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アストロサイト:私たちの脳と心を守る無名のヒーロー

 みなさんは、ヒーローというとどんなものを思い浮かべるでしょうか。ピンチの時にどこからともなく現れてありとあらゆる困難を解決してくれる超人的な存在でしょうか?(そうかも知れない)けれど、ふとした拍子に気がつくことがあります。自分にとって本当のヒーロは、かけがえのない存在であるともだち、先生や上司、パートナーや家族などではないでしょうか。

 そのような身近な存在こそが、自分にとってのヒーローなのではないでしょうか。当たり前すぎて、そのありがたさには、普段なかなか気づきにくいものです。それは健康と似ています。昨今、健康ブームはますます勢いを増しています。しかし体の健康だけではなく、脳と心が健康でないと生き生きと暮らしていくことはできません。今日は、そんな脳と心の健康を陰ながら守り、支えているヒーローの話をしたいと思います。

 それは、星の形をした脳細胞。アストロサイトと呼ばれています。アストロサイトがうまく働かないと、脳は健康にベストパフォーマンスを発揮することはできません。僕は、そんな陰ながら脳の健康を守り支える、縁の下の力持ちに魅力を感じて、研究をしている一人です。アストロサイトこそが、僕にとってのヒーローであり、スターなのです。

 僕の故郷には、星の形をした公園があります。ご存じ五稜郭公園です。桜の名所でもあり、春になると家族でよくお花見に出かけたものでした。僕が研究者を目指したのは、そんな高校生の頃でした。
 高校生の頃、僕は、ボランティアクラブに所属していました。ある日、特別支援学校の運動会に参加し、重度知的障害と診断された同年代の生徒さんと1日過ごすという体験をしました。参加する前は、自分とは全然違うと思っていましたが、実際一緒に過ごしてみると、走ったりする運動機能や、勝ったら嬉しい、負けたら悔しいという基本的な部分は、「自分とは何一つ違わない」ということに気づいたのです。それは、人生観が変わるような大きな衝撃でした。自分とは違うというのは偏見に過ぎず、そんな偏見を持っていた自分を恥ずかしく思いました。僕と彼らの違いはほんの紙一重でしかありません。その違いとはなんなのか、人間とは何か。どんな書物にもその答えはありませんでした。ただ、その謎を解く鍵は脳にあると考え、答えがないのであれば、自分で解き明かしたいと思って脳の研究者を志しました。

 それから何年かして、運良く脳の研究者の仲間入りを果たしました。僕の研究者としての人生を大きく変えたのは、アストロサイトとの出会いでした。それまで見知ったことを本としてまとめ、講談社ブルーバックスから出版させてもらいました。ここからは、この本のなかから、僕が大切に思っているアストロサイトについてご紹介してまいりましょう。

 脳も細胞からできている臓器の一つです。脳細胞には、大きく分けると、電気を発生し回路を作っているニューロンと、それ以外のグリア細胞に分けられます。グリアとは、日本語では膠という意味で、膠というのはレンガとレンガの隙間を埋めているパテ、いわゆる接着剤のことです。グリア細胞はその名の通り、これまで単にニューロンの隙間を埋めている支持細胞にすぎないとされてきました。しかし、特にアストロサイトは、ニューロン同士の繋ぎ目であるシナプスと血管の両方と接触し、重要な働きをしていることが分かってきています。

 例えば、アストロサイトは、脳に入ってくる血管に密に巻き付いており、脳の中に余計な物質が入ってこないよう監視しています。この仕組みを、血液脳関門と言います。関門といっても、門番がひとりいるような門ではなく、全ての脳血管にバリアがあるのです。この画像では、血管が浮き出て見えていますが、実際に染まっているのは血管ではなくアストロサイトなのです。この画像からも、いかにアストロサイトが密に血管を取り巻いているかがお分かりいただけるかと思います。

 さらに最近では、脳の中に溜まった老廃物を洗い流す仕組みにもアストロサイトが関与していることが分かり始めています。血管に巻き付いたアストロサイトが、脳の中の水の流れをコントロールしているというのです。

 またアストロサイトは、周囲のニューロンを束ねて、ニューロンの活動をコントロールしているとも言われています。周囲に生じる様々な情報伝達を察知し、化学物質によってコントロールする、調整役を担っているのです。スポーツで言えば、監督やコーチのような役割を担っていると言えるかもしれません。

 脳というと誰もが思い浮かぶのは、このように、回路の上を電気がビュンビュンと飛び交っている様子ではないでしょうか。これはニューロンと呼ばれる脳細胞。素早くそして正確な情報伝達によって、私たちの運動や思考を司っています。頭が良いというと、さぞかしこのニューロンの回路がぎっしり詰まっているとお思いかもしれません。

 しかし、最近の研究では、頭が良い人ほど脳の回路がシンプルになっていることが明らかになってきています。頭が良いと言っても様々な指標があると思いますが、ここでは知能指数いわゆるIQを一つの基準としています。脳の中の回路の様子を調べてみると、IQが高い人の方が、回路がすっきりと効率化されていることが判明しました。一方で、IQが高い人の脳の体積が大きいのも確か。ここで、増えているのは、ニューロンの回路以外の要素、ひょっとするとアストロサイトかもしれません。その証拠となる事例をいくつかご紹介しましょう。

 これまでの研究により、進化的により複雑な脳を持つ動物ほど、より多くのアストロサイトを持つことが確認されています。たとえば、ネコやヒトでは、ニューロンよりもむしろアストロサイトの方が多いとも言われています。その違いは数の多さだけではありません。

 ヒトのアストロサイトは、マウスなどと比べてサイズが大きく、より多くの突起を持った複雑な形をしていることもわかっています。この画像をみるといかにヒトのアストロサイトが、大きくて複雑な形をしているかがお分かりいただけるのではないでしょうか。

 アメリカで行われた研究では、ヒトのアストロサイトの元となる細胞、前駆体細胞を、マウスに移植するという実験も行われました。そうするとマウスの脳の中でアストロサイトに変化し、増殖して、元々いたマウスのアストロサイトをすみに追いやり、脳の一部がヒト化したと報告されています。このように、脳が一部ヒト化したマウスをここでは、キメラマウスと呼んでいます。このキメラマウスでは、通常のマウスと比べて、記憶力がなんと2.5倍も良くなっていることが確認されました。

 さらに極めつけは、20世紀最大の知性とも言われているアインシュタインの脳です。死後、彼の脳は秘密裏に世界中に配布され、何か違いを見出そうと研究されました。その結果、脳の一部でアストロサイトを含むグリア細胞の比率が、普通のヒトの約2倍ある領域が見つかったと報告されています。それが、ひらめきや創造性に関する領域だという都市伝説もありますが、いずれにせよアインシュタインは一人しかいないので科学的な根拠として採用するのは難しいものです。それでも、ひょっとするとアストロサイトが人間らしさや知性を担っているのかもしれないとワクワクさせるには十分なお話です。

 では、実際アストロサイトは脳の中で何をしているのでしょうか。一言で言うと、アストロサイトは、ニューロンと血管のインターフェースとして働いています。脳は非常にエネルギーを食う臓器で、基礎代謝の20%は脳が使用していると言います。そのエネルギーの大部分は、ニューロンが利用していますが、アストロサイトは、ニューロンのエネルギー源であるブドウ糖を血管から吸い上げてニューロンに渡してあげています。さらに、アストロサイトは、ニューロンが活動した後に発生する老廃物を吸収し、処理することで、また再利用するなど、まさにSDGsなことをしてくれているのです。したがって、アストロサイトがヘソを曲げて、私もう仕事しませんとなるとニューロンは困ったことになるわけです。事実、ごく最近の研究では、精神疾患や認知症などの多くの疾患では、このアストロサイトの機能不全が関わっていることが明らかとなってきています。
 では、なぜこんなにも大事な細胞の重要性はこれまで見逃されてきたのでしょうか。その理由の一つとして、アストロサイトはニューロンと違い電気を発生しないことあります。ヒトでは、脳波を測ることで脳の活動を知ることができますが、その中にはアストロサイトの活動は含まれていません。

 アストロサイトの活動を電気的に捉えることは難しいのですが、動物を用いた実験では、顕微鏡を使ってアストロサイトの活動を可視化することができます。これまで私たちは、生きたマウスの脳内で、アストロサイトが、さまざまな局面で活発に活動していることを観察してきました。
その一例をご紹介しましょう。

 経頭蓋直流電気刺激法は、頭蓋骨越しに非常に微弱な電気刺激を与え、脳を活性化する方法です。これまでこの方法によって、うつ病の症状が緩和したり、アルツハイマー病の進行がゆっくりになったり、脳卒中後のリハビリが促進したりするなど良い効果が多数報告されてきました。健康なヒトでも、記憶力がよくなったり、集中力が上がって、学習効率が上がるなどの効果が報告されていますが、その理由ははっきりしていませんでした。

 私たちは、マウスを用いた研究から、この電気刺激を行っている最中、脳活動が非常に活発化していることを観察しました。

 そこで活性化していたのは、ニューロンではなく、実はアストロサイトであったことを世界で初めて見出しました。

 アストロサイトがいつ、どんな時に活性化するかはまだ完全には分かっていませんが、その鍵を握っているのは、ノルアドレナリンと呼ばれる脳内物質です。経頭蓋直流電気刺激法では、ノルアドレナリンの放出を促すことで、アストロサイトを活性化し、それがニューロンの情報伝達の効率を変化させている可能性が明らかとなりました。アストロサイトの研究は、まだまだ始まったばかり。まだわからないこともたくさんありますが、だからこそ研究のしがいがある。興味は尽きません。みなさんもぜひその謎を解き明かし、一緒に新しい発見をしましょう!

 星空を見つめる時、美しいと思えるのはそこに無数の星が存在しているからです。もし、一等星以上の明るい星しか見つからなかったら、人類がそこに星座を見出し、物語をつむぐことはなかったかもしれません。脳の健康は、皆さんの脳の中にある無数のスターによって支えられています。アストロサイト、私たちのヒーロー、いつもあなたのそばにいます。忘れないでくださいね。ありがとうございました。

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