり言って最後の方は明確に駆け足だった、というよりシンプルに描写不足だった。
でもじゃあちゃんと話数を増やして、単行本一巻分増やして描写すればよかったのかと言えばそうでもない。
「不愉快」とか「面白くない」「クソ」「自己中」なんて言葉で片づけられる。
つまり、そもそも「求められている物語じゃない」。
じゃあ求められているものを描けばいいのか?
多分赤坂アカ先生も出来ないわけじゃない。お涙頂戴の皆が満足する話は想像がつく。でも書きたくない。求められている自分じゃなくて、自分のエゴを受け止めて欲しいというエゴを原動力に漫画を描いているのに、そこを偽ってしまうと漫画を描いている理由が分からなくなってしまう。
自分のエゴは譲れない。でもしっかり描写した所で結局否定される。それならいっそ描写不足でも構うもんか。分かってくれる人にだけ分かってもらえればいい。
そういう投げ槍さがあるように感じてしまう。
いや、ほんと見当違いかもしれないんだけど、そんな風に勝手に作者に共感してました。
あー、あとそうだ、先週書こうと思ってたこと。
自己犠牲ってのはどこまで言っても自分のためだってこと。
それは単に、周りのためにならないよって意味じゃない。
目の前の大きな問題に対して、自分一人で解決できると思う事自体が自身の利益だっていう意味。
自己評価が低い人間にとって、自分の命なんてのは然程価値ある物じゃない。
そんなはした金をチップに自分に問題を解決することが出来るなら、これほど安易なことは無い。
誰かを巻き込み、リソースを奪って責任を負わせることの方が、よっぽど難しいんだ。
自己を犠牲にすることで誰かを救おうなんて理由じゃない。自己の犠牲にするだけで、自分が目の前に抱えている問題を解決出来るというのが自己犠牲の理由、動機ってことだ。
最善を模索することの放棄であり、詰みになる前に備える事を怠ることの許容だ。
だからその、なんて言うかな。
周りは思いっきり文句を言っていいんだ。責めていいんだ。罪悪感を持つ必要も無いし、無力感を感じる必要も無い。
自己犠牲を選んだ人間は遺体をひっぱたかれて口汚く罵られて当然なんだよ。
それでも尚「悪いな。でも後悔はしてないし俺はやりきったぜ」って笑えるやつじゃないと自己犠牲なんてしちゃいけない。
アクアは苦笑しながら、「俺はひっぱたかれて当然の人間だけど、みやこさんやルビーのためにもこの場でやるのは良くない。葬式は生者のためにあるものだから。だからやるならせめて、一人の時に墓石を蹴るくらいにしてくれ」とか言いそうだけどね。
まぁ、なんか勢いで長々書いちゃったけど、そんな感じの感想でした。
最終評価芳しくなさそうだけど、俺は推しの子好きだよ。見当違いの考察かもしれないけどさ。
劇中劇でアクア死んでませんだけはやめてくれー