お前のドラマチックに私を勝手にキャスティングすな
お疲れ様です、もんぬです。
2025年の自分に課した『毎日noteチャレンジ』Day16の今日は、ある人に好かれた時の話と、ある人に好かれなかった時の話を書きます。
「恋愛」ってすごい。
音楽のテーマにも映画やドラマや漫画や小説のテーマにもめちゃくちゃ引っ張りだこの、人類史と切っても切り離せない、人を狂わす莫大な力のある身近なエンターテイメント。
恋愛を「日常のスパイス」と表現する人もいれば、「現実逃避」と言う人も、「気づけばそばにあるもの」「頑張る理由になるもの」「心の安定要素」と話す人もいる。
恋愛の形もそれぞれ。オキシトシン的、穏やかでほっこりしたただただ平和で安心する「愛」に近しいものもあれば、ドーパミン的、刺激的でさながらジェットコースターのようにハラハラしたりドキドキしたり情緒を振り回される「恋」としか呼べないものもある。
恋愛中は、誰もが主人公だと思う。
どんな恋愛も多かれ少なかれドラマチックだから。
社会人もののドラマだと「主人公っぽい」人とそうでない人は割と明確に分かれてしまいそうな感じがあるが、恋愛となればありとあらゆるパターンがドラマになる。主人公になり得る。
知り合ってすぐ付き合うのも、長い年月をかけて付き合うのも。
一目惚れ的に惹かれ合うのも、友達同士から始まる関係も。
初めはラブラブだったけど徐々に冷めていくのも、初めはそうでもなかったけど徐々に「やっぱ好きかも」になっていくのも。
結婚というゴールを迎えるも、違う形で続いていくも、お別れするも。
元々の関係性がどうであるかも。
既婚・未婚、歳の差、性別、立場の違いなど、なんんんんんでもアリだ。
どれもがドラマになる。どれもしっかりロマンチック。
今日もこの街にはたくさんの主人公と、そのドラマに出演する・出演させられるたくさんの脇役たちがいて、一人の人間が主人公と脇役を兼務してたりもするんだろうな、と うどんを啜りながら考えていた。
腹立たしいのは、不本意なキャスティングを食らったとき。
つまり、出たくもないドラマに勝手に出させられていたとき。
例えば、全く恋愛関係ではない仕事関係で付き合いが始まったのに勝手に好かれ、気づけばヒロインにアサインされている場合。相手(主人公)からしてみたらもう恋愛もののドラマがスタートしてしまっているので、私の一挙手一投足はラストに向けた布石でしかなく、明確に嫌がっても解釈が歪められてしまいお話しにならない。
ハッピーエンドへの引力が強すぎる。
私は好きじゃないよ。お前が私を勝手にヒロインにキャスティングしたとしても。なぜそんなふうに自分に都合よく解釈できるのか。なぜこちらの迷惑そうな顔を無視して私との夢を語れるのか。「本当は好きなんだろ」とかないから。確かに、1話では犬猿の仲だった二人が最終的には…とか見たことあるけど。どのドラマをトレースしてるのか知らないけど、とにかく私は好きじゃない。仕事関係なんだから、男を出されたらキモいし仕事がやりづらくて仕方ない。提案されることが全てどこかの青春ドラマのワンシーンだし、ポエミーなメッセンジャーを送ってくるのも、いよいよ嫌がられたら悲劇のヒーロー顔するのもやめてほしい。めちゃくちゃ迷惑です。(ストーカーって全部これじゃんって思う)
お前が勝手に始めた物語だろ。一人で回収しなさい。
もしくは、主役で出たかったドラマなのに自分は脇役だったとき。
例えば、好きな男には私ではなく別に好きな女がいる場合。
あぁ私は脇役の方かぁ、と自覚させられるだけでもしんどいのに、中途半端に脇役を登場させる主人公。寂しいときだけ呼ぶな。孤独を埋めるための女体として私の体温を使うな。呼ばれたら行ってしまうから。脇役ってそういうものでしょ。しかもなんか本命とうまくいかないからって謎に私に優しくして、「やっぱり君じゃダメだ」とか切なくなるんじゃないよ。どれだけこちらをコケにしたら気が済むのかね?私との関係を終わらせる日、ちょっと寂しそうな顔をするのも腹立たしい。なんで最後までお前は主人公なんだよ。いい加減にしろ。
恋愛に限らず、脇役扱いされるのってめちゃくちゃしんどいよね。
自分は脇役だ、って思うことってなんであんなに自己肯定感を乾かすんだろう。
蔑ろにされると、簡単に心の底が抜ける。
出たくもないドラマにヒロイン役として出演させられるのも、主役になりたかったのに脇役にされてるのも、どっちも本当にしんどい。
恋愛なんかついつい主人公したくなっちゃうけど、好きな人を勝手に相手役に抜擢してキモいムーブをかましてしまっていないか、常に自覚的でありたいとよく思う。
そして、脇役にされたら「降板する勇気」を持ちたい。自分のために。
恋愛だけでなく、人生は主人公として切り開いていかないといけないものだから。私の人生は私しか生きれないのに、脇役に甘んじている場合ではないのだ。
ちなみに、私は恋愛もののドラマや映画を好きそうに見られがちだが、正直自分では選ばない。
自分で恋愛する方がよほどダイレクトにドラマチックなので、もうそれで十分すぎるほど事足りているからだと思う。他人の恋愛には、ましてやフィクションは当然優先度が下がる。
そろそろ、ドラマチックな恋愛ではなく『パンとスープとネコ日和』くらいのんびりした恋愛がしたいな。そんな恋愛あるのかわからないけど。
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今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。
また明日もよかったら!