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人を掘るのは臨場したいから
お疲れ様です、もんぬです。
内面磨きと外見磨きの自分軸を言語化し100日間伴走する『私戦略会議』を提供したり、コーチングをしたり、時短で会社員をしていたりする、酒と猫と書くことが好きなアラサーです。
2025年の自分に課した『毎日noteチャレンジ』Day52の今日は、私がなぜ人を掘るのが好きなのかについて書きます。
異常なほど、人を掘るのが好きだ。
何か適当に一つ質問をすれば、返ってきた答えに対して掘るきっかけ・フックのようなものがいくつも思いつくことが多い。
(苦手な人・嫌いな人でない限り←後述します)
よく「人と何を話せばいいかわからない」「相手に興味を持って質問するのが良いとわかっていても、何を聞いたら良いかわからない」「質問が出てこない」と相談を受けるが、私に言わせれば逆になぜ疑問が湧かないのかわからない。
まさか、相手が言ったことを全て理解したつもり?
(煽る意図はないです)
様々な場面で繰り返し書いている気もするけど、他人のことを「わかる」なんてほぼ無理なので、誰かのことをわかったつもりになっているならそれはきっとおそらく壮大な勘違いであり、自身の傲慢さを恥じた方が良いと思う。
だって自分のことさえちゃんとわかってるか怪しいでしょう。
私もそうで、まず自分の「体」のことは本当にわからないなと思う。
だから健康診断で診てもらって、どんな状態かを定点観測しているわけで。
自分の心もわからない。ことが多い。
コーチングを学んで受けて実践する者として以前よりは自分の心の機微に敏感になれた気はするものの、本当に自分がどう思っているのか、常に正しく理解できているかと言われたらちょっと自信がないことの方が多いんじゃないか。
とりあえずそれっぽい言葉に当てはめて、十分自己分析した気になって、後々「なんか違う」なんてザラにある。
某作家さんは「自分のことが一番わからない」とおっしゃっていた。
ちょっと脱線するけど、自分を動画に撮られたものを見たことがあるだろうか。
私はこの間そういった機会があり、自分がどんなニヤけ方をするのか、どんな笑い方をするのか、気が緩んだ時の表情を初めて見たが、思っていたよりマシだったのでちょっと希望が湧いた。
考えてみたら私たちは自分の顔を直接見ることがない。一生ない。
鏡や写真越しにしか見られない。
これって、考えてみたら結構すごいことなのでは?と思う。
「他者の方が自分を知っている」と言うこともできるので。
だとしても他人のことを「わかっている」と思うのもまた依然として烏滸がましいという感覚が抜けないので、「自分のことも他人のこともわからないもの」と一旦結論づけた。
そして「わからない」は別にネガティブな話だと思ってなくて、どうせ100%わかるのは全人類無理なんだから「知ろうとする」姿勢さえ放棄しなければいいと思っている。
わからないものは知りたくなる。
わかりたくなる。
どうせ100%わかるのは無理なんだとしても、わかれるところまではわかりたい。
だから聞く。
もし自分が相手だったら、その言葉をどういう定義で使っているのか?どうしてそこに至ったのか?きっかけは?どんな時にどう気持ちが動いた?なぜその決断をした?
質問の繰り出し方は以下でも語ったので割愛するが、実はこれとは別で最近気づいたことがある。
よく、「暗記モノを捗らせたいならストーリーで覚えろ」と聞く。
ただただ機械的に暗記するのはまぁまぁしんどいので、何かのエピソードとしての記憶にすることで定着率が上がるんだと。
それって、感情の動きとセットにしろってことなんじゃないかと思う。(ぶつ切りの記憶より、点と点を繋いで線の記憶にすることで芋づる式に思い出せるように、という意味合いの方が強いかしら)
そう踏まえると私が誰かと話す時にめちゃめちゃ深ぼるのって、私自身があまりに記憶力が悪すぎて普通に話すだけだと次の日には大半を忘れてしまうので(特に酒が入ると本当にひどい)、超具体のディテールまで聴きまくることであたかも私がその経験をしたかのように疑似体験・臨場するためなんじゃないかと思えてきた。
自分で経験したことは多分忘れないので、それに匹敵するレベルの詳細さでもってまるで自分がその経験をしたと錯覚するほどに追体験をしようとして、根掘り葉掘り聞いているのではないかと。
傲慢ですね…
ちなみに「何か適当に一つ質問をすれば、返ってきた答えに対して掘るきっかけ・フックのようなものがいくつも思いつくことが多い。(苦手な人・嫌いな人でない限り←後述します)」と書いたこれ、私は苦手な人・嫌いな人に対してはびっくりするほど質問が出てこない。
むしろ下手に臨場してしまうことを恐れて、あえてディテールに踏み込まないようにしているまである。
苦手な人・嫌いな人の気持ちになりたくなくて。
疑似体験であったとしても気色が悪いし、脳も心もそんなところに使ってはいけない気がする。
ということで、私がめちゃくちゃ質問をしまくって掘り下げまくるのは脆弱な記憶力を受け入れた上でそれでも覚えておきたい話だと思ったから、覚えておけるよう「臨場」するため、みたいな話を書いた。
根掘り葉掘り聞かれるのは抵抗感がある人も、まだそんなに仲良くないよね?と距離感に疑問を持つ人もいると思う。
そういった抵抗感をもたれてしまうとしたらそれは私の未熟さゆえであり、修行が足りないだけだと思っている。
親密度に関わらず、聞きたい話を引き出せる人は引き出せるから。
となれば私が身につけるべきは「初対面だけど初対面に思えないスキル」「なんかこいつには話しても大丈夫そうと思ってもらえる在り方」とかなんだろう。
あ〜まだまだやるべきことがあるな!
2025年は毎日noteを書いています!
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今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。
また明日もよかったら!