永遠に埋まらない魂の距離について
肉体的接触による満足は、精神的隔たりを十二分に満たしてくれる、と思う
それでも、その寂しさを補ってもまだあまりあるこの不満足感はいったいどこからくるのだろうか
人はなぜ永遠を求めるのか、少しわかる気がする
もし悠久の時間、魂まで溶かして触れ合うことが叶うならば、そのとき本当に満たされるのではないか
人はなぜ魂の存在を信じるのか、少しわかる気がする
明日に離れ離れになってしまうとして、それでも今日を永遠にすることはできないと思う
人は「あり得たかもしれない」可能性に対して永遠に嫉妬しているのだ
この、飽くなき渇きと焦燥感
人類を駆り立てた衝動が、少しわかる気がする
「明日は来ないかもしれないと思って今日を生きよう」みたいな格言とは違う
有限の時間を惜しむのではなくて、永遠に埋まらない魂の距離を心の奥底から嘆くような
自分という人間の土台が根本から揺らぐような
不快でありながらそれでもこの苦しさにずっと浸っていたいと思うような
多幸感に似た、何か。
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