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「人に迷惑をかけてはいけない」と躾けることへの違和感


息子が小学校に上がってから、

懇談会の自己紹介で驚いたことがある。


約半数くらいの親が

「〇〇なので、ご迷惑おかけするかと思いますが

よろしくお願いいたします」

と言うのだ。


「〇〇なので」の部分は

「おしゃべりなので」

「活発なので」

「遊ぶのが大好きなので」

などの、子どもの特徴が入る。


それ、長所じゃないの?と思うし

「ご迷惑おかけします」っていう必要ある?

と何年も思ってきた。


だって、お互い様なんだもん。


小学生が同じ教室に何十人もいて、

毎日勉強したり笑ったり泣いたり

ケンカしたり仲直りしたりしながら

成長していく。

学校ってそういう場じゃん。

なんで、「ご迷惑おかけする」って

先にその子の行動を「迷惑」とネガティブに定義して

謝らなきゃいけないんだろう。



と思っていたら、カウンセラーの友人に

「”人様に迷惑をかけない”っていうのが最近の親の躾の

第一優先事項なんだよ。

うちに相談に来る10人中10人はそれ言うよ」

と聞いてまた驚いた。



迷惑をかけないって、そりゃ、いじめとか、

嫌がらせとかはダメだけど

普通に生きてたら他人となんかしら絡みがあって当然で

お互い様じゃないのか、と言ったら

「そんなこと思う親の方が少ない」と言われてしまった。



私は、一時期シングルマザーで、ものすごく周りの人に

助けてもらって生きてきた。

助けがなければ子供を虐待していたかもしれないという

恐怖が今も体内に残ってる。

それくらい、余裕がない時期があった。

だから、虐待のニュースを聞くと

「ああ、助けてって言えたらよかったのに・・・」と

苦しくなる。



もちろん、子どもが一番かわいそう。

それはもう、絶対そうなんだけど、

助けを求める方法を知らなかった母親も気の毒だなと思うのだ。



助けを求められるかどうかは、

周りの人が信頼できるか

とか

助けてって言った時、手を差し伸べてもらえたかどうか

とか

自分の弱いところを見せられるか

とか

いろんな偶然が重なってる気がするから。



偶然にも不幸な要因が重なって

助けてって言っても助けてもらえなかったり

そもそも助けてって言っちゃいけないって思い込んでたら

過酷な環境にいる人は潰れてしまう。



その原因の一つが、

「人に迷惑をかけちゃいけない」という躾に

あるんじゃないかなと思うから、

私は息子には言ってない。



「自分が大丈夫なことでも、

お友達はそれがキライとかあるから、

ちゃんと人の話きいてね。」とか

そういうことは言うけども。



「人に迷惑をかけちゃいけない」って教えちゃうと、

人と関われなくなってしまう気がして。



逆に、「自分もお世話になっているから、

自分ができることはやっていこう」と伝えたい。



そのひとつが、

「街中でぐずってる子どもに声を掛ける」

のを息子に見せるというもの。



子どもは、知らないおばさんに声をかけられると

ちょっと泣くのやめて、興味を示す。

そして、気分が変わる。

そうしたら、ママもちょっと煮詰まった感じが薄められて

笑顔が出てくる。

ちょっと他の人が風を送ってあげるだけで、うまくいくこともあるのだ。



それを息子に見せて、

「ね、息子くんも小さい時、あんなふうにぐずってて困ってた時、

いろんな人に助けてもらった。

だから、ママは今度は自分がやってあげたいんだ」と話す。



私は

「人に迷惑をかけてはいけない」ではなくて

「自分も世話になってるんだから、できることはやろう」と

言いたい。



と、思っていたらそのまんまの本に出会った。

「人に迷惑をかけるなと言ってはいけない」坪田信貴さん著



ビリギャルの作者とのこと。

早速ポチってみた。楽しみ♪

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まんま、タイトル






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