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人の承認欲求を笑うな

久しぶりに激しい憤りを感じた。

某15歳の顔を出していないアーティストが、自身の後ろ姿の写真をXにポストしたことに対して「承認欲求強すぎ」なるコメントが散見されるという、世にも悲しい事象を見てしまった。

本当に、最悪だと思う。

言いたいことがたくさんある。


才能を潰すな。

純粋で美しい心に泥をかけるな。

お前のくだらない拗らせなんかで、あの煌めく才能が傷つくなんてことがあってはならない。

あの写真を見て「この人、承認欲求が強いな」と感じたお前こそが、満たされない承認欲求を抱えながら日々何とか生き抜いているんだろう。なんでそれに気づかないのか。承認欲求が十分満たされている人は、他人の承認欲求がどうであるかなんて気にも留めないよ。なんなら、あの写真のポストに対して「これのどこが承認欲求強いって?」と疑問にすら感じるだろう。お前は他人の "承認欲求に見えるもの" に敏感すぎるんだよ。そしてきっとそれは、敏感なのではなく単に過剰。通常レベルのものを「強い」としている。「強い」であって欲しいと願って、その上で叩き落とそうとしている。

それ以前にお前は「承認欲求」について知らなすぎる。

その愚かさを、恐ろしさを、ぜひ恥ずかしいと思って欲しい。

馬鹿しか「承認欲求強すぎ」なんて言わない

(あの写真が承認欲求の産物かどうかはさておき、)承認欲求はあって当然なものです。人間として普遍的な欲求の一つで、各人が「このくらい、このようにして満たされたい」と願うだけ満たされない限りずっと顕在化し続ける。しかも案外「このくらい、このようにして満たされたい」と当人が思っているアプローチでは満たされないものでもあると、私は観測している。

承認欲求というものは、複雑で繊細で、その奥深さゆえに一筋縄ではいかなくて、つまりすごく意地の悪いものだと思う。真っ当に向き合おうとすると大体人生が狂う。

本人の意思とは関係のないところで削られる上、必ずしも本人の努力によって満たされるものでもないから。

私の知人に、己の承認欲求を満たすべく、金と女を欲した者がいた。
彼はとにかく働いた。結果、とんでもない大金を手にすることに成功し、好みの美人に囲まれることになった。周りの人間からはさぞ羨ましがられているだろう。アピールがすごいので、妬まれることもありそう。何にせよ、過去彼が「金も女もあるあいつみたいになりたい」と願った誰かに、今や彼自身がなっている。
それでも、「話を聞いてくれないか」とたまに私なんかに連絡をよこす。話を聞いていると、ずっと満たされないのだという。どれだけ金を稼いでも、何人の美女に求められても、なんでか虚しいのだと。広く高い部屋で好きなだけセックスができてもダメで、もういくら稼げばいいかわからないし、どんな女性が欲しいのかわからないと。
その話を聞きながら私が思ったのは、人が「この条件が揃えば自分の承認欲求は満たされる」と思っている条件なんか大抵ピントがずれているのだということ、「承認欲求が足りていない」と感じている人の過去を辿ると必ず子供の頃に家族や友人や恋人など人間関係の中で「承認欲求が欠乏するに値する何か」があったということ。やっぱり承認欲求というものは、本人の意思とは関係のないところで削られ、本人の努力によって満たされるわけではないのだな、本当に意地の悪い、厄介なものだなということ。

何が言いたいのかというと、
・承認欲求はあるのが普通
・承認欲求は本人の意思とは関係のないところで削られる上、本人の努力によって満たされるかどうかわからない無慈悲なもの
・そして人の承認欲求に敏感なのは自分が満たされていない証拠
・だから「承認欲求強すぎ」という悪口はあまりに安直で愚か
ということ。

確かに誰にでも使えてしまう悪口だから一見便利だし、言われた方は恐らくちゃんと恥ずかしくなる。自己表現をすることが怖くなる。萎縮してしまい、頭も体も、心も、動きが鈍くなる。その意味では悪口としての効き目はあるかもしれないが、それによって失われる創造性を思うと、私は激しい怒りを感じる。人間の創造性の尊さを知らない馬鹿に、それが邪魔されるのがどうしても許せない。

そんなくだらない悪口で、みるくて柔らかく美しい心が傷つけられることを思うとただただ腹立たしい!

お前にもいろいろあったんだろうし、いろいろあるんだろう。でもそれは人を傷つけていい理由には当然ならないし、人の可能性を邪魔していいものでもないので、せめて黙っていようね。
人の承認欲求を笑うのは、お前の承認欲求を笑うことでもある。そんな悲しい話はないから、今すぐやめよう。

彼女の音楽にお前が救われる日が来るかもしれないし。

諸々の言っておきたいこと

「傷ついた分だけ優しくなれる」とはよく言うが、だからって人を傷つける人が野放しになるのは間違っているので、今回の件でもしご本人が傷ついたとして「アーティストとして深みが出るからよかったんじゃない」と捉える人がもしいたら、それはそれで馬鹿すぎるので改めた方がいい。

ご本人が「あの件があったから良い歌ができました」ともしこの先言うことがあるとしても。

やむを得ない逞しさを人に期待するのはあまりに暴力的です。

そして、今回の話は才能ある人の一件をきっかけに書いているが「才能ある人の承認欲求を笑うな」と限定してはいない。誰の承認欲求も笑われるべきではない。

また、「じゃあ承認欲求を満たすにはどうしたらいいの?」という問いに関してはなんとなく答えが見えているが、多分これをちゃんと書こうとすると「愛」について書かなければいけない気がしていて、私はまだ「愛」の解像度が低いので、私にはまだ書けない。


勢い任せに書いてしまった。
久しぶりに強い憤怒と、ご本人がこんなクソしょうもない一件で傷ついていたらどうしようという焦りで手が震えた。これを書きながら涙さえ出た。
どうか彼女が、これまで通りもしくはこれまで以上に、のびのび表現したいことを表現し続けてくださいますように。

流れが綺麗ではないし言葉が強い箇所もたくさんある中、ここまで読んでくださりありがとうございました。




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