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相手の立場に立とうとしていますか?


今日、救急車に乗って病院へ行って来ました。

子供が高熱でけいれんを起こして。

38℃の熱があったとはいえ
直前までにこにこ遊んでいたのに。
けいれんを起こした時には
体温は40℃にまで上がっていました。

急に倒れて
両腕が肩まで上がった姿勢のまま
全身が震えて視線が合わず
唾液を垂らして窒息しそうになって。

私はパニックになりながら
娘を横向きし、
念のため動画を撮り、
ネットで痙攣の対処法を調べて
2階に居る夫は呼んでもダメだったので
救急車を呼びました。

救急車が来るまで15分以上かかりました。
到着まで時間がかかるから落ち着いて待っていてと、連絡があったものの待ちくたびれました。

心配でどうにかなりそうな中、
やっと来たかと思って外を見ると
ゆっくり歩いて向かってくる救急隊員。
来るかと思って娘の側へ戻ったもののなかなか来ず。
しばらくして隣の家から
「救急車呼びましたか?」
と声が聞こえて。
さすがに苛立ち、
「呼んだのはウチです!!」
と言って来て貰いました。

ゆっくりとした誘導で
娘と救急車へ入り
停まった救急車の中で
ゆっくりと問診されて
15分くらいしてからやっと
病院へ向かいました。

でも救急隊員の方へ伝えた問診内容が間違えて病院に伝わっていたり、向かってる途中運転している隊員の方が笑って話していたりして、
到着時から緊迫感のない様子に不信感がありましたが、最後まで気が抜けた様な対応でした。


私も2年前に救急車で運ばれたことがあります。

その時は動けない程の激しい腹痛で
イレウスかと思って救急車を呼んだのですが
のんびりやって来た救急隊員の方に
「歩けますか?」
と言われ、かなり無理をして外まで歩いてタンカーに乗りました。
もしイレウスだった場合、絶対安静のはずなのに。

私はかつて病院に勤めており、
医者ではありませんが多少の知識があります。
まして救急隊員の方なのに
動いてはいけないかもしれないと思わないのかと信じられない気持ちでいっぱいで。
案の定着いてから
担当医から真っ先にイレウスを疑われました。
結果的に違いましたが。

しかもその日の担当病院へ
遠いにも関わらず時間をかけて搬送されました。


救急車を呼んだからと言って
早く病院へ連れて行かれる訳ではないし、正しい処置をして貰えるとは限らないということを2回救急車に乗って身を持って知りました。


そして病院に着き
やって来た救急ナースは心配するでもなく
目も合わせることなく
なんてことはない感じで
例えるなら料理の注文を確認する様な感じで
「さっきまで痙攣していて、今はいつも通りって感じですね?」
と聞かれました。
明らかにぐったりして辛そうな娘が居るのに
こっちを見もしないで。
「いつも通りではないです。」
と返答したところ、
「意識はあるけどぐったりしている感じですね」
とこれまたこちらを見ずに
相変わらず注文確認の様に言っていました。


小児科の先生はとても優しかった。
名前に見覚えがあり、
まさかと思って確認すると、以前私が勤めていた病院にいらっしゃった先生でした。
隣県とはいえなんという偶然。

前に私が緊急搬送された時の先生も
後日同郷であることがわかり、
千葉県の病院で会ったのに
福島のすぐ近くの高校出身の先生で
なんという偶然!と盛り上がったのでした。

大学病院に勤めていた時も
そういうことが多々あり、
その度に、
世間ってこんなにせまいのかと驚き、
偶然かもしれないけどなにか起こるべきして起こっているのではという気がしています。


救急隊員の方や救命ナースの方、
会計時に高熱の1歳児にまで
マスクする様に渡して来た方、
お昼だから迎えにいこうか?と
休んではくれないし来て欲しいに決まってるのにいちいち確認してくる夫には
なんなんだろう、、、
とモヤッとしましたが、
最後の砦である医師には
丁寧に診ていただけて
大事には至らなかったので
そこにはやはり何か大切な縁の様なものを感じます。


薬をもらって家で様子を見ることになり
今はひとまず安心しています。




そして今日のモヤッとしたことを通して
相手の立場に立って接することの大切さと難しさを感じました。
私は病院で働いていた頃、本当の大変さは分からないなりにも勉強しながら患者さんに寄り添っていたつもりです。
それでも当事者からすれば、真の辛さを理解していないと思われていたのかもしれません。

どうしたって自分の経験にない感情を理解するのは難しい。

けれど大切なのは
目の前の相手の不安な気持ちや辛さに心から寄り添う姿勢だと思います。
相手の立場を思い遣って心を込めて接していたらたとえ不十分な理解だったとしても、その誠意は伝わるものだと信じています。
一方で感情のない誠意の欠けた態度は
もしかしたらそれ以上に不快感を伴って
相手に伝わるのではないかと思います。



病院に勤めていると常に
病気の人が居て入院して居る人がいる状態です。
外来の方、入院の方、
緊急搬送で来る方も居れば
長い通院の末に入院になる方も居る。
すぐに退院できる方も居れば
長い闘病生活が必要な方もいる。
受診したけど何ともなかった方もいるし
健康診断を受けて病気が分かる方も居る。

医療者側からすれば、
重症な人ほど手厚くフォローが必要な分
大変ですねという想いが強くなるかもしれない。

でも受診して来た人はみんな、
不安な気持ちを抱えて
いろんな事を考えながら
日常を置いて来て
その場に居るということを
忘れてはいけない。

もちろん
そんな気持ちを汲み取って
優しく丁寧に接してくれる医療者もいます。

そしてこれは医療現場に限らず
色んなシーンで人と接する時にも言えると思います。

話が大きくなりますが
人工知能が発達して人間の仕事が変化する中
人に必要とされるのって
こういう部分なんじゃないかなと思うのです。



いろんな人が居るし人に期待をしてはいけないなと思う事もあります。

今日の様に緊急で
人に助けて欲しい場面では特に
“こうしてほしい”
という思いが強くなって
無意識に人に多くを望んでいて
勝手にがっかりしてしまうのかもしれません。

でも私は
相手を思い遣る気持ちは忘れたくない。

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