許すも許さないも、根底の悪意を見極める
最近Audibleで聞いたこの本の中に、日本人についての村社会を歴史から紐解いている。
なんだか、とても腑に落ちた。
特に江戸時代、コメは1人ではとてもじゃないけど作れない。村という組織にいてこそ食料確保、腹の中を隠してこその共同体、
生きていくために必要な処世術なのか。
処罰感情、正義中毒、正義パトロールなど境界線があいまいなのは、この遺伝子だからという訳である。
私は声高らかに意見を言う人をつい斜めに見てしまう傾向がある。
自分のいた大学が少し共産寄りで、民生活動している同級生がスピーカーを持って声高らかに正義を訴えていた。それにとっても疑問に思っていたから。
それ、ここですること?
あなたの正義は、声高らかにガミガミとスピーカーで話すこと?
かえってマイナスイメージだった。
だから
「ふーーーーん」って斜めで見てしまう。
その割には自分も時々ナゾの正義感を振り回す。
私も含めて、人間は不可解だ。
全く解を見いだせない生き物だ。