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仲良くしましょうよ。

夜に映画『スノーデン』を観た。
CIAの職員が米国を告発したという実話が基となっている作品だ。

それを彼と一緒に観た。
彼も昨今の日本の政治には物を申しているし、ある意味では反社会的だと思う。お酒を飲みながら観て、今の日本の体制、世界の体制について話した。

2人で意見が合っていたにも関わらず、ほんの少しのふざけから彼は私のことをソファから突き落とした。
それは明らかに暴力的で、しかもその後も人を馬鹿にしたような態度で私に接する。

元々彼は物凄く喧嘩っぱやく、すぐにキレる。
最近は喧嘩をすることも少なくなったが、突然スイッチが入ることがある。
それはもちろん私が原因なこともあるけど、それだけじゃない。

何より、物凄く社会派な作品を観て、2人で意見を通わせていたにも関わらず、そうやって平気で人のことを突き飛ばす。
それもとても愛してると言っている人に…。

彼は人を愛する人だけど、でも彼の愛し方ではやっぱり争いごと、つまり戦争は無くならないと思った。
だって一番愛している人を平気で突き飛ばすんだ。

最近は無くなったが昔はもっと酷かった。
なぜそうしてしまうかは本人でないから分からないが、結局自分の自尊心だと思う。自尊心を守るべく暴力性が出るのだと思う。

じゃあさ、戦争はなくならないよ。
そんな日常の小さなことでさえ耐えられないような人がよ、大きな力や恐怖に耐えられるだろうか?
普段の本当に些細な、ホントにちっぽけすぎるくらいちっぽけな自尊心すら守るないような奴がよ?

情けない。本当に情けない。
でもきっと世の中の大半の人はそうなのだ。
だって学生時代の時から私は感じていた。
おかしなことを言う先生に意見を言えない人たち、校則という決まった中でしか行動出来ない人たち、成績ばかりを気にする人たち。
小学校でもいじめに加担する人たち、自分はそう思ってないのに意見に同調する人たち。

それは社会に出ても一緒だ。
自分を守ることに必死で、目の前の人と面と向き合って話すことや戦うことをしない。
おかしいと思ったら自分の意見を言うべきではないだろうか?
みんな人の顔色を伺って過ごして、自分を殺して、その自分を殺していることにすら気付いていないような人が多すぎる。

「私はそんなに強い人間でないから」と言うかもしれない。
でもさ、自分が死ぬ時にそれで後悔はしないんだろうか?

自分の感情を抑えつつも、その場を明るく、でも自分の意見を言いながら、そこは一つの意見として話し合うようなことがない。
意見を交わしたり、面と向かっていうことは争いではない。それで自分も相手も傷付くこともあるだろうけど、陰で言うより全然いいし、それでむしろ良くなる関係性もある。

要は言い方ではないだろうか?一つの意見として言う分にはいいじゃないか?
そこからみんなで話合えばいいじゃないか?
でもそうしない。
言われたことに、はいはい、と聞き、状況が変わらないような世界。

今日彼の態度から改めて感じた。
こんなにも色々なことで共有できていた相手ですらそうなのだから、価値観が全く合わないもの同士が平和になるはずがないと。

だから戦争はなくならない。
結局人を愛してると言いつつ、自分が一番可愛いのだ。
愛してることで自分を可愛がって欲しいのだ。

それは分かる。でもさ、みんな仲良くしようよ。それだけなんだけど。
なんでそれが出来ないの?なんでそんなに自分の自尊心を傷つけられるのが嫌なの?そんなプライド捨てちまえよ。だせぇよ。

そんなにお金が大事?何をそんなに守るものがあるの?全く分からないんだけど。
みんな意見が全く一緒なんてあり得ないじゃん。
特に国が違ったりしたら合うわけないし、人それぞれ考えが違うんだから、話し合って、みんなが納得する方向にすればいいじゃん。

上司の顔色を伺うのは辞めようよ。
成績のことばかり考えるのは辞めようよ。

自分が真に大切にしていることは何なのさ?
お金なの?地位なの?名誉なの?
そうかもしれない。
でもそれで死ぬ時に何とも思わないの?

分からない。私には全く分からない。

とりあえずさ、みんなが気持ちよく過ごそうよ。
仲良くしようよ。
それだけなんだわ。



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