制作年月日不詳―サルバドール・ダリ=ナルシスの沈没―
《解説》
「生きるべきか、死ぬべきか」(シェークスピア)。見るべきか、見ないべきか(ダリ)。これが問題だ。あるいはもっと正確には、解くべき問題だ。[1]
この作品は、サルバドール・ダリが我々に投げかけた壮大な謎である。
一説ではダリの「遺作」であるとされている。一説では、という表現をしたのは「無題 燕の尾とチェロ」[2](1983)という作品が、長らくダリの絶筆とされてきたからである。「無題」はダリの永遠のミューズ、ガラ・エリュアールが亡くなった1年後に最後の作品として書き上げられた。以降亡くなるまでの6年間、彼は作品を残さなかったことになっている。しかし、あまりにシンプルな構成の「無題」はいわゆるダリの絵画のイメージとは程遠く、多くの論争を産むと同時に何故これが最後の作品となったのか不思議がられていた[3]。
事態が変わったのは2019年1月23日。ガラの大甥にあたるセルゲイ・ディアコノフが本作品「制作年月日不詳―サルバドール・ダリ=ナルシスの沈没―」を突如一般公開したのである。ダリは遺言で、この作品を死後20年間存在すら外部に(自分の親族や親友達にすら)漏らすことがないように厳しく言いつけており、命日から数えて丁度20年経った快晴の日、自らの生家にて本作品を公開するよう依頼していたという。奇しくもその日、カダケスは雲一つない青空であった。
さらに遺言には、この作品を絶対に鑑定させてはならない、とも記されていた。なんともダリらしい巧妙な罠!この仕掛けのせいで、「制作年月日不詳」の本作が「無題」以前の作品か、或いはその後に描かれたものかの判断が実質不可能になってしまった。果たして遺作はどちらなのだろうか。
こうして我々は、ダリがかねてから望んだように、「人生と比べたら辛うじて退屈ではない、絵画についての終わりのない無駄話」[4]をいつまでも続けるように強いられることとなってしまった。これが1つ目の謎だ。
作品のモチーフに関しては、彼がこれまで描いてこなかった彼自身の姿が絵画に反映されているのが特徴として挙げられる[5]。キャンバス左手に磔にされた男性は、彼が度々作品に登場させたイエス=キリストをモチーフとしながら、その顔、特徴的な髭、右手に握られた筆からサルバドール・ダリ自身であると判断して間違い無い。何処か諦めたようならしからぬ表情の「ダリ」は、鮮血滴るベッドの上部、カダケスの入江を彷彿とさせる真っ青な空を背景に、(無論これは、プボール城[6]のベッドルームとのダブルイメージ[7]である)十字架に磔にされている。
彼の虚な視線の先にあるのはキャンバス右手の真白な空白部分。サイズで言うと4、5インチ四方のこの空白部分は、何も絵具が塗られていない素のキャンバス地である。筆先から垂れる赤い絵具=彼自身の体液を以てしても、キャンバスに色をつけることすら叶わなかったのだろうか。「それは太陽の白さである。我々は純粋な白を前にして直視することは許されない[8]」。マリア=ガラは今にも崩れ落ちそうな彼を抱き留めようとしている。
ダリが投げかけた底なしの「空白」は、我々に無限の想像力を喚起させる。偉大な芸術家ダリを以てしても、その晩年に至るまで、自分が何者かわからなかったのではないか。ひいては自分が何を書くべきかという問いに悩まされていたのではないだろうか。
この問題に関して、14歳のダリは生真面目にも将来の意気込みを書き記していた。
僕は【…】ローマから帰ってきたらダリになっているだろうし、みんなは僕を称賛するだろう[9]。
「ダリになる」という宣言は、悪魔との契約のようである[10]。実際、晩年のダリは「私は私自身の正体が分からなくなった」というのを口癖にしていた。死の直前ダリは「Curtain(幕)」と小さな紙に書いたとも言い伝わる[11]。まさしく天才を演じ続けたダリは、本当にダリになりきることが出来たのであろうか。この作品は、ダリとは何者であったのか、我々に2つ目の謎を投げかける。
さて、ここまで来てようやく私達は、本作最大の謎に向き合うことが出来る。この作品は、l'oeuvre duel=2枚仕掛けの、言い換えれば決闘[12]の作品なのである。
ダリの遺言に従って告知なくひっそりと本作が公開されたその日のこと。ある鑑賞者がキャンバスに書かれた微小の言葉の存在を指摘した。セルゲイ氏が確認したところ、「Ne regarde pas dans les coulisses (裏側を覗いてはならぬ)」と書かれていることが発覚した。そして、ガラ=サルバドール・ダリ財団の調査員が本作を調べたところ、額縁の中にもう一枚の絵画が発見されたのだ!(全ての絵画の所有権はあくまで当財団に属すると遺書に宣言していたのは、極めてダリらしいエピソードであると言えるだろう。)
裏側の作品は、キャンバス左手に空白、右手に磔にされたダリが描かれ、構図的に鏡うつしになったものであった。しかもそこに描かれる彼の姿は腐っていた。
ダリが「溶ける[13]」以上に「腐る」ことに関心を寄せていたことことは、彼の手記からも伺うことが出来る。
人間という形式は生まれてから死に、さらに腐っていく過程において、液体的存在から個体的存在として定立し、再び液体的存在へと回帰する。フロイトのいう死の欲動は、言い換えると腐食<液状化>願望と言っても過言ではないだろう。腐り切った恍惚の中で【…】初めて図画像学的に自由を獲得し、美を体現することで初めて美から解放される。【…】私は幼い頃、ある女中の娘、ソフィアという私と同い年の少女を愛していた。彼女は私が小学校に入ってすぐの頃に亡くなった。まだ8、9歳の頃だった。葬式で化粧を施された彼女の姿を見て、私は初めて射精した。その晩、彼女の腐った姿を夢で見た。その神々しい姿!彼女は笑って私を見下ろしていた。私は彼女の前で痙攣することしか出来なかった。それ以降、私は何度も彼女の腐った姿を夢見ては、涙を流しながら射精した。何故なら、私も彼女のように腐って初めて、あの美しい姿を得られると分ったからであった。私は笑うため=腐るために存在しているのだ![14] [15]
肉が腐り、骨まで見える状態になって筆を落としたもう一人のダリ。その姿は、復活出来なかったキリストを彷彿とさせる。或いは、復活に際して捨てられたキリストと呼んでもいいだろう。泣き崩れるマリア=ガラは、キリスト=ダリの姿に一向に気がついていない。何故なら、マリアは復活したキリストの母であるからだ。
世界を相手に一世一代の大芝居を打ち続けたダリであったが、その犠牲になったのは、「ダリになる」と宣言する前から存在した、名前すら授けられなかった何者かではないだろうか。「サルバドール・ダリ=ナルシスの沈没」は、彼に向けられた作品のようである。
さてここまで来て、この文章を読まれている皆様に謝らなければならないことがある。実は、私はこの裏側の絵画を目にしたことがない。正確には、誰も目にしたことがないのである。
ここで私が裏側として描いたのは、私が表側に描かれたダリの遺言を見た時に思い浮かんだイメージである。当財団のサイトには、本作品が公開された際に裏側からもう一枚作品が見つかり、非公開のままプボール城に永久保管されることが決定した、という逸話のみが残されている。残りは私の想像力で補ったものである。ダリならそれくらい笑って赦してくれるだろう。
我々にはこの作品の裏側がどうなっていたのか調べる術はなく、そもそも裏側が実際に存在するのかも分からない。裏側という言葉がフィジカルなものなのか、メタフィジカルなものなのかすら、想像力で補うことしか許されていないのである。
「裏側を覗いてはならぬ」というダリが我々へ残した遺言が、この絵画という壮大な空白、壮大な謎の周りをこだま(Echo)しているようである。
—犠牲を最小限に止めるためには、諸君に何も知らせぬ、といふ方法しか残されてゐなかつた。[16]
—なんだってお前は今頃出てきたのか。お前には、お前が昔語ったことに何一つ付け加える権利は無いはずだ。[17]
[1] 「全面戦争には全面的カモフラージュで」『ダリはダリだ』、Salvador Dali(北山研二訳)、未知谷、2011年、369頁
[2] チェロのF字孔、自らのサインやカタストロフ理論などを重ね合わせた作品。なお、カタストロフ理論とはルネ=トムが提唱した数学理論で、四次元空間に置いて7つの可能的な平衡面=カタストロフィー(折り目・カスプ・燕の尾・蝶・双極的へそ・楕円的へそ・放物的へそ)が存在することを主張した。参照『形態と構造—カタストロフの理論』ルネ・トム(宇野重広訳)、みすず書房、1999年
[3] 「ダリの最後の作品について、多くの解釈がなされてきたものの、どれ一つ筋がいい物はなかった。【…】単純に、この作品についてダリ自身が語って見せなかったためである」(「シュルレアリスムと現代藝術」『コレクション瀧口修造13』、みすず書房、1993年、234頁)
[4] 「シュルレアリスムの告別式典に向けて」『ダリはダリだ』、未知谷、213頁
[5] 「ダリは確かにナルシストであるが、一般的なナルシストとは異なるのは確かだ。何故なら、彼は自分の姿を決して見ようとしていない」(「ダリ『カルメンをかく』」『芸術新潮』、北村寛、新潮社、1971年、120頁)
[6] ダリがガラにプレゼントした城。現在はCastillo Gala Dalí de Púbolとして一般公開されている。
[7] ダリが絵画に用いた代表的な手法。「ダブルイメージは(その例は、一頭の馬が同時にひとりの女性でもあるというイメージだが)そのまま延長できて、パラノイア的な過程を継続するのである。【…】思考のパラノイア的な能力が許すかぎりでイメージの増殖は繰り返される」(「腐ったロバ」『ダリはダリだ』、未知谷、176頁)
[8] 「我々を悩ます太陽の白さと黒さについて」(『メランコリー』、テレンバッハ(木村敏訳)、みすず書房、145頁)
[9] 「あとがき」『ダリはダリだ』、未知谷、484頁
[10] 「分析家は、訓練によって、自分でない自分を辛うじて人前に立たせることが出来るようになると言われる。しかし、自分自身で自分でない自分を作り上げるという行為は、ある種の冒涜であるようにも思われる。【…】寧ろ、その危険を引き受けるためにキリストは磔になり、自分自身が象徴になることを選んだようにすら感じてしまう。」(『精神分析とカトリシズム』、法政大学出版、1978年、82頁)
[11] 「隠された顔」『ダリはダリだ』、未知谷、121頁
[12] ダリには元々兄がいたが、ダリの生まれる前に亡くなってしまった。その兄の名が、サルバドール・ダリであった。サルバドール・ダリという自分の名前が、死んだ兄の「おさがり」であることを知ったダリは、壮大なトラウマを背負うことになった。
[13] 「溶ける」という言葉は、シュルレアリストや精神分析家にとって大きな意味を持っていた。「溶ける魚」(アンドレ・ブルトン)に始まり、ダリの「記憶の固執」に登場するかの有名な溶ける時計、ダリのパラノイア論に影響を受けたラカン の「液状精神分析」など。
[14] 原文はJe exsite, pourrire!となっている。フランス語発音に戻すと「私は笑うために存在する/私は腐りつつ存在する」のどちらでも解釈できる。
[15]「大いなる自涜者」『ダリはダリだ』、未知谷、203頁
[16] 三島由紀夫の遺言より(参照『「楯の会」のこと』、森田三島事務所、23頁)
[17]『カラマーゾフの兄弟』、ドストエフスキー(原卓也訳)、新潮社、1978年、142頁