二度と来ない「再会」とは

今日は珍しく音楽中心のお話です
今回触れる曲は、はるまきごはんさんの「再会」

はるまきごはんさんの曲は、数年前からぼちぼち聞いていて、「ドリームレス・ドリームレス」とか「第三の心臓」とか好きです
いつか別の記事でこれらにも触れられたらと思います

1.作品を「考察」するということ

曲の考察というものをあまりしてきたことはないのですが、自己流でやっていきたいと思います

具体的には、純度100%歌詞由来の考察です

というのも、曲とは本来、音と歌詞(とそれから何を感じ取るか)が全てだと思っていて。
ボカロ黎明期の一枚絵から最近は超ハイクオリティMVまで、最近はアップロードされる動画のクオリティがどんどんハイレベルになっていっています

ボカロに限らず、アーティストの新曲には㎹がつきものです

しかし私は、それらはあくまで作品を補完するための二次情報でしかないと考えています
他の二次情報でいうと、作者の来歴や、同じジャンルの歴史(通時的)や同世代の曲との相対的な位置づけ(共時的)などが挙げられます

※MVも含めて作品である、という考え方も理解できますし、実際二次情報ありきでつくられている作品が大勢を占めると思います
なのでここでは、考察に対する態度という観点での話だと思っていただけると幸いです

文学などでもそうですが、こうした二次情報・周辺情報をどれだけ知っているかがそのジャンルにおける権威付けとなる風潮がよくあります
しかし、そういった考え方は私には賛同しかねるものです

自分がそのとき
作品から何を感じ取ったかが重要であり
その際に発揮される感性の豊かさこそが賞賛されるべき

だと考えるからです

だいぶ脱線して話を大きくしてしまいました

「考察とは何か」論はさておき、今日のメインテーマ

今回は二次情報ではなく、純粋に歌詞に注目して考察してみよう!

に戻ろうと思います

2.大人になれない少女


切りの良いところで区切りながら、順番にみていきます

どんな声か覚えてるかな
どんな風に話してたかな
すっかり背が伸びたお互い
正義とか常識とかさ
疲れちゃうよね正直ね
秘密基地の中にはそんなものはない

はるまきごはん「再会」より

秘密基地を作って遊んでいた昔は、世間一般のわずらわしい価値観など関係なかった
けれどそんな尺度を気にしなくてはならない程お互い大人になってしまったことが読み取れます

約束しようふたりは
ずっとこどものままで居よう
誰も傷つかないなら
思い出のままにしよう

はるまきごはん「再会」より

前半は、ピーターパン症候群を彷彿させます
そこまでいかなくとも、身体は大人になっても精神は子供のまま置き去りにされている、という感慨は誰しも抱いたことがあるのではないでしょうか

後半は、少し意味を読み取るのが難しいです
前半とのつながりを踏まえるとおそらく、大人の世界は誰かあるいは誰もが傷ついてしまうから、誰も傷つかない思い出の子供の世界にずっといよう、という意味でしょうか
しかしそうすると、「思い出の‘まま’にしよう」という言葉とうまく嚙み合っているのか微妙ですが……

ふたりだけ花びらの散るように
幼気な春風に舞うように
どんな少女でも終わりは美しく
ふたりだけ飛ぶ鳥の落ちるように
手を繋いで星の裏側まで
飛んで往きたい

はるまきごはん「再会」より

1番のサビ
ここで世界が一気に広がり、大変美しい情景が目に浮かびます
やはり印象的なのは、「どんな少女でも終わりは美しく」という一文

桜のように、美しいのはわずかにいっときのことで、すぐに儚く散ってしまうイメージ

が「少女」の表象に重なります
少女は決して大人にはなれないのです

また、この部分から少女'ふたり'の話であることが判明します
女の子同士の友情、深い絆が想起されます


そういえば泣き虫だよね
必死こいて隠してるよね
立派になるもんだお互い
大人って面倒くさくて 
疲れちゃうよね正直ね
みんなきっと忘れてくこどもだったこと

はるまきごはん「再会」より

1番同様、大人になってしまった哀惜と子供時代への哀愁が読み取れます

冒険しようふたりは
大人達とお別れさ
生きることってこうだろう
息を吸うことじゃないだろう

はるまきごはん「再会」より

「生きることってこうだろう息を吸うことじゃないだろう」
私の一番好きな歌詞です
思わずはっとさせられました

人間って難しい生き物だから、「どう生きるか」は「生きる」って一言では到底片づけられないんですよね

3.ふたりなら、星の裏側だって遠くない関係

ふたりだけ当たり前を知らないで
徒然な後悔も言わないで
どんな言葉も無いほど麗しく
ふたりなら落ちる陽の寂寞も
藍がかった星の裏側まで
覚えておける

はるまきごはん「再会」より

言葉選びと情景描写の両方が大変美しい2番サビ
'君とふたりなら、星の裏側だって遠くない'のが
友達以上だけど恋人でも家族でもない、でも自分にとって一番大切な誰かとの代えがたい関係性
を雄弁に描いていると思います


タイムリミットの鐘が鳴る
ふたりは置いていかれる
大人達が憂いてる
あいつは正気じゃない…と
タイムリミットの鐘が鳴る
ふたりは確かに生きている

はるまきごはん「再会」より

永遠かと思われたふたりだけの時間
しかし、タイムリミットが着実に近づいていました
このあたりは再びピーターパン症候群を思い出します
ふたりが何をしたのかは歌詞からは読み取れませんが、少なくともそれは大人たちの世界の尺度とは相容れないものだった
だから、適合するか、追放されるかの二択しかない


4.二度とこない再会の意味

ふたりだけ花びらの散るように
幼気な春風に舞うように
そんな最期ならふたりに相応しい
さんざめくこの世界にさよならを
手を繋いだままなら
二度とこない再会

はるまきごはん「再会」より

当然彼女たちが選ぶのは、追放
といっても、より適切には、自分たちを受け入れない世界への拒絶
世界とふたりを天秤にかけて、ふたりを取ってしまえる傲慢さ
ふたりが永遠に共にあり続けることによって、彼女たちにとってはあくまで肯定的な終わり方である、というのが世界に対する最大限の抗議であり皮肉なのだと思います

そして、「手を繋いだままなら二度とこない再会」というタイトルコール兼最後の一文
これが解釈が分かれるところ
個人的には2パターンあると思っていて

①二人は永遠に一緒なので、決してその手も離れることがなく、よって再会というイベントが起きることも金輪際ない(ハッピーエンド)

②この世では、二人が二人としてこの世にあることが許されなかった=別れてしまった
けれども、一度手が離れたからこそ、(来世で)もう一度あなたと再会することが出来る(トゥルーエンドっぽい)

これは解釈の分かれるところだと思いますが、個人的には①よりも②の方が辛い分さらにドラマがあって好きです

5.作品世界について

最後に、作品世界全体のまとめです

再会という曲に通底しているのは、寂寥感、はかなさ、終末世界感

少女×終末世界は、輪をかけて世界がはかなくみえて、相性抜群ですね
これがたまらん民にはたまらんのです

はるまきごはんさんの歌声も、そうした世界観を形作る一要素として、相乗効果を生んでいます

長くなってしまいましたが、初見ならぬ初聞きから耳に馴染んで、聞けば聞くほど、歌詞を考察するほど、味が深まる曲なので、ぜひ一度聞いてみてください😉

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