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人を助けたいのは、誰のため?
お疲れ様です、もんぬです。
2025年の自分に課した『毎日noteチャレンジ』Day45の今日は、結構ひどいことを書くことになると思います。
2023年5月。女性起業家輩出プロジェクトの最中、叶えたいことは決まっていたものの、ビジネスモデルに悩みまくっていた。
見た目の悩みに脳内シェアを奪われる人生はもったいない。
なりたい「美」にさっさと至り、時間も労力も心も、もっと別の「人生の楽しみや幸福」になることに使うのが良い。
だから、
なりたい「美」に最短距離で至るためのサポートになるサービスを作りたい。というのが「叶えたいこと」。
美容業界はサービス提供側とサービスを受ける側の持つ情報が非対称すぎるので、美容クリニックのデータベースを作ろうかとか、カウンセリングにオンラインで同行するサービスはどうかとか、ごちゃごちゃ考えては有識者に壁打ちし、様々な事情であれもダメこれも難しいで、打ちひしがれて帰る日々だった。
最終的に、コーチングをベースに展開するのが良さそう!という結論になり、そうと決まれば急いでコーチングスクールを複数比較検討し、入学した。
このnoteの本題はここから。
コーチングスクールには、プロコーチになりたい人が集まる。プロコーチとは、プロとして他人の目標設定・目標達成・問題解決に伴走する存在であり、要は「人を助けたい」人が集まっているはずだった。
私は、人を助けられるのは、その余力がある人間だけだと思っていた。
極端な話、病んでいる人は他人を助けることなどできないと思っていた。
それは共依存になるから。
学生時代、これに関して痛い目を見たことがある。
当時、性格が歪みすぎていて人間関係構築能力が皆無だった私は、当然友達がなかなかできなかった(でもめちゃくちゃ欲しかった)ので、初めて私に打ち明け話をしてくれた出席番号が一つ後ろの子に対してひどく肩入れしたのだった。
かなり重い相談だった。
でも、来る日も来る日も話を聞いた。
私には経験のない相談内容だったのでわかってあげることはできなかったが、それでも何と返すのがベストなのか、ない頭を必死に捻って考えて考えて、必死に寄り添おうとした。
一年ちょっとの間そんな感じだったが、相手が元気になって私を必要としなくなる日が来た。
私は狂ってしまった。
もたれかかられてしんどかったはずなのに、私ももたれ返していたのだ。
支柱を失ってからは文字通り立っていられなくて、惨めにもしつこく関係性を戻そうと懇願したし、しばらくすると「あんなに助けてあげたのに」と恨めしい気持ちが湧いてきて相手を罵ったし、とにかくめちゃくちゃだった。
そのめちゃくちゃさは相手との関係だけにとどまらず、周囲にも余裕で察知され、私は要注意人物として腫れ物扱いを受けることになる。
でも、腫れてたからな。実際。
学生時代はそのおかげで暗黒時代と化した。
成人式も行ってないし、同窓会にも行ったことがない。
(ごく数人、未だに仲良くしてくれる友人がいるが、あの時代の私を見てもなお友達でいてくれることについて、感謝を超えて「物好きだな」と心底不思議に思っている笑)
そんなことがあったので私は、自分が病んでいるうちは、「病んでいる」とまで行かずとも精神的に未熟な自覚があるうちは、人を助けようだなんて思ってはいけないと深く学習した。
まず自分をどうにかすること。
そうでなければ結局相手を助けられない。助けたことにならない。
相手だって一旦助かったとしても、その後に見返りを求められたら嫌でしょうし。
「私のおかげでないなら助かるな」も困るでしょうし。
「だったらあなたの助けなんか初めからいらなかったわ」って話になるよね。
しかしコーチングスクールには「あなた…もしかして救われに来たの?」と思ってしまう人がいた。
「自分は人を助けることができる人間だ」と思いたくてここにいるの?
「自分は人を救える人間だ」と噛み締めたくて、それを実感する瞬間を創るためにコーチングをやろうとしてるの?
と思ってしまう人がいた。
病んでいる自分から目を背けて涼しげな顔をして「自分は人を救えます」と言わんばかり。(すごく意地悪な言い方だね)
気づけよ!少し話しただけの私にもすぐわかるくらい、あんたがっつり闇抱えてるよ!
と言いたかったけど言わなかった。
私はコーチになるためにここにいる、言いたいことを言うためにここにいるんじゃない、スッキリしたいだけの暴言なら絶対言わない方がいい、と判断したから。
そして、かくいう私にもまだ闇があるかもしれないから。
というか多分ある。どうせある。
自分では何年もかけてどうにかしてきたつもりだけど、側から見たら「まだまだあんたも十分病んでるよw」と言われてしまう可能性がある。
それに「コーチが完璧な人間だとかえってクライアントは勇気をくじかれる」とも聞くし、じゃあいいのか。コーチもコーチで人間としてまだまだだけどだからこそ精進中ってことで。一緒に、必死にこの世を生き抜こうとする時代の同期ってことでいいのか。
と思うようにした。
結局そのクラスメイトには心を閉ざしたままスクールの期間は終了したが、誰よりも一生懸命学んでいた印象だけは強く残っている。
(書きながら、私がこれだけその人に苦手意識があるのは、その人に限らず自分の闇を見ようとしない人に対して無性にイライラするからであり、その理由は私自身「自分の闇を見ること」が大嫌いで、でも絶対避けては通れないと思ってめちゃくちゃ嫌だけど頑張って向き合おうとしてきた歴史があるからだと思った。まぁなんかあまり良くない性格だなと思う。)
鍵垢でもないし有料noteでもないのに立て続けに暴言を吐くけど、「自分は人を助けられる」と思ってるやつにろくな人間はいないと思う。ひどく烏滸がましいんだもの。
一方、自分も埋まらない傷があるのに、助けになれる自信もないのに、それでも優先的に人を助けようとする人を見ると、無性に悲しくなる。その先にあなた自身の幸せはあるのでしょうかと、どうかそういう人には幸せな最期があってほしいと思う。
私にはできなかったから。
私は、自分の埋まらない傷を認識していながら人を助けることで「人を助けられる自分」という救われ方をしようと頑張ってしまうと、最終的に誰も幸せにならないことを知ってしまったので、自分を優先することしかできなくなってしまったから。
だから「ご自愛プラン」なんて言ってる。
まず自分を満たす。
どうにかして、とにかくとにかく自分が損なわれないように。
人に手を差し伸べるのはその先で。
無責任な優しさもどきは、心中と一緒。
いつか、自分はもうびたびたに満たされて余力があってしゃーないので、いっちょ人助けでもしますかー!くらいのテンションの陽気なおばばになることをずっと夢に見ている。
それまでは、ひとまずご自愛のプロフェッショナルになるべく、学んで自分で実験して発信して、をひたすら繰り返していこうと思う。
以上、金夜に重ためなnoteでした。
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今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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