見出し画像

子供を産むということ、卵子凍結のプロローグ

お疲れ様です、もんぬです。

2025年の自分に課した『毎日noteチャレンジ』Day38の今日は、「子供を産む」ということについて32歳の今、どう感じているかを書いていきます。ちなみに明日、卵子凍結のカウンセリングに行ってくるのでそこらへんの話も最後の方に。


4年前、同じようなテーマでnoteを書いていたので、念のため読み返してみた。

まーーーなんて暗い!笑
まるで別人!になったわけではないにしても、この4年でだいぶ私は明るくなったんだなぁと痛感せざるを得ないほど、当時の私はまだまだどんよりネチョネチョしていたようである。隣で飲んでたら「まぁまぁ酒でも飲んでさ」と背中をぽんとしたくなる感じ。

(noteとか書いておくと自分の内面の変化がわかっていいよね)

この後の話に関連するところだけ抜粋する。

28歳になって半年が経ったが、最近いわゆるベビーラッシュで、私は嫌でも「自分は子供が欲しいのだろうか?」を考えざるを得ず、考えれば考えるほど出産は『親のエゴ』でしかない、という結論に至るしかなかった。
〜〜〜
子供が欲しいと思う人はなぜ欲しいと思うのだろうか?と純粋に疑問に思い、そのままTwitterで投げかけたことがある。ありがたいことにたくさんの人から実に様々な意見をもらえ、大変に勉強になった。

子供が好きだから、生物としての使命だと思うから、自分のDNAを残したいから、自分と最愛のパートナーのDNAを混ぜたものを見たいから、自分がいないと生きていけない存在がほしいから、子供のためと思えば仕事を頑張れるから、孫の顔を親に見せてあげたいから、一人で生きる人生に飽きたから…

いただいたコメントを全部読み、もう一度自分の頭で考え、私の結論は「種の保存という遺伝子レベルの使命感からなんとなく欲しいと思い、できたらできたで、結果論として可愛かったり生きる理由になったりするらしい」というちょっと思考停止したようなものになってしまったが、おそらくこの程度で考えるのをやめた方がいい問いな気もした。

4年前のnoteから抜粋

思い起こせば、この4年でいろいろあった。

まず、子どものかわいさを知った。

4年前当時以上に、子持ちの友人が増えた。学生時代の友人でいえば体感8割は既に母親になっている。
元同期や、もんぬとして出会った友人たちも。
今まさに妊娠中の友人も何人かいて、母子ともに無事生まれてきますようにと手に汗握る。彼女たちには「ご自愛して?!??!」と今こそ一番力強く伝えたい。

大事な赤ちゃんを抱っこさせてもらったことも何度もある。
あれは一種のセラピーだよな。
小さくて柔らかくて、こちらが笑かしたらまんまと笑顔になって、高い高いしたらキャッキャして、あたたかくて何よりも美しく、あまりにも眩しい。

友人の身体から人間が出てくるって本当にすごいことだよ、しかもこんなかわいくってさ、あんたほんとよく頑張ったよ、といつも思う。

その子たちがあっという間に大きくなって、気づけば立って歩いて、意思疎通ができるようになり、次に会ったらもう日本語を話すんだからほんとに凄まじい。

初めて抱いた友人の子ども(当時生後1ヶ月)は余裕で両手に収まるサイズ感で、高1の時に今思うと本当にしょうもないことで小競り合いしたある意味戦友のような友人から出てきた物体なのかと思うとなお「え〜〜〜これ人間なのか〜〜ほんとにあんたが産んだんか〜すげぇな」と不思議な心地がした。
その子と「かんぱい!」した瞬間のことは忘れられないし、みんなでキャンプに行った時にシートベルトが嫌いで「おなかいたい」と嘘をつく様子に感動したこともめちゃくちゃ覚えている。(おなかいたいと言えばシートベルトを免れることを初回で学習し、以降その手口を使ってくるんだって!なんて賢い!)

学生時代、あまりにもお世話になったのに私の身勝手さで傷つけまくってしまい、それでもなおこんな私と仲良くしてくれた物好きな友人が母になったときは、妊娠したという知らせを聞いた時も、無事に生まれたと連絡があった時も、お子との初対面の帰り道も、ぐしゃぐしゃに泣いた。言葉にならない尊さだった。その子に(その友人に)何かあったら全貯金を差し出す覚悟を決めた。
その子がなんとなく言葉を話せるようになって、友人が私を指差し「この人だーれだ?」と子に問い、私のあだ名を呼んでくれたときはもう脳みそが破裂するかと思った。目に入れても痛くないってこういう感じかぁ、と我が子でもないくせに理解った気になった。

この子たちは一生、幸せでいて欲しい。
多少のアドベンチャーはあっても、たとえば悪い大人の餌食になるとか、うっかり時代の犠牲者になるとか、そういうことはあってはならないと本気で思う。

友人の子が会にいる時は、率先して一緒に遊ぶ。子どもの考えていること、何が嬉しくて何が不愉快なのかを知りたくて。
薄々勘付いてはいたが、私自身が幼いのだ。心が。いつまで経っても大人になりきれない。32という、「お姉さん」を名乗っていいのか、ちょっと早い気もするが「おばさん」を自称した方がいいのかわからない絶妙な年齢になってもなお、いつになったら自分は大人になるんだろうと日々考えるくらい。
それでも毎日なんとか「ショートコント・社会人」をやってのけていると思えば、まぁよく頑張っている方だよね。
そんな感覚なので子どもと遊んでいる時はめちゃくちゃ楽しい。走り回ったり奇声を上げたり泥まみれになったり、子どもと一緒でなければただの変質者になってしまうので、そういう爽快なアクティビティをご一緒させてもらえるだけで本当にありがたい。
「いつもうちの子と遊んでくれてありがとう、ごめんねずっと見てもらっちゃって」と感謝されるがこちらとしてはとんでもない、私は友人の子どもを利用して「子どもな自分」を発散しているのだと思う。

私が子どもと遊ぶ理由考察

長々と書いてしまったが要は友人たちが子を産み母になりそれでも私と友人を続けてくれることで、私は子どもと触れ合う機会を得、子どもの目を通して見る世界に、子どもの思考回路に俄然興味が湧いたのである。(かつて私も子供だったのにね)

あと、これ↓が良すぎた。(私は読むたび泣いてしまうので、読むタイミングには注意が要る)

4年前より確実に、子どもという存在や子どもを産むということの尊さが五臓六腑に染み渡っている自覚がある。


ちなみに、「子どもって可愛い!」と思うようになったからといって、「私も自分の子どもが欲しい!」にはならなかった。このあたりも発見の一つ。私の遺伝子を残す必要性は今も全く感じない。

ただ、「完璧な親になれる自信がないから自分の子どもは欲しくない」という考えは変わってきたかなという気がする。

「完璧な親」ってなんなんだという話でもあるし、それらしい答えを出すのであれば「子どもの気持ちを受け止めてあげられる親」だと思うので(心理学の観点でもそう)、まぁそれならできなくはないのかしらと。

私が子どもなうちは子どもvs子どもとして目線を合わせられるのかなと思うし、ひょんなことで大人になったらなったで、大人って「多様性を受け入れて相手を尊重できる」生き物だと思うので、どちらにせよ大丈夫かな〜、という気がしている。(気がするだけで実際どうなるか全くわかりませんが)


一方で、友人の子どもだから無限に可愛がれるのではないかとも思う。
かわいいシーンだけ拝借して、水面下の壮絶な毎日は知らないわけで。

キッズラインという会社で1年半働き、子育て中のママさんたち・保育士さんたち・ベビーシッターさんたちの悲痛な叫びをダイレクトに浴び続けたこともあって、生で見たことはないけれど私の想像を絶する苦労があるんだろうなという可能性の広がりだけ学んだ。
同じくらいあたたかいエピソードも届くが、やはりネガティブな話の方に目がいってしまい、友人たちもこんなに大変な思いをしてるのか…と絶望したものだった。(だからこそ旧友で集まっているときくらいお子のことは私に任せて!!!と思っているという側面もある)


4年前に比べて、確実に「子ども」に対する感覚は変化してきている。でも自分の子どもが絶対に必要だとは思わない。でも私はこのように数年で価値観が変わる人間なので、今後も何かのきっかけで変わるかもしれない。今は仕事にプライベートに楽しい楽しいで日々になんの文句もないけどこれがいつまで続くかわからない。多分ずっとは続かない。よく考えたら今、32歳という「卵子凍結するなら今だ」と言われる年齢。しかも私はぶっちゃけてしまうと卵巣年齢が実年齢+10歳と、結構上だったりする。(AMH値という、卵巣年齢=卵子の残り数がわかる値があって、簡単な血液検査で測定できるんです)

そんな事情があるので、この先「自分の子どもが欲しい」と思う日が来る可能性が少しでもあるなら、今卵子凍結だけでもしておくのがいいんじゃないか?と思った次第です。

もちろん卵子凍結も完璧なものではないので、あまり個数が採れないパターンもあるし、採れたけど解凍のタイミングでダメになっちゃいましたパターンも普通にあることは知っている。
それでも未来に可能性を残せる技術があるなら、やっておこうという動機で明日カウンセリングに行ってきます。

どのクリニックにしたかなど、また追ってレポしていきます。需要があるかわからないけど勝手に卵子凍結話は連載にするつもりです。

急カーブ多め?なnoteになってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました!


2025年は毎日noteを書いています!
読んだよ!の「いいね」いただけると励みになります。
もし感想をいただける場合は、Xで記事のポストを引用していただけると見に行きやすいです。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。
また明日もよかったら!

いいなと思ったら応援しよう!