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「あの人は人の悪口言うから嫌い」のパラドックス

「あの人は人の悪口を言うから嫌い」

思っている分にはいいかもしれませんが、この発言をすると、そこには矛盾が含まれます。

「あの人は人の悪口を言うから嫌い」
これを誰かに言った時点で、言葉自体が、悪口が悪口になっている、という構図になるからです。

例えスタートが最初に悪口を言った人であっても、この発言をしてしまうと自分も悪口を言ってしまっています。

こういった矛盾する構造をはらむ言説を社会学の用語で「再帰性」と言います。
Excelで関数がループしてしまうイメージです。

語った瞬間にそのループの中に組み込まれてしまう種類の言葉。

自分だけは違うと思っていたり、自覚がないとやってしまいがちです。

こんなことを思ったきっかけは、NIKEのCMと、それに対するネットの反応でした。

僕は素直に感動したし、そういう現状がもしあるのだとしたら(実際あるのだと思っています)、変えていく必要があるし、何より差別はあってはならないと思っています。

しかし、差別している人を差別した瞬間に、自分もその人をラベリングして差別をしている危険性を孕んでいるように感じるのです。
再帰性のループに組み込まれてしまう。

もちろん、差別は良くないと思っています。
悪口だって言わないに越したことはない。

だからと言って、自分が無自覚に再帰性のそのループに巻き込まれるわけにはいかない。

悪口を言ってる人を「嫌い」と公言するのは、「自分も同じところにいます」と言っているのと同じだと思っています。

ってほら、皮肉なもので、これも悪口に聞こえませんか。

一段上からものを見てるとか、そういうことを言いたい訳では全くありません。

なかなか難しい。

再帰性から抜け出せないのか。

例えば、何度か紹介しているこちらの曲はそのヒントをくれます。

ネオナチも差別しない。
この姿勢が、差別を本当になくす手段だと思います。

今回のCMで過剰な反応をたくさん見ました。
中には、CM自体が日本人を悪く書いた差別になっている、という書き込みもありました。
片方を差別主義者と罵るツイートもありました。

どちらの立場にせよ、CMきっかけで分断があってはならないと思っています。

自分は差別をしないし、そんな立場にいる人がいたら助けます。でも、もし差別している人がいてもその人を差別して新たな分断を生まない、姿勢でいたい。

どちらかを「差別主義者」と言った時点で、それは再帰性の中から抜け出せなくなってしまいます。

本当に難しい。

だから、敵対ではなく、理解を図ることで、再帰性から、パラドックスから、抜け出したい。

自分の頭で考え続けることで、僕は差別にも自分の中にある無自覚な、ともすると再帰性に巻き込まれてしまう差別心にも対抗していきたいと思います。

(国の政策や議員の発言を言っている訳ではありません。個人としての在り方や一人でも取り組める、心がけたい手段について書きました。)

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岩切 健一郎 発達障害専門FP
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