勝手な祈り
昨日、祖母が亡くなった。
「悲しい」と真っ直ぐに思えなかった。
私には祖母の死を悲しむ資格がない気がした。生前、何か良いことをしてあげたわけでもなく、自慢の孫にもなれなかったから。
祖母への苦手意識から「孝行」的なものはほとんどしてこなかったし、東大に合格するとか医者と結婚するとか、祖母が周りに自慢できるほどのスペックは私にはないし、結婚や出産といった、祖母にとっては極めてスタンダードであろう願いも叶えなかった。
祖母は、孫の結婚式に出ることも、ひ孫を見ることもなくこの世を去った。その責任は誰にあるかと言えば、一部は私にあると言えよう。
祖母は、古い人だった。古い """幸せ""" を求める人だった。
少し前までは、口を開けば「結婚は」「子供は」とうるさく、その話は今一番したくないんだモードの私にとって、祖母に会う=不愉快な話に耐えるイベントだった。いつでも逃げたかった。
結婚したいと思えていたら、結婚したいと思う相手がいたら、その相手に結婚したいと思ってもらえていたら結婚なんかとっくにしてるはずだし、その上で子供を産みたいと思えていてかつ産める体ならば、産んでるはずなのだ。
そのどこかで躓いたり立ち止まったりしているわけで。
私のプライベートやパートナーシップについては私が一番考えてるし一番悩んでるので、本気で放っておいて欲しかった。
その不必要で不快な介入を「心配」だとか「愛」だと形容されても全くピンとこなくて、私はただ距離を置いて距離を置いて、特に社会人になってからは実家から物理的にも精神的にも遠のくばかりだった。
後ろ髪を引かれる思いはずっとあるし年々重くなるが、それでも私は自分の人生を自分の納得する形で進めたかった。不幸だと思う瞬間が訪れても、誰のせいにもしたくなかったから。
でも、祖母の "古さ" は仕方ないと思う。
目上の人間に厳しい私ですら、祖母が価値観をアップデートできていないことなんかよりも、時代の流れが速すぎることにさすがに目が向く。本当に、社会の変化は過激的だと思う。人間の心身や価値観が置いてけぼりになっている現状を私自身、痛感するほど。
なので、祖母が100%悪いとは思っていない。
とはいえ、な話を一旦書く。
大学生になって実家を出るまでの18年間、祖母とはずっと一緒に暮らしていたが、私は祖母のことがずっと苦手だった気がする。
前提、祖母はパッと見「優しくてニコニコしていて良いおばあちゃん」だった。元ミス**だったらしく、確かに綺麗だった。孫目線、うるさいことを言ってこない、甘やかし可愛がってくれる、ターコイズブルーが似合う、おしゃれでにこやかなおばあちゃん。
ただ、孫である私や妹には直接何も言わない代わりに、私たちを見て思うところがあるとすぐ母に「あんたの子育てが悪い」と叱責していた。(祖母は母の実の母であり、義母ではない)
母の子育てはかなり厳しかったし不器用な面も多分にあったが、その何割かは祖母による指示だったのではないかと、今になって思う。
結果、母の厳しめな教育とその他諸々により、私は途中でひん曲がってしまった。
それにより祖母の母に対する叱責が発生し、母が涙するようなシーンを幾度となく見聞きしてしまうことになり、それはそれで苦しかった。
子供ながらに「おばあちゃんの思う "いい子" にしてなきゃお母さんが怒られてしまうのか」と謎のプレッシャーを感じていた。やりづらかった。
家族で外食しているとき、孫には「どんどん食べな!」と気前の良い素振りをして見せる一方、店員さんに対しては大変に横柄。そんなに高くもない店で「このオレンジジュースは100%?えぇ、100%じゃないの?」と店員さんを困らせていた祖母の姿が私は忘れられない。
祖母とテレビを見るのも嫌いだった。芸能人の顔について「変な顔」などと笑う。スポーツ選手の失敗を「やぁだ、恥ずかしい」と言う。今時な曲が流れると「何この歌。うるさい」と顔を顰める。他人の顔についてコメントする人が嫌いなのも、他人の失敗を笑う人が嫌いなのも、自分の好み以外を頭ごなしに否定する人が嫌いなのも、祖母の影響が大きいような気がする。
全く変な顔じゃないし、何も恥ずかしくないし、うるさくない。一生懸命生きてる人のことを、テレビの向こうとはいえそんなふうにコメントできる神経が理解できなかった。今も、理解も納得もできない。
むしろそんな祖母を恥ずかしいと思っていた記憶がある。
とにかく「多様性」の対局にいる人だった。時代の犠牲者と言ってもいいかもしれない。(時代のせいと本人の性格を切り離せはしないけども)
正直、家族で一番、苦手だった。
(「嫌いだった」と表現しても良いのかもしれないが、言葉が強い気がするので「苦手」で留めておこうと思う。)
そんな祖母のことはここ数年は母が介護しており、最近は私を見て「どちらさま?」と首を傾げることも増えていたが、最後に会った9月には家族で銀座でランチをし、すき焼きコースを選んだ結果、「しゃぶしゃぶコースの人より肉が少なかったわ」とボソボソ文句を言えるくらいには元気だった。ように見えた。
「あたしそんなに長くないから」と自虐的な祖母に、皆して「そう言う人ほどながーーーーく生きるものよ」なんて茶化していた。祖母もアハハと笑っていた。
その日は久しぶりに化粧をしたからと張り切って、母と銀座を夜まで満喫したらしい。まだまだ元気だなと思っていた。
昨日は立て続けにコーチングのセッションがあった。
セッション中は集中するためスマホの通知をオフにするので、終わって「ふぅ」っと一息つきながら家族LINEを開いたとき、祖母が亡くなったと知った。眠りながらそのまま亡くなったんだそう。
唐突感があった。
すぐ涙が出るほど事態を理解できず、ある程度の真顔で直近入っていた仕事や飲みの予定の相手に連絡をした。
おばあちゃんは幸せだったんだろうか。
ここ数年は祖母に会うたび、そればかり考えるようになっていた。
昨日も、「最後の瞬間に何を思っていたんだろう」と、ごくごく自然な流れで思い至った。
「私の人生、幸せだったな」って思って逝ったのか。
母の教育にも店員さんにもテレビにもいつも何にでも文句ばかりで、私の目にはあまり幸せそうには見えなかったが、実際のところどうだったのだろう。
せめて幸せだったと思って亡くなっていてほしいと、勝手ながら思ってしまった。
一瞬、これは「愛」なのか?祖母のことはかなり苦手だったし関わりを避けていた方だがそれでも幸せな最期を願うのは家族愛ゆえなのか?と考えたが、これを「愛」と呼ぶのはちょっと強引すぎないか。どうなんだろう。
「幸せでいて」と願うことは一見「愛」のようであるが、その「幸せ」の構成要素に自分が入っているだろうとわかっていながら、私はその期待に沿わなかった。役割を全うしなかった。
祖母は私に明確に結婚と出産を期待していた。でも私は結婚も出産もしていない。
それだけではない。別に結婚や出産をしていなくても「おばあちゃん大好き!」と笑顔を向けてくれる孫だったり、頻繁に顔を見せに帰省する孫だったり、帰れなくても手紙を書いたり誕生日に贈り物をしたり、そういう"優しい孫"ムーブをすることも可能だったはずだが、私は全くもってそうではなかった。
この場合、「幸せでいて」という祈りは「愛」ではなく「無責任」なのでは?
「私は何もしてあげないけど、勝手に幸せになってね」と思っていた。
今は「頼むから、幸せだと思って死んでいてくれ」と思う。
そんな無責任な気持ちを抱えて、今新幹線で実家に向かっている。
***
実家に着き、祖母の最期を聞いた。
元々、「苦しんで死ぬのは絶対嫌だ」と常日頃唱えていたらしい祖母。
心不全で亡くなったんだそうで、最後の晩餐はお寿司だったんだとか。なんだか胃がスッキリしないわぁと言いながらも、好きなネタを思うまま食べていたらしい。
翌日、昼になっても起きてこない祖母の様子を母が見に行ったら冷たくなっていて、母も驚いたと話していた。
いつも喧嘩ばかりだった母との最後の会話は、「ありがとう」だったらしい。
眠っているようにしか見えない祖母の顔は、92にしては本当に綺麗だった。