視覚情報がないことで生まれる余白
最近知り合いから「COTEN RADIOがおもしろいよ」と勧められました。
私はそれまで歴史に全く興味がなく最初はそのままスルーしていたのですが、渋滞に巻き込まれて時間を持て余した車内で何気なく聴きはじめたところ、すっかりハマってしまいました。
学生時代の歴史の授業は退屈で、昔のことを知って面白いと感じたことはなかったです。目の前で起きている出来事やこれから起こることに興味があり、過去の出来事にはあまり興味を持てませんでした。温故知新という言葉も、私にとってはせいぜい20年くらい前の過去に過ぎず、それ以前の情報はあまり直接的な意味を持たないと思っていました。
しかし、自分自身の変化なのか、COTEN RADIOの面白さなのかわかりませんが、COTEN RADIOを聞き始めてから歴史を学ぶことに対する見方が大きく変わりました。歴史は単なる過去の出来事を学ぶだけでなく、自分自身と向き合うためのヒントが数多く詰まっていると思うようになりました。
あまり上手く言えませんが、歴史上の出来事や人物の考え方から社会の成り立ちや人間の思考の変化を自分に重ねて考えることで得る学びに気づいたのです。
またCOTEN RADIOを聞き始めてから、ラジオというメディアの良さも再認識しました。視覚情報がないことにより、その分の「余白」を自分の思考に充てることができるからです。テレビにはないラジオの魅力です。
テレビやYouTubeは映像と音声で情報が完結してしまいますが、ラジオは視覚情報がない分、自分の想像力をかき立て、余計な情報に邪魔されることなくより自由に解釈し楽しむことができます。
最近はテレビやYouTubeで流れてくる情報が過剰でうるさく感じることが増えました。特に求めていない情報が次々に流れてくると疲れてしまいます。
ラジオを聴くようになってからは、物事を深く掘り下げて考える習慣が身についたように感じます。視覚情報が省かれることで、より深く考え想像する余裕ができたからだと思います。
一方で、考える余白の面白さとは裏腹に、情報過多に疲れたときには、自然の中に身を置くことにしています。自然の中では何も考えずにただぼーっとできるからです。
人が作り出した情報には必ず何らかの意図があります。その意図をつい考えてしまう癖がある私は、情報が多すぎるとどうしても疲れてしまいます。
自然なものには人の意図がなく何も考えなくていいし、想像や妄想をすることもなく、ただ頭を空っぽにできます。そんな時間が私には必要で、心が楽になる瞬間です。
考える余白と無になる余白、どちらも私には必要です。