憧れ

 俺にとって、世界は綺麗なものではありませんでした。
 それは多分、世界を映す俺の瞳が濁っているからなのでしょう。
 あらゆる人や物事を疑うことから始め、その雑に隠された無意識の欲望や傲慢さを見ては、貼り付けた綺麗事に薄ら寒さを感じてきた。
 その獣は俺の中にもいたので、俺はその獣から目を逸らすことが出来ませんでした。ずっと己の中の身勝手さを見据えては、自己嫌悪を深めていきました。

 だからでしょう。俺が様々な物語にハマったのは。
 様々な思惑や困難の中、それでも純粋さを貫き通してハッピーエンドに辿り着こうと足掻くヒーロー達に憧れました。
 現実にもきっと本当はいるはずで、でも信じ切れない憧れを、物語の中に求めました。

 そして改めて今見つめ直してみると、やはり俺の中心にあるのは、「ひぐらしのなく頃に」の前原圭一でした。
 きっとその理由は、単に見たタイミングがクリティカルだっただけなのかもしれない。今見たら普通に「良い物語だなぁ」で通り過ぎるのかもしれない。
 でもどれだけ身の程を弁えようと現実を見ようとしても、どうしても手放せない憧れがあった。
 こんなクソッタレな世界で、嘘と打算と身勝手だらけの世界で、それを否定することなく受け止めて、それでも運命の袋小路を打ち破ってみせる存在に憧れたのです。
 上っ面の綺麗事でなく、無知故の能天気でもなく、誰よりもその苦しさを知った上で立ち向かう勇気をくれる存在に憧れた。
 疑いを乗り越え違いを受け止め、その上で仲間を信じて力を合わせれば、どんな運命だって打ち破れると見せてくれた存在に憧れた。
 何度自分には立ち向かうだけの根性が無いと否定しても、何度自分には仲間に信じてもらうどころか俺自身が信じることも出来ないと罵倒しても、俺はそんな大それたことが出来る存在ではなくただの凡愚だと嘲笑っても、どうしても捨てる事が出来なかったのです。

 俺はどうすれば良かったのでしょう?
 身の丈に合わない理想を描いて、堅実に生きようとしてもどうにも我慢ならなくなって、引きこもって。
 「自分の限界を決めるな」なんて安い言葉じゃ心動かないのです。
 どうしたって始めから憧れを追いかけるだけの真っ直ぐさも無ければ、諦めて人並みの暮らしに身を投じる利口さも無かったのです。

 俺は生活保護で生き永らえている現状を、自分の足で立っていられない醜態を恥じています。それは今後一生変わることは無いでしょう。
 それでも例えもう一度人生をやり直せたとして、この回り道をせずスマートに生きる事が出来るとは思わないし、結局同じ道を選ぶだろうと思う程度には、この生き方自体は恥じてはいません。今のところは。

 まだもう少し、覚悟が決まり切っていないけど。
 上っ面の綺麗事でなく、無知故の能天気でもなく、誰よりもその苦しさを知った上で、「まだ出来る事があるはずだ。俺たちは無力じゃない」と言える人間になりたい。
 その醜態を、無様を、雄姿を、希望を、誰かに見せられる人間でありたい。
 このクソッタレな世界で、もう少し生き足掻いて見ようと思える切っ掛けになれる人間でありたい。

 不格好で、醜くて、情けなくて、身勝手で。そんなクズさがあるのも人間だけど、それと同時に格好良くて、純粋で、尊敬出来て、誰かのために動ける想いも両立するのが人間だと、主張していきたい。
 それが俺の原点です。

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