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いい人はつまらない、のではなく
先ほどこんなツイートをした。
「いい人ってつまんないから好きになれない」と数年前までよく口にしてたけど、普通に間違ってた。いい人を好きになる勇気が私にないだけだった。いい人を好きになるためには、いい人を傷つけない覚悟、いい人の隣に相応しい自分であるという自信が必要だから。悪い男を好きになるのは簡単なんだよな
— もんぬ|内面と外見磨き (@mon_nu13) August 31, 2024
これに気づいたのは、のべ16人に及ぶ元恋人たちを含めた過去の恋愛を振り返っていたときだった。
そういえば私は12年前に一度だけ「いい人」と付き合ったが、結果、私の未熟さゆえ彼を深く傷つけてしまった。「いい人を傷つけた罪悪感」というものはあまりにも強烈で、激しい自己嫌悪により5〜6年引きずり、なんなら今でもたまに彼が夢に出て朝から病む日がある始末。
「自分が自分を許せない」ことほど死にたくなることはない、と学んだ。
ただでさえ好きではない自分のことをこれほど嫌いになる出来事はなく、日々自分を好きになるために積み上げていたものなんか一瞬で津波の如く無に帰した。
▼当時の話はこちらのnoteにより詳しく、生々しく書いています
それ以来、「いい人だなぁ」と感じた相手は恋愛対象から外れるようになっていた。その人と付き合ったら「またいい人を傷つけてしまうかもしれない」「そうなったら今度こそ生きていけないレベルまで自分のことが嫌いになる」と怯えながら一緒にいる必要があるから。
要は、いい人を傷つけない自信がないだけ。
浮気だけじゃない。悪気のない言葉や感情表現や主義主張や保身のための言動やアンコンシャスバイアスによって、私はこれまでもたくさんの人を傷つけてきたし、こっそり傷ついて離れていった人もいたはず。把握しきれていない自分の加害性が怖い。絶対に人を傷つけないという自信がない。
加害性が仮にないとしても、「私はいい人の隣にいていい人間だ」と思えるほど、その席にふさわしいと思えるほど、自分が善良な人間だという自信もない。途中までは取り繕えてもいつかボロが出てガッカリされたり軽蔑されたりするだろうと思っている。
汚い人に「汚いね」と言われるより、きれいな人に「汚いね」と言われる方が確実にしんどい。ので、できたら避けたい。
また、いい人といると「比べてなんで私はこんなにやなやつなんだろう」と病むハメにもなる。自分の嫌なところに目を向けることは、大人になってもなおしんどい。できれば目を背け続けたい。
だって今、絶望的な性格だった昔の私よりは随分マシになって、100点満点ではなくても、このまま生きていっても大きな支障はないくらい、なんとか及第点を迎えたから。自分の嫌なところに目を向けるしんどさをずっとずっと味わってきて、ようやくちょっと一息ついてるところだから。
一方、「悪い男」を好きになるのはすごく簡単。
こちらがいい人でなくてもお互い様だし、彼らに傷つけられているうちはその傷だけ見つめて痛がっていれば良いので、自分の嫌なところに目を向けずに済む。早い話が「現実逃避」だと言える。
個人差はあると思うが、私は、傷つけることよりも傷つけられることの方が100倍マシ。「自分は酷い人間だ」よりも、「自分は可哀想だ」の方がマシ。遥かにマシ。というか楽。
自分の嫌なところに目を向けることの痛みよりも、ナメられたり見下されたり蔑まれたり適当な扱いを受けたり気持ちを無碍にされたり振り回されたりする方が、時には物理的に傷つけられる方が、よっぽどラク!!!!!
ちなみに、じゃあその悪い男を愛しているのかというとそう言い切れるわけでもない。楽しかったし、好きではあった。ただ傷つけられた分しっかり「恨み貯金」は貯まっていて、別れた後に「なんであんな人のこと好きだったんだろう」になりがちだし、後からされたことに対してムカついてきたりする。(いい思い出もあるので、グラデーションではあるが)
つまり自分のためにモルヒネを必要としていただけで、これはこれで、私の痛み止めになってくれた悪い男たちに失礼な話だなと思う。
その一連の自傷行為を「恋」と呼んで、刺激的な娯楽としてモグモグしていることの愚かさはいよいよ自覚したものの、彼らに救われていたことは間違いない。
ありがとう、私の生活を彩ってくれた、セクシーで自由な悪い男たち。
結論、私は「自分はいい人間だ」と思っておらず、自分の嫌なところに目を向けるのがとにかく苦手で、それゆえ悪い男に惹かれ、いい人は避けてきたのだということに気づいた、という話。
「自分を愛せなきゃ人も愛せない」「健全な自己愛がないと健全な恋愛ができない」と言われるのはこういう理屈なんじゃないか、と思った。
いい人といい人が付き合ったら傷つけることも傷つくこともない穏やかな恋愛になるのだろうけど、私はこんな感じなので「いい人だ」と感じる人は避け、悪そうな男をあえて選ぶので傷つき傷つける恋愛になるしかなく、結果長続きしてこなかった。
どうせこれが私のスタイルだ、と言ってしまうこともできると思うが、一方で最近はちょっと、いい人と関係を築いてみたい気もしている。
今更だけど。もう32になってしまったけど。でもまだ人生は残っているから、いい人を好きになって、ちゃんと「愛」をしてみたい。
となれば目下、私がやるべきは「善い人間で在ろうとし続けること」。
いい人を傷つけない覚悟を決め、自分の加害性に向き合うこと。次の恋愛はここをクリアしてから、と思っている。
(ちなみにあの名著、エーリッヒ・フロム「愛するということ」を少しずつ読み進めていて、過去の恋愛経験も交えながら読書感想文を書こうと張り切っています。乞うご期待!笑)
ここまで読んでくださりありがとうございました。乱文失礼しました。またなんか書きます!